関連カテゴリ: RIO 2016, コラム, 取材者の視点, 周辺事情, 競技の前後左右 — 公開: 2016年9月18日 at 7:38 AM — 更新: 2016年9月27日 at 4:30 AM

子供たちに伝えたい!〜リオで観戦するパラキャンのメンバーを訪ねて〜

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「パラキャンでは自分が社会の役に立っているという自負心が生まれる」と、メンバーの諸隈有一さんは言う。

NPO法人パラキャンという活動がある。最近になって、法人名をパラリンピックキャラバンから「パラキャン」に変更した。代表の中山薫子さんが、スポーツを通じて子どもたちと障害のあるスポーツ選手を結ぶ体験交流の活動をアトランタオリンピック(1996年)後に始め20年になる。そんなパラキャンの皆さんが観戦する観客席にお邪魔した。

リオパラリンピックに観戦に来た中山さんらパラキャンのメンバー 撮影・山下元気
リオパラリンピックに観戦に来た中山さんらパラキャンのメンバー 撮影・山下元気

アトランタオリンピックで商業化と同時にプロ化も進んだ。当時、ニューヨークでフリーの通訳やガイドの仕事をしていた中山さんは、アトランタオリンピックでのガイドの仕事でオリンピックに触れ、華やかだが「お金があってできるスポーツ」は面白くなかった。「アマチュアスポーツ好きなのだろうと思います。環境が整っていなくても、好きなスポーツに取り組んでいる。そんな姿を見ることが、スポーツの入り口になるのでは」と考えていた。

そして、オリンピックが終わり、パラリンピックがあるということで、気軽な気持ちで観戦に行った。「パラリンピックの選手たちは、みな、知られていないけれど、それぞれが輝いている。これが、本当のスポーツだ」と思った。パラリンピックは、アマチュアスポーツの人を動かす力が、底知れないと思った。

中山さんが一番最初に見たのは、女子車いすバスケットボール日本代表の試合「車椅子が流れるように動いていく。綺麗だった。なんとも言えない世界をみつけた気がした。魂が揺さぶられるような世界だった」

帰国後活動を始め、神戸の21の学校への「講演活動」の形でアプローチがはじまった。この時から、多くのパラリンピアンの協力が得られるようになり、活動は軌道に乗った。そして今も年間130回ほどの講演を通じて、障害者のスポーツを地域の学校の子供たちに伝える活動を続けている。

観戦を終えたメンバーに、それぞれが活動する理由を聞いてみた。

パラキャンメンバー・柴田凌さん 写真・山下元気
パラキャンメンバー・柴田凌さん 写真・山下元気

柴田凌 摂南大学4年生(経済学部)パラキャン活動暦2年目
「高校1年の時、脊損になって、先生がパラキャンを呼んでくれた。自分と同じ境遇の人ってこんなに多い!生き生きとしているってことがわかりました。スポーツをやることで、自分の人生を豊かにするきっかけをつかめたとも思います。
生きていく上で(障害があると)助けてもらう機会が多い。車椅子の扱いかた、どういう思いであるかということを、周りの人に知っておいてもらえたら気が楽です。自分で伝えていく。自分を含め、障害のある人が過ごしやすい環境を作っていけたらと思って、参加しています」

パラキャンメンバー・諸隈有一さん 写真・山下元気
パラキャンメンバー・諸隈有一さん 写真・山下元気

諸隈有一・43歳 パラキャン活動暦15年
「人が足りなくて、たまたま呼ばれたんです。大阪の学校で話をしました。その時に6000円もらってしまい、何もできてないのに、お金もらったという申し訳ないという気持ちがあった。次、呼んでもらったら、ちゃんとやろうと思った。そんなことから始まり、今となりました。とりあえず、人を楽しくさせようとしています。私は障害者はお手伝いしなければならない人と教えられた世代。本当は、子供の素直な感情が大事。足なくて気持ち悪い、とかね・・。そんな素直な反応に触れ、当事者として答えることが大切なんです。
ここリオでは、対戦のスポーツも、その二人だけでなく、会場のみんなが楽しんでいる。日本だと、剣道、柔道も選手を尊重しすぎているけど、スポーツをする周りでみんなが騒いでいいと思う。テニスでも、ラケット振らなくてもいい。好きであれば、うまくなくても楽しんで、声援挙げればいい。スポーツで楽しい、という思いが残ることが大切」

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