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ボッチャ

2008年07月10日

10年かかった、パラリンピック初出場。日本ボッチャ協会常務理事、渡辺美佐子さんインタビュー

日本代表選手に指導する渡辺さん(中央)
日本代表選手に指導する渡辺さん(中央)

協会設立から丸10年目にしてパラリンピックに初出場となる日本ボッチャチーム。団体戦にエントリー(4人)、そのうち3人が個人戦に出場する。パラリンピック正式種目の中でも最も重度の脳性麻痺者が行うスポーツだがあまり知られていない。 
ボッチャの魅力について、日本ボッチャ協会常務理事の渡辺美佐子さん(53)に聞いた。 
 
ーボッチャが日本に導入されたきっかけは? 
 
「古賀稔啓理事長がヨーロッパで開かれた脳性麻痺の人たちの国際大会に出席して、ボッチャ競技を見たこと。古賀理事長は養護学校の教員をしていたので、授業に取り入れようとレクリエーション的に始めた。 
私が関わったのは1995年、イギリスで開催した国際脳性麻痺者スポーツレクリエーション協会主催の大会。正式な国際ルールで行われており、大会役員は選手を障害者としてではなく、一人前のアスリートとして扱っているのに驚かされた。そこで日本でも国際ルールにのっとったアスリートを育てていこうと、1997年に日本ボッチャ協会を設立した」 
 
−10年という期間は? 
 
「10年かかったという感じ。日本では、まず経済的な問題。脳性麻痺の人のほとんどは仕事につけず、基礎年金で暮らしている。スポーツをやるゆとりもない。人材発掘の難しさもあった。選手は大会に出場した人の中から選ぶといった状況が続いている。また脳性麻痺の人たちはスポーツをやった経験がなかったため、人と競うという意識も薄かった。それをイメージしてもらうのも大変だった」 
 
−その間の苦労は? 
 
「脳性麻痺の人たちは生まれつき、体が緊張する。導入するときに、彼らの周辺のケアに関わっている人から『もともと体に緊張のある人に、より緊張させてどうするのか』との反発があった。そのため、『ボッチャをやったために2次障害が出た』と言われないためにも、3年間、競技をやっている人のデータを取るなどケア面にかなり力を入れた。いまでは当時の批判があったからこそ、ケアを真剣に考えられたと思っている」 
 
ー選手の成長は? 
 
「選手の自立が進んだ。例えば以前なら試合会場には家族や介助者をいっぱいつれて来ていた。経済的な側面もあるのだろうが、今では一人でやって来れるようになった。合宿などでは練習開始の時間だけが伝えられる。選手はそれぞれペースが違うので、自己管理して食事など各自が計画的に行うようになっている。そのほか、日常生活では、本当にやってほしいことが伝わらなかったとしても『これだけやってもらったんだから』とあきらめていた。しかし競技では、100%伝えなかったら負ける。伝えられなかった結果が目に見えて出てくる。そんな中で鍛えられて、自分の意志を簡潔明瞭に伝えられるようになっていた」 
 
ー世界ランキングはパラリンピックに出場できる11カ国中、10位の通過だった。 
北京では開催国の中国チームも含めた12カ国で競い合う。勝算は? 
 
「ボッチャ発祥の地のポルトガル選手は月曜から金曜まで練習して、月に1回は合宿している。日本では考えられない。だが、ボッチャは技術や体力だけでは決まらない。戦略などの頭脳面が大きな役割を果たす。都内の2選手には特にメンタル面の訓練を積んできた。科学的な手法も取り入れ、選手固有の投げる時のバランスを分析し、3年かけてその人固有のフォームを完成させてきた。一人ひとりが力を出しきればメダルも夢ではない」 
 
ーいま、初めてボッチャを知り、興味を深めていきたい人はどうしたらいいか? 
 
「ボッチャは障害者も健常者もハンディなく一緒にできるスポーツ。健常者が勝つとは限らない。実際に体験してもらうのが一番。協会ではアスリート育成と同時に、裾野を広げるため、レクリエーションとしてのボッチャの講習会にも取り組んでいる。また、選手たちは地域にボッチャを普及する役目も担っている。もし、近くのスポーツセンターなどで選手が練習していたら、気軽に声をかけてほしい。選手たちは気持ちよく応じてくれる」

(加國 徹)