関連カテゴリ: Tokyo 2020, 取材者の視点, 柔道 — 公開: 2018年10月1日 at 11:30 PM — 更新: 2021年5月31日 at 11:24 PM

「後悔をしたくない」。柔道・藤本聰、6度目のパラリンピックへの思いとは

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9月16日、社会のリーダーと障がい者が一緒に働き方を考えるイベント「LIVES TOKYO 2018」(認定特定非営利活動法人ハンズオン東京 主催)が東京ミッドタウンで開催され、視覚障害者柔道・パラリンピック金メダリストの藤本聰(徳島県立徳島視覚支援学校)がパラアスリートによるトークショーに出演した。

ゲストにはウィルチェアーラグビー元日本代表の三阪洋行や、クラブチームのスタートラインTokyoで陸上競技などを楽しむ大腿義足の西陰智美も招かれ、MCは元総合格闘家の大山峻護が務めた。

ゲストとして参加した藤本聰(右)とウィルチェアーラグビー元日本代表の三阪洋行(真ん中)。MCは総合格闘家の大山峻護(左)
ゲストとして参加した藤本聰(右)と三阪洋行(真ん中)、MCの大山峻護(左)

トークショーではゲストの2人が競技をはじめたきっかけや魅力について語られた。そのほか、初めて世界の舞台で戦った時の思い出について大山に聞かれると、三阪が「日の丸が付いたジャージを着て国歌斉唱をしたときにジンと来た」と答えたのに対し藤本は「21歳でアトランタパラリンピックに初出場し、なんとか優勝することができたので、実はあまり記憶がない」と回答し、会場を沸かせた。また、東京パラリンピックについて藤本は「厳しい戦いになると思いますが、地元の日本の方の声援を浴びながら、日本武道館で一番高いところに立って引退したい。みなさんの期待に応えたい」との思いで締めくくった。

普段は視覚支援学校の教員である藤本。各地に講演で飛び回っている。
普段は視覚支援学校の教員である藤本。地元の子供たちに経験から学んだ話を伝えている。

トークショーを終えた藤本は「普段徳島に住んでいますが、東京はこうやって頻繁にイベントが開催されて、パラリンピックに向けて盛り上がっているんだなというのが伝わってきた。他の競技のパラアスリートと話すことができて、とても楽しかったです」と振り返った。

柔道歴38年。強さの秘密は

5歳の時に柔道をはじめた藤本。21歳で初めて出場したアトランタパラリンピックで優勝すると、シドニー・アテネと3大会連続で金。北京でも銀メダルを獲得した。ロンドンの切符は逃したものの、リオで復活の銅メダルを飾った。

現在43歳の藤本が「自分の中で今が一番最強」という理由の一つに、新たな武器を増やしたことにある。投げ技を得意としていたが、リオの前から寝技の強化に取り組んでいるからだ。「勝つ確率を1%でも上げるため。長所を伸ばすよりも短所を伸ばすほうが早いという考えです。抑え込んで勝てたら」。また、トレーニングではラガーマン相手にスクラムを組む練習を取り入れ、重心を低く保てるようになった。

視覚障害者柔道は、健常の柔道とほぼ同じルールで行われる。唯一の違いが、組み手争いをせずにあらかじめ組んだ状態からスタートすること。しかしリオの後にルールが改正、「有効」が「技あり」の中に組み込まれ、「技あり」と「一本」のみになった。

今年4月のW杯(トルコ)では7位に終わったが、「新しいルールでの試合を確認できてよかったし、審判がどのタイミングで指導を取るのかとか、相手選手の情報もわかったから、今後につながる大きい経験。今は負けてもいいので東京パラリンピックに出場して勝ちたい」。

今の自分にとって勝てる最善の方法を常に分析する。それが第一線で活躍し続ける秘密だ。

愛読書は「武士道」。「日本人ってすごいなって。背筋伸びますよ」
愛読書は「武士道」。「日本人ってすごいなって。背筋伸びますよ」

座右の銘は「後悔しないために一生懸命生きる」

38年やってきてやめようと思ったことは?の質問に、「ないです!」と即答。その理由は、後悔したくないからだという。

「人が死ぬ時に思うことっておそらくお金のことより、チャレンジしなかったことに対する後悔だと思うんです。数回の両手首の手術をして不安になったことはあったけど、まだ自分の中ではやりきってないから。”でも””だって”と言っていても時間が過ぎていくだけ。今できることって今しかない。やるための方法を見つけたら、意外とできるものなんです。好きな子に告白できなかったな、とかそういう人生の後悔はいくらでもありますよ(笑)」。

16年ぶりのパラリンピック金メダルへ、藤本の誓い

藤本の目標はもちろん、東京パラリンピックでの金メダル。実現すれば、2004年のアテネパラリンピック以来、16年ぶりだ。

「16年ぶり? 赤ちゃんが高校生になってるほどの年月…長い…。その分対戦相手も若いし」。

そのためにも、10月のアジアパラ大会は大事なステップだと考えている。「ここから東京までが本腰になってくると思うので、まずは10月のジャカルタでメダルを獲るのが目標。リオ金メダルのウズベキスタンの選手ともう一回対戦したいな」。

「いろんな人に育ててもらってここまできたので、還元しなかったら男じゃない。またここから1つ1つ階段を上って、東京パラリンピックで金メダルを獲って恩返しがしたい。東京だったらたくさんのお世話になった人たちの目の前で戦えるんだと思うと、胸が熱くなりますね」。

45歳で迎える、2年後の東京パラリンピック。

日本武道館で一番高い景色を見るために―――レジェンドの挑戦は続く。

「日本武道館で試合をしたことがまだない。表彰台に上がれたら…涙出るだろうな」
2020年の会場となる日本武道館で試合をしたことは、まだない。                               「表彰台に立てたら…涙出るだろうな。またいろいろな意味で人生変わるんじゃないかな」

(校正・金子修平)

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