アジアパラ, 仁川, 周辺事情, 雑感 — 2014年11月7日 at 12:43 AM

仁川アジアパラを終えて

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2014仁川アジアパラ競技大会・閉会式 写真・越智貴雄

2014仁川アジアパラ競技大会・閉会式 写真・越智貴雄

10月24日、仁川(韓国)文鶴競技場で2014仁川アジアパラ競技大会の閉会式が行なわれ、7日間の競技の幕を降ろした。
4年前の広州大会から始まった2度目のアジア大陸でのパラスポーツの総合大会。それまでの「フェスピック(※)の理念」を引き継ぐ大会とされていたが、パラリンピックを頂点としたアジア最高峰の競技スポーツへと変貌を遂げた。フェスピックは、参加する国、選手たちの「それぞれの思い」を、どれだけ切り捨てることなく受け入れることができるかという点を重視していたが、それは、「もうない」と言わなければならないのが一つの現実のようだ。
北朝鮮を含む41カ国から4500人の選手が参加した史上最大の今大会では、韓国、タイ、イラン、カザフスタン、ウズベキスタンなど、競技面での成長があった。その中で日本は、得意の車いす陸上や、長年取り組んできた車いすバスケットボール、柔道、ゴールボールなど4年前は穫れたいくつかのメダルを逃している。調整も順調、ベストを尽くして挑んだが、他の国の選手やチームの力が勝ってきていた種目が数多くあった。結果、日本はランクを1ランクさげ、韓国と順位を交代してアジア3位だった。

<水泳>
水泳は、北京パラリンピック(2008年)に向けて強化してきた中国が、その後も積極的に強化し、ロンドン、今大会でもナンバーワンの実力をキープした。日本は2位。キャプテン木村敬一(S11/24歳・東京ガス)が金メダル4個、ベテラン山田拓朗(S9/23歳・NTTドコモ)が金メダル3個を獲得し、日本全体では最多の16個の金メダルを含む52個のメダルを獲得した。機能障害、視覚障害、知的障害のクラスがリオパラリンピックを目指した一つのチームとなり、自己ベストを意識して闘った。

仁川2日目、男子100MバタフライS9で山田拓郎は銀メダル。競技後、隣のコースを泳いでいた韓国の1位の選手と握手を交わす

仁川2日目、男子100MバタフライS9で山田拓郎は銀メダル。競技後、隣のコースを泳いでいた韓国の1位の選手と握手を交わす

水泳競技では韓国、カザフスタン、ベトナムなどからの出場選手が増えた感がある。一方で視覚障害には強豪・中国に選手が少なく、知的障害には中国人選手がほとんどいなかった。
木村敬一の視覚障害・S11(全盲)は人数が少ないため、障害の一つ軽いクラス・S12(弱視)と統合され、レースが開催された。木村は自分にとって不利となるクラスで泳ぎながら優勝したが、「これで(自分が)勝てるようではアジアのレベルが低い。世界選手権では正式なクラスで闘っても勝つことは難しい」という。
多くの選手を派遣し、メダルも獲得した水泳だが、アジアでメダルを獲得しても、2020年・東京で競技が開催されるとき、世界に通じる若手は数名しかいない。

キャプテンを努めた木村敬一100Mバタフライ・SS11(全盲)の泳ぎ。

キャプテンを努めた木村敬一100Mバタフライ・SS11(全盲)の泳ぎ。

パラリンピックでのメダル獲得を目標に日本代表コーチ峰村史世(上右)が指導するチーム。池愛里(上左)、西田杏(左)、鈴木孝幸(中央)、水上真衣(右)最終日

パラリンピックでのメダル獲得を目標に日本代表コーチ峰村史世(上右)が指導するチーム。池愛里(上左)、西田杏(左)、鈴木孝幸(中央)、水上真衣(右)最終日

<陸上>
陸上競技は、日本から40名ともっとも多くの代表選手を送り出したが、参加したほとんどの地域で取り組まれている。日本は、金メダル14個を含む42のメダルを獲得して3位。車いすT54・中長距離ではトップの座を奪い取られたが、砲丸投げ・加藤由希子による世界記録を始め、義手、義足、視覚障害クラスでは若手、ベテランともに力を発揮した。

リレーで優勝した日本。メダルセレモニーで。左から、多川知希、佐藤圭太、鈴木徹、山本篤

リレーで優勝した日本。メダルセレモニーで。左から、多川知希、佐藤圭太、鈴木徹、山本篤

フィールド競技・女子砲丸投げで、日本代表として初出場の加藤由希子(F46・義手/21歳・仙台大学)が、12M21で世界記録を更新、金メダルを獲得した。
トラック競技は、視覚障害の和田伸也(T11/37歳・大阪府視覚障害者福祉協会)が、800M、1500M、5000Mで3個の金メダルを獲得した。

エントリー3種目(800m、1500m、5000m)で優勝した視覚障害・T11和田伸也とガイドの今木一充。800Mを終えたゴールエリアで

エントリー3種目(800m、1500m、5000m)で優勝した視覚障害・T11和田伸也とガイドの今木一充。800Mを終えたゴールエリアで

若手は、2009年に東京で行なわれたアジアユースパラゲームズから日本代表として成長した選手が活躍、佐藤圭太(T44・下腿義足/23歳・中京大学)、堀越信司(T12・視覚障害/NTT西日本)が、それぞれ2種目で金メダルを獲得。車いす・200Mで19歳の弘岡正樹(T34/神奈川大学)が3位に入った。

日本勢は、2年前のロンドンパラリンピックで得意の車いすマラソン(T54)で世界に差をつけられた。だが、今大会はマラソン種目がなく、トラックでの中朝距離レース(T54)で、タイ、中国の選手が1つのレースに複数人で出場し、世界ランク上位の樋口政幸(35歳・バリストライド)を5000Mで銅メダルに封じた。さらに、800M、1500Mでは樋口にメダルをとらせなかった。T53・800Mではベテラン廣道純(40歳・プーマジャパン)が韓国の選手と接戦し銅メダル、中国、タイによるアジアのレベルアップが印象深かった。
「世界選手権よりアジアのレベルが高くなっている」と、レース後の樋口は話していた。

一方、車いすトラックレース短距離(T54)は、100Mで51歳のベテラン永尾嘉章(ANAORI A.C)が銀メダルと健闘した。

車いす800M・T54のレース。タイ、中国のチームでのハイレベルな攻撃に世界ランキング上位の日本の樋口政幸が惨敗。

車いす800M・T54のレース。タイ、中国のチームでのハイレベルな攻撃に世界ランキング上位の日本の樋口政幸が惨敗。

<バドミントン>
バドミントンは2020年・東京パラリンピックの正式種目となる。もともとアジア地域で人気が高いスポーツだ。アジア大会が世界レベルを牽引していると言われているが、前回大会までは日本も金メダルを獲得していた。今大会は銅。立位、座位ともに、地元韓国、インドネシア、中国、マレーシア、インドと多くの国で強い選手を出してきたため、日本は7位に転落した。

立位では、重度障害のSL3は大腿義足とポリオが同じクラスで、日本からは義足、優勝したインドネシア他の国々はポリオの選手が多く、熟練した義足使いの藤原大輔(SL3/22歳、筑波大学3年)が苦戦していた。

<その他>
9月にアメリカで開催された世界選手権ロードで優勝した鹿沼由理恵(視覚障害)が男子との統合クラスで優勝。

その他、車いすテニスは、世界王者の地位を不動のものにしている国枝慎吾が圧勝。今大会からアジア大会の種目となったウィルチェアラグビーも世界での経験が豊富な日本が圧倒的強さをみせて勝利した。

知的障害卓球では、国内チャンピオンシップ大会上位の竹守彪(21歳/千葉県)が金メダル、アテネパラリンピックに出場したベテラン竹田隆(34歳/東京都)が銅メダルを獲得した。

ロンドンパラリンピックで優勝したゴールボール女子は中国、イランに破れ3位に終わった。

車いすダンスが今回初めて種目として登場、日本からも選手が参加した。パラリンピック種目への検討も行なわれている。

ウズベキスタンの浮上/中国の圧勝
参加人数とメダルの数に注目すると、日本は298人の選手が参加し143個のメダルを獲得して3位。開催国韓国が335人の選手により211のメダルを獲得し2位。4位のイランは200人、6位のタイは217人が参加した。注目は、5位のウズベキスタンだが、わずか26人の代表選手で金メダル数22個、トータルでは31個のメダルを獲得し、強豪国タイを差しおいてアジア5位に浮上して来た。選手層には視覚障害が多いが、日本、中国が強い種目を避け、少人数でメダル数を稼ぐ戦略が成功したようだ。
中国は、自国開催だった北京パラリンピックに向けた強化からの手を緩めず、ロンドン後、今大会でも世界トップの座に君臨している。日本が1989年長野で2度目の自国開催となったパラリンピックを終え、その後障がい者スポーツが忘れ去られた状況とは大きく異なっている。

中国は、自国開催の北京パラリンピックにむけた強化からの手を緩めず、ロンドン後、今大会でも世界トップの座に君臨している。日本が1989年長野で2度目の自国開催となったパラリンピックを終え、その後は障がい者のスポーツが忘れ去られた状況とは大きく動きが異なっている。
また、大会期間中に行なわれたINAS-FID(国際知的障害者スポーツ連盟)の会議で中国の加盟が決まり、近く、知的障害クラストップにも中国が進出してくることだろう。

大会の運営・課題について
開会前、健常者のアジア大会での大会運営のまずさや現地での事件など、マイナスの報道が多くあった。同じIOC系列の組織、会場で行なわれる障がい者のアジア大会であるだけに、どのような大会になるかと不安もあった。日本と韓国、中国の政府レベルでの関係の悪さも、現地での競技や取材に影響しないかと懸念があったが、日本選手のパフォーマンスに影響するような大きな不手際や事件はなかったと感じる。
2003年に同じ韓国で行なわれたフェスピック釜山大会と同様、むしろこのような国際関係下にあるからこそ、地元の人々は礼儀正しく、思いやりある態度で日本人に接してくれたと思う。
課題は、障がい者の大会で、相変わらず一般の観客が少ないことだろう。応援団が駆けつけた試合も、あきらかに学校などへの動員であり、ロンドンのように「仕事帰りに、休日家族づれで」という観戦客は見当たらなかった。

開会式の入場行進で北朝鮮の国旗が。初めて北朝鮮から9人の選手が参加した。運営全般は緊張した政府間に配慮したのか親切なおもてなしがあった

開会式の入場行進で北朝鮮の国旗が。初めて北朝鮮から9人の選手が参加した。運営全般は緊張した政府間に配慮したのか親切なおもてなしがあった

開会前の夜、トーチイベントが市街の広場で行なわれた。そこには一般の人々も来ていたが、町内会の盆踊りくらいの規模で、視覚障害のアーティストによるコンサートが行なわれていた。国際イベントとしては英語のガイドもなかった。地域に向けた障がい者スポーツ啓蒙イベントであり、日本でアジアパラを行なったとしても、こうなるだろうことは予想できる。

開会式の日本選手団入場行進

開会式の日本選手団入場行進

それでも、フェスピックと違い、この大会がAPC(アジアパラリンピック委員会)が主催する、世界トップを目指す選手のための「アジア地域のパラリンピック」を目指していることは明らかだったし、実際そのレベルの競技運営が行なわれた。
目指すあり方の変化とともに、実際の参加国の経済力、福祉のあり方、思想、慣習によるスポーツや障がいを取り巻く状況はどう変わっただろうか?日本は、どうだろうか?ということを、大会期間を通じて考えたが、答えはまだ出ていない。

次回大会は2018年、インドネシアのジャカルタで開催される。

*フェスピックとは
アジアパラ競技大会の前身。1975年に大分の社会福祉法人「太陽の家」の中村裕氏が提唱し、別府で第1回大会が開催された「極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会」。欧米に比べて障がい者のスポーツの機会が限られていたアジア・太平洋地域での競技・福祉の向上を目的に2006年まで9大会が開催された。日本、アジア大陸と南太平洋の国々が対象地域となっていた。

▼パラフォト・フェスピック2006クアラルンプール大会取材
http://www.paraphoto.org/2006/?category_id=8