アジアパラ2018に向け東京で定時理事会

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右から、水野正幸氏/APC副会長(=日本障がい者スポーツ協会副会長)、麻生学氏/APC理事・大会調整委員長(=日本障がい者スポーツ協会アドバイザー) 写真・内田和稔

右から、水野正幸氏/APC副会長(=日本障がい者スポーツ協会副会長)、麻生学氏/APC理事・大会調整委員長(=日本障がい者スポーツ協会アドバイザー) 写真・内田和稔

7月5日、アジア地域のパラスポーツ最高峰の国際大会を担う、アジアパラリンピック委員会(APC/マジット・ラシェッド会長・本部:アブダビ)の定時理事会が京王プラザホテル(東京都新宿区)で開催された。2日間にわたる会議の1日目の終了後、水野正幸APC副会長(=日本障がい者スポーツ協会副会長)および麻生学APC理事・大会調整委員長(=日本障がい者スポーツ協会アドバイザー)により、記者への報告が行われた。進行は日本障がい者スポーツ協会。

アジア地域(中東〜東アジア)42の加盟国によるAPC定時理事会は、年2〜3回、開催されている。今回は、近年アジア地域でも大きな話題となっている、2020年パラリンピックに向かう日本・東京での開催が要望され、東京都組織委員会メンバーらのプレゼンが行われる中でのミーティングとなった。

おもな議題は、2018年開催予定のアジアパラ競技大会(ジャカルタ)の進捗状況に関して、開催都市ジャカルタ(インドネシア)の現地組織委員会委員を迎えた報告となった。

ジャカルタでは、来年8月にアジア大会閉会後、おなじ施設を使用して10月6〜13日ににアジアパラ競技大会を開催する。開催に向け課題をクリアし順調に進んでいる。

ーー現在のアジアパラの役割と課題はどのようなところにあるか?

水野正幸氏/APC副会長(=日本障がい者スポーツ協会副会長) 写真・内田和稔

水野正幸氏/APC副会長(=日本障がい者スポーツ協会副会長) 写真・内田和稔

「オリンピックに準じる大会として、パラリンピックのブランディングが成功しつつあり、障害のある人のスポーツの価値が高まっている。そこで、アジアパラ競技大会も、アジア大会に準じる大会と位置づけていき、アジア地域でのパラスポーツの価値を高めていきたいと考えています。東京2020年のパラリンピック開催は、アジア地域の選手にとっても大きな機会となっています。日本からパラリンピックの魅力や価値を伝え、アジア社会に貢献したい」と、水野氏は話す。

オリンピックとパラリンピックは、2008年(北京/中国)以降、共通組織で開催する契約が結ばれ現在に至っている。一方、アジア大会とアジアパラ競技大会の間に契約はない。オリンピック・パラリンピックにならい、同一会場、施設を利用することが、APCと現地組織委員会で取り決められる。開催都市ごとの国民のスポーツ・障害に対する理解の度合い、APCメンバーと地域とのコミュニケーションが大会の質を左右する。



アジア地域でのパラスポーツの進展は、選手・競技を支える環境に加盟国の経済状態の問題が大きい。指導者や遠征費用のほか、競技用の車いす、用具のメンテナンスなどに十分な資金を投入できる国は少ない。

中国が障害のあるトップアスリートを重点強化して多くのメダルを網羅し、戦時下にある国々は傷痍軍人出身の選手が多くのメダルを獲得する。一方で、フェスピック当初から支援の対象である開発途上国の障害者については経済格差や差別といった問題がすみやかな改善をみない。



このようにアジア地域ならではのパラスポーツの課題を担い、障害者を入れた社会を築いていくのが、2020東京への日本のパラリンピックムーブメントを担うホスト東京・日本のすべての人々、そして、APCメンバーとなっている9名の日本人委員である。

来日したAPC理事会メンバーは、翌6日、2日目の会議を終え、2020東京オリンピック・パラリンピックの施設見学ツアーを経て帰国する。

アジアパラ競技大会とは

7月5日、アジアパラリンピック委員会の定時理事会が京王プラザホテルで開催され、記者への報告が行われた。進行は日本障がい者スポーツ協会 写真・内田和稔

7月5日、アジアパラリンピック委員会の定時理事会が京王プラザホテルで開催され、記者への報告が行われた。進行は日本障がい者スポーツ協会 写真・内田和稔

アジアパラ競技大会は1975年より「フェスピック競技大会」として大分で始まった。イギリスのストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターに留学し、パラリンピックの父・ルードヴィッヒ・グッドマンに影響を受けた、大分中村病院の院長・中村裕氏(故人)が、アジア地域の障害のある人々にもスポーツをと提唱してスタートした。1986年、第5回・神戸大会では現在の42に近い加盟国が参加する大会に成長。パラリンピックをお手本にしながらも、欧米と社会状況の異なるアジア地域、とりわけ開発途上国の障害のある人々の医療、福祉の目的でスポーツ大会が開催され、障害者の社会参加が模索された。

2000年代、オリンピックとパラリンピックが組織統合に向けて進展するなか、2002年釜山大会(韓国)からIPC(国際パラリンピック委員会)公認大会となり、2006年クアラルンプール大会(マレーシア)までの9回にわたり開催され「フェスピック競技大会」としての幕をおろした。

2010年広州大会(中国)からは、IPC国際パラリンピック委員会のアジア地域の大会として、フェスピクの理念も受け継ぎつつ、パラリンピックに準ずる「アジアパラ競技大会」と位置付けられ再スタートした。

アジアユースパラ、今年ドバイで

2003年からアジアユースパラゲームズ(香港/旧・フェスピックユース大会)も始まり、2009年には東京で開催された。このときに発掘された日本代表選手の多くが、現在パラリンピック日本代表の主力として成長している。開催国での選手発掘の成果と重要性を競技関係者の多くが体験した。次のアジアユースパラは今年12月にドバイ(UAE/アラブ首長国連邦)で開催される。

<参考>

アジアパラリンピック委員会  
アジアパラゲームズ2018(インドネシア) 
アジアユースパラゲームズ2017(ドバイ)

アジアパラに関するパラフォトの記事 
2009東京アジアユースパラゲームズ(パラフォト)