関連カテゴリ: World Paratriathlon Series, サイクリング, トライアスロン, ブラインドスポーツ, 地域, 東京パラムーブメント, 神奈川 — 公開: 2019年5月21日 at 9:20 AM — 更新: 2021年5月29日 at 11:59 AM

「悔しいほど、楽しい!」リオ自転車・銀の鹿沼がエイジパラトライアスロンで復活!

知り・知らせるポイントを100文字で

投稿はこちら(メールソフトが開きます)

リオパラ銀メダリストの鹿沼由理恵、パラトラ初参戦

5月19日(日)、横浜トライアスロン2日目。前日にオリンピック・パラリンピックにつながるエリートレースが行われたのと同じ山下公園で、市民による「エイジグループ(5歳ごとの男女)」のレースが開催された。パラトライアスロンにも過去最多の29名が出場、7時15分に第1ウェーブでスタートした。 年々参加者が増えるエイジパラトライアスロンだが、今年は2人のパラリンピック・メダリストが出場するレースとなった。うち一人が、リオパラリンピック(2016年)自転車の銀メダリスト・鹿沼由理恵(視覚障害/B2)である。

エイジパラトライアスロンでフィニッシュテープを切る、リオ銀メダリスト鹿沼由理恵とガイドの脇真由美 写真・山下元気
エイジパラトライアスロンでフィニッシュテープを切る、リオ銀メダリスト鹿沼由理恵とガイドの脇真由美 写真・山下元気

「自転車20kmのあとのランは楽勝じゃないかと思っていましたが、けっこう苦戦してしまいました!」
フィニッシュ後、呼吸を整えながら、こらえきれない喜びに包まれた表情で鹿沼は話した。 スイムは義手制作が途上にあるためスキップし、バイク20kmを37分25秒、ラン5kmを33分36秒で終えた。

バイクスタートする鹿沼(後)とガイドの脇真由美(前) 写真・山下元気
バイクスタートする鹿沼(後)とガイドの脇真由美(前) 写真・山下元気

鹿沼は、冬季バンクーバーパラリンピック(2010年)にクロスカントリースキー日本代表として出場。その後、左肩を痛めて自転車に転向。リオパラリンピックに自転車競技で出場し、銀メダルを獲得した。
しかし、リオを終えた直後に神経まひで痛めていた左腕を切断手術。以降、闘病生活を続けるも、競技への復帰、さらには自国開催となる2020東京にトライアスロンで出場することを目指している。夏・冬のパラリンピックに出場し、複数の競技に挑戦し続ける、不撓不屈のアスリートだ。
横浜での「エイジパラトライアスロン」が、長い闘病生活を経た目標の一つであり、パラリンピックへの復帰戦となった。
「リオのあとすぐ入院したので、実は(トライアスロンで)自転車に乗るのは今日が初めてなんです。練習すらしていません。(闘病の)苦悩のなかで(どうなるかと)いろいろ考えていましたが、今、一番は、悔しさです。悔しいくらい、楽しかった。初めて乗った時の楽しさだった」
と鹿沼は話す。
「悔しい。」というのは、闘病の苦悩のすえ、自転車に乗れて嬉しい。練習ができ、パラリンピックを目指せる身体があることへの喜びの表現(言葉)として筆者に伝わってきた。

ガイドとの出会い

「一緒に出てくれる選手がいなくて、探していたんです」というガイド。 今回、鹿沼のガイドを引き受けたのは、脇真由美だった。リオパラリンピック日本代表の円尾敦子のガイドの経験もあるベテランガイドで、エイジグループのトライアスリートでもある。鹿沼とのレースのあと、自分のレースにも出場する。

トライアスロンで初バイクパートの鹿沼由理恵 写真・秋冨哲生
トライアスロンで初バイクパートの鹿沼由理恵 写真・秋冨哲生

「(鹿沼は)トライアスロン初めてと思えない選手。当然ながら、脚力も違うし、最初は私のほうがこわごわしてしまい、叱られました(笑)。1周目、2周目、3周目とどんどん成長していきました」
と、脇は鹿沼とのレースの感想を話し、これまでの選手とは違うことを感じとっていたようだ。 鹿沼の方も東京都町田市在住で、関東圏でガイドが少ないことを知っていたため、脇の申し出に感謝していた。

パラアスリートを育てる地域の課題

視覚障害のトライアスリート、もしくは自転車選手を育てるには、ガイドの存在が欠かせない。東京2020を機会に選手、ガイドが増えたというが、関西に集中している。
横浜開港150周年の記念事業として誘致された横浜トライアスロンは、今年で10回を迎え、昨年は2日間で42万人を超える観客が会場の山下公園周辺を訪れた。そんな、観光都市としてのブランドを築こうとしているのがひしひしと伝わってくる大会だが、実際は(県内では)2人乗り自転車の走行が禁止された歴史により、視覚障害の選手が練習しにくい状況にある。大会期間中は特別に警備が行われ、海外選手含め練習が阻害されることはなかったが、たとえ制度として改善されたとしても、競技環境としての文化を育てなければ同じことだろう。よって、今のところ選手も関西に集中している。

ミックスゾーンでのインタビューに嬉しそうに応える鹿沼 写真・秋冨哲生
ミックスゾーンでのインタビューに嬉しそうに応える鹿沼 写真・秋冨哲生

こうして、銀メダリスト鹿沼は「トライアスロンの初チャレンジ」を果たした。
「やれないってあきらめないで、どれだけやれるか? 試せる身体はある。スイムはクロカンのトレーニングでもやっていた。自転車は感覚を戻すことができる。伴奏者とのランニングも実は初めてですが、いろいろな模索をしながら進めていける。つまり、試せることがいっぱいあるってこと!」
と、この日の鹿沼はポジティブ・シンキングが突き抜けていた。
また鹿沼は、
「パラリンピックって、障害の軽い人のスポーツってイメージがあると思うんです。重度の人にも競技する権利はもちろんあるし、重複障害の人でもやりたいって気持ちがあれば、できる。私はそれを証明できる。どんどん自分を試して門戸を開いていきたい。それから、パラリンピックが全てではありません。パラにない種目もある。大事なのは、運動したい、動きたい、という気持ち。そして、多くの楽しさを仲間と分かち合えるかが重要」
と話してくれた。

<参考> 横浜トライアスロン・リザルト https://yokohamatriathlon.jp/wts/result_all.html

(編集・校正 望月芳子)

この記事にコメントする

記事の訂正はこちら(メールソフトが開きます)