チェアスキーの開発“Sプロジェクト”
〜神奈川県総合リハビリテーションセンター〜


1月9日、厚木市にある神奈川県総合リハビリテーションセンターへ行った。
普通の病院をイメージしていたのだが、バスを降りるなりビックリ。土地面積なんと
200000u、職員は約1200人。病院というより1つの「村」だ。とにかく広い。

この中では、医学的な療法だけでなく、職能訓練や日常動作の練習、社会復帰後の生活のコーディネートなど、あらゆる角度から入居者の自立を支援している。

スポーツも大切なリハビリであり、レクリエーションのひとつだ。敷地内には体育館やプール、グランド、テニスコート、アーチェリー場まであり、バスケットとアーチェリーではパラリンピック選手も巣立っている。

実は、この施設内にある「リハビリテーション工学研究室」の中では、「Sプロジェクト」(ソルトレイクのS)なる計画が進められている。ソルトレイク・パラリンピックのアルペン競技で使われるチェアスキー(クロカンのシットスキーとは違う)は、ここで開発されているのだ。
伊佐 幸弘さん


開発に携わった日本チェアスキー協会会長の伊佐さんと広報の平野さん、そして研究室の沖川さんに話を聞いた。

こんな雪の降らないところで、しかもリハビリ施設内の一室で、トップスキーヤーの命とも言うべき道具が開発されていたとは・・・。さぞかし大変な作業でしょうに、と思いきや、いやはや実に皆さん楽しそうに、これまでの開発の歩みを語ってくれた。

開発の歴史は古い。75年にスタートし、1号機の雪上テストを行ったのが翌76年。当時は回転不能・停止困難だったという(・・・危険だ)。その「実験台」として伊佐さんが使われたのだ。
その後は、毎年冬になるたびに、夜中まで試作機を作ってはトラックに積み込み、約10時間車を走らせ、北志賀の小丸山スキー場まで運んで滑る、この繰り返しだった。
平野 敦司さん


そう、ここでは、チェアスキーの開発者がスキーヤーでもあるのだ。当然、チェアスキーには健常者でも乗ることができる。誰かに頼まれたんじゃなく、自分がもっと速く、快適に滑りたいから、そして身障者も健常者も一緒になってスキーを楽しみたいから、開発にも精が出るのだろう。

だから、高速道路のない時代に夜通し車を走らせてスキー場まで行き、スキーヤーをリフトに乗せたり、重いチェアスキーを運んだりという重労働も楽しみながらできたのだ。(車内での宴会が楽しかったからと言う声もあるが・・・)。ちなみに今は改良が進み、リフトの乗り降りもスムーズにできるようになった。

80年に最初の実用機が完成し、同年日本チェアスキー協会が発足してから、今年で22年目。その間、チェアスキーは改良を重ね、全国に広まった。パラリンピックでも多数のメダリストを輩出している(長野では金2・銀2・銅1)。
沖川 悦三さん



「チェアスキーの開発は、自分自身の仕事の指針になっています。いろんな方と出会えるし、スキーは教わるし、酒は教わるし(笑)。F1のメカニックとドライバーのように、開発者と選手が近いところがいいですね。それはクロカンでも同じだと思いますよ」と平野さんは言う。

一方、沖川さんは
「道具がスキーヤーを補助しすぎず、あくまで人間がコントロールする事が大切。乗る人が障害者だと意識しすぎない事ですね。今は、道具が良くなると選手の技術が上がる、すると、選手がよりよい道具を求めてくる・・・という相乗効果が働いています。まあ、今のところは道具の性能が選手の技術を上回っているはずだけど(笑)」と技術者としての一面ものぞかせた。

こんなふうに、道具ひとつにもいろんな人が力を出し合って、開発に取り組んでいる。でもそれは決して「オシゴト」ではなく、自分が楽しいからこそ、続けていけるんだ。
さてこの「Sプロジェクト」によって、ソルトレイクでは何人のメダリストが誕生するでしょうか・・・(ノルディックのページなのに、今回はアルペンの記事でした。あしからず)。
Sプロジェクト初期のチェアスキー

 望月浩平