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| 3月4日、東海将彦選手(3月1日付けでエイベックス・エンタテインメント株式会社に移籍)。中野警察病院にて |
春のおとずれとともに冬季五輪が終わり、パラリンピックがはじまろうとしている。日本代表アルペンチームの一部はアスペン(アメリカ)でのワールドカップ最終戦に出場している。高速系種目の滑降(DH)とスーパー大回転(SG)、スーパーコンビ(SC)が行なわれている。誰もがそこにいるはずと信じているであろうトリノ銀メダリスト・東海将彦は、都内の病院でリハビリに専念していた。
1年前、シーズンインと同時に左足を骨折し、その回復を待って出場した先月2月の白馬でのジャパンパラリンピックでさらに同じ左の足首を骨折してしまった。自然に治していけば6週間かかる。東海は、手術をきめた。
「万全の状態で、シェーンフェルダーと戦いたかった」
ドイツのシェーンフェルダー(LW5/7-2)は、今年で引退という情報がある。東海が倒さなければならない目標だった。
「それは残念だけど、僕はここで終わらない。みんなに支えられてスタート台に立っていることを感じるから。スキーは個人競技だけど、個人ではできないことをチームでやってきたと思う。今は、万全の体づくり、土台作りをしなくちゃいけない時期」
あくまでも、穏やかで、楽し気ですらある東海は、滑りへの自信とともに、滑れることへの感謝と周囲への信頼感に満ちていた。
身体にあった道具へのこだわり
東海の障害者スキーへの取り組みは、2003年に初・出場したワールドカップが一つの転機となったようだ。結果は6位で、このとき世界のレベルの高さを目の当たりにした。
翌年、それまで使っていた道具をすべて見直した。以前(障害のないとき)から使っていた道具から、より身体にあった道具を求め、イタリア製のものから行程や物づくりのポリシーで上を行くと思われる国産のスキーとブーツに履き替えた。調整を繰り返し、トリノで結果を出した後も、東海は自分の足にあったブーツを職人たちと一緒に模索し続けている。スキー職人たちの存在は東海を大きく励ましてくれるパートナーだ。人の想いや技術を信じることが東海の強さなのかもしれない。
東海は17日にバンクーバー入りする。これからその道具で戦うためにも、後輩たちに、大会での生活の仕方やプレッシャーに打ち勝っていくための支えになるためにも。そして、ケガをしても、スキーの第一線に戻ることができるということを必ず見せたい、と。
(佐々木延江)