●日本スレッジホッケーの歴史


何十年も前から盛んに行われてきた北欧に比べ、日本でスレッジチームが発足したのは1994年と、その歴史は浅い。欧米諸国よりも「障害者スポーツは特別で」「障害者スポーツに関心がなく」「アイスホッケーが身近な存在でない」日本においては、スレッジホッケーの存在を知る人は少なく、1998年の長野パラリンピックで初めてこの名を聞いた人がほとんどだろう。順位は7チーム中5位だったが、スピード、テクニック、チームワークから試合に対するモチベーションまで、どれをとっても上位チームとの差は歴然。世界との間には大きな大きな壁があることを選手たちは身をもって知ることとなった。

そこで、日本チームはこのナガノ以降、国際大会に積極的に参加するようになった。世界選手権、ヨーロッパオープン、ウインターゲームなどで世界を相手に戦い、経験を増やすためだ。同時に選手にとって、スレッジホッケーへの情熱やこれからの課題などを認識し、上を目指す“競技者”としての自覚が生まれた時期でもあり、技術・精神両面で急速に力をつけたのだった。

その結果、‘99のヨーロッパオープンでは、ナガノで完封負けだったノルウェーに対して1点差まで追いつめ、さらに2000年の世界選手権アメリカ大会では、エストニア、アメリカに勝利し見事4位入賞を果たした!(初出場だった‘96の世界選手権スウェーデン大会では、5チーム中3チームにダブルスコアの完封負けをくらっていた)。

少しずつではあるが、確実に成長していることを証明した日本。ソルトレークパラリンピックでは、念願のメダル獲得のために全員が一丸となって内なる炎を燃やしている。



ここで簡単に日本スレッジホッケーが歩んできた道のりを紹介しよう。

1993. ノルウェーから講師を招きアイススレッジ競技講習会が開催される(日本身体障害者スポーツ協会主催)。

1994. リレハンメルパラリンピック開催後、日本で初めてのスレッジホッケーチーム・長野サンダ−バーズ結成、活動開始。

1995. 第1回ジャパンパラリンピック開催。東京アイスバーンズ、北海道ベア−ズ結成、活動開始。

1996. 世界選手権(スウェーデン)初出場。「スレッジホッケー」とは何かを体感した大会。結果は惨敗だった。6位/6チーム。

1997. 3月にウインターゲーム(スウェーデン)初出場。世界選手権などの教訓を生かし事前合宿を組んで参加。被シュート数が激減するなど、成果が見られた大会。6位/6チーム。9月に3カ国親善大会(TRY NATION CUP/アメリカ)参加。

1998. 長野パラリンピック開催。予選Bプールでアメリカに2−1で勝利!会場は大いに盛り上がった。 日本チームにとって様々な意味でスタートとなる大会だった。5位/7チーム。

1999. 日本身体障害者アイススポーツ連盟、スレッジホッケー委員会組織。

2000. 世界選手権(アメリカ)出場。予選で世界トップ3のカナダ、ノルウェー、スウェーデンに1点差で惜敗したが、エストニア、アメリカから勝ち星を奪う。3位決定戦でスウェーデンに敗れ、6チーム中4位。国内活動としてはこの年、八戸バイキングス結成、活動開始。新しいチームの誕生は5年ぶり。

2001. 3カ国親善大会(TRY NATION CUP/アメリカ)参加予定だったが移動途中で同時多発テロが起こり、その影響で空港で数日間足止めとなり、帰国。パラ前の大きな国際試合だったが、気持ちを切り替えて国内での最終調整をはじめた。



荒木美晴


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