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| インタビューを受ける日本ボッチャ協会の渡辺美佐子さんと海沼、秋元・両選手(左から) |
北京パラリンピックで初出場となるボッチャ日本代表。代表選手に選ばれた海沼理佐選手には苦い経験があった。2007年カナダのバンクーバーで開かれたワールドカップ。イギリスチームとの対戦だ。
海沼選手は、得点の目標となるジャックボール手前にボールを投げ込んだ。相手よりジャックボールに近い球の数が得点となるボッチャで、敵ボールが近づく進路を阻む好位置だった。だがイギリスチームは2球をジャックボールの奥手に。3球目を海沼選手の球に当てた。玉突き状態で海沼選手の球を押し出し、ジャックボールは相手の2球の方に転がっていった。「やられた」と思った瞬間だった。
「あのときはまだ、私はジャックボールに寄せるのが精一杯だった。相手チームには戦略があった」
ボッチャは重度障害者がプレーできるスポーツとしてヨーロッパで生まれた。大舞台でも影響されない精神力の強さも勝敗の重要な要素となる。それゆえ、メンタル面の強化も欠かせない。
海沼選手がボッチャと出会ったのは7年前。ボッチャを始めてすぐに試合に出場した。「ボールを転がすのがやっとだった」という海沼選手に対し、他選手は気持ちを鎮め、ボールをコントロールしていた。「本気でやろう」と思った瞬間であったという。
「仕事のない週末はボッチャの練習にかけてきた。練習の量では誰にも負けない」と海沼選手。負けず嫌いな一面ものぞかせた。
北京パラリンピックを前に海沼選手は「メダルを意識するとプレッシャーになる。試合では気持ちをコントロールし、自分の課題を克服できるようにと考えることにしている」と自らとの戦いであることを強調した。そして、「これまでの練習の中でメンタル面や戦略の弱さに気づかされた。世界の大会ではそういう点が勉強できる。強いチームと戦って学んでいきたい」と意気込みを語った。
一方、ボッチャ歴8年目の秋元妙美選手は「次のパラリンピックは私も」と闘志を燃やす。養護学校に行っている時に「レクリエーションのスポーツはやっている時は楽しいが、目指すものがなかった」。目標の持てる競技スポーツがしたいと熱望していた。そんな大学時代にボッチャと出会った。
ボッチャの魅力を「試合の展開を考え、『自分の思い通りのボールを出さなければいけない』というプレッシャーに打ち勝つ点」と言う。生活も変わった。それまでは生活のすべてを一人でできることに満足していた。しかしボッチャを始めて、生活を楽しみ、より良くしていこうという気持ちが生まれてきた、という。
秋元選手は「ボッチャを始めて、試合での遠征や合宿など、よく外へ出るようになった。私たち選手が外へ出ることで、交通の便など、重度障害者が外に出て行く環境整備が進めば」と期待し、「ボッチャの楽しさをプレーする私の姿で広めていきたい。重度の障害を持った人でもできるスポーツがあることを伝えていきたい」と希望を語っていた。
※この記事は、2008年5月11日、パラフォトのワークショップにおけるインタビューをまとめたものです。
(写真:森 正)
(加國 徹)