旭川らしさへのこだわりをめぐって 〜IPCクロカン・ワールドカップ〜

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荒井監督のかけ声をあびながらスタートする14歳の星澤克(立命館慶祥中学校)若い選手の成長を楽しみにするニッポンマンら旭川市民の応援団

荒井監督のかけ声をあびながらスタートする14歳の星澤克(立命館慶祥中学校)若い選手の成長を楽しみにするニッポンマンら旭川市民の応援団

 アジア初となった旭川でのIPC(国際パラリンピック委員会)クロスカントリースキーワールドカップは、2月19日に7日間の全日程を無事に終了。閉会式後に行なわれた、さよならパーティでは、各国の選手、競技スタッフから、組織委員会、ボランティアに対して大きな感謝の言葉が述べられた。

 大会の主催は、地元のスキー、障害者スポーツ、文化、観光などを目的とする市民団体による「2015 IPCクロスカントリースキーワールドカップ旭川大会組織委員会」で、障害のある人や、海外からの参加者を招いた国際的なスキー大会の経験がある。彼らが、98年・長野パラリンピック以降の日本で初の障害者クロスカントリースキーの国際大会を実現した。実際の大会運営にどのように取り組んだか。

メダルセレモニーのリハーサルでうちあわせする太田渉子バンクーバーパラリンピック・銀メダリストと、ボランティアの五十嵐正幸さん(車いす紅蓮隊)、ニッポンマンら

メダルセレモニーのリハーサルでうちあわせする太田渉子バンクーバーパラリンピック・銀メダリストと、ボランティアの五十嵐正幸さん(車いす紅蓮隊)、ニッポンマンら

「旭川らしさをイメージしたかった」と、大会セクレタリー(庶務)をつとめた、成田知樹さんは、すべての準備をほぼ終えた大会前日に話してくれた。当初、競技やセレモニーなど、時間のゆとりあるスケジュールを組んでいた。高齢者や、障害のある子供たちが、様々な場面で大会ボランティアとして参加したが、彼らが無理なく、工夫して取り組めるよう配慮したものだろう。

 しかし、大会を主導するIPC側の要求は、この提案に対し「スピーディに」ということで、地元の競技スタッフとIPCスタッフの間に乖離したイメージがあった。

 今大会の競技進行を決定するのは、ロシア人のTD(テクニカル・デリゲイト)ゲオルギー・カディコフ(Georgy Kadykov)氏を中心とした、IPC側のルールを遂行する審判チームで、組織委員会側の進行を代表して行なう成田さんは、要求を満たしつつ、旭川らしさを発揮するにはどうしたらいいか、各担当との調整に奔走した。

テクニカル・デリゲイトのゲオルギー・カディコフ(Georgy Kadykov)氏

テクニカル・デリゲイトのゲオルギー・カディコフ(Georgy Kadykov)氏

 成田さんら、日本人競技スタッフの対応に対して、ゲオルギー・カディコフ氏は、さよならパーティでコメントをくれた。
「2006年のバーサーロペットを経験し、旭川が日本のクロスカントリーの中心地だということは知っていたが、初めての開催で、IPCの大会として、いくつか問題があると思っていた。しかし、着いてみて、驚いたのは、準備がすべて整っていたことだ。大会バックアップ、宿泊、食事、人々の出会いと交流の場が、すでに準備されていた。
 通常、事前にジュリーメンバーと組織委員会は話し合い、要求に沿っているか、調査をする。その要求リストは、世界中の全ての組織委員会がクリアできるわけではない。旭川では、富沢のコース係の皆さん、ボランティアまで、要求は満たされた。スタジアム、コース、セレモニーの内容も含めて。さらに、私たちの意向を聞くことも忘れなかった」

 また、カディコフ氏は、「個人的には、旭川らしさとIPCの意識のずれはあると思います。組織委員のみなさんが目指していたのは、確かに重要なことだ。アジア人の文化、日本人の文化、気持ちが穏やかとは聞いていたが、それは今回、表情やふるまいから感じ取ることができた。しかし、当初、意識のずれはあった」と話した。

 たとえば、日々のコース準備は真夜中の作業だったが、あらかじめ決められた、スタンディング、シッティング、男・女のそれぞれのコースレイアウトに加え、TDによるコース整備や変更の指示があり、結果的に競技開始前まで調整が行なわれた。
「コース係の方は、毎日圧雪はしていましたが、スタートする時刻に意識のずれがあった。圧雪は降雪確率が20%でもする。雪が降れば、その都度圧雪する。コース変更も、安全上の理由を考慮している。やっていくうちに理解し合い、お互い学びあったと感じている」と、話してくれた。

視覚障害クラスで優勝したアイリク・バイ(ノルウェー19歳)とガイドを囲んで写真撮影。セレモニーでアテンドを担当する北海道雨竜高等養護学校の学生ボランティア

視覚障害クラスで優勝したアイリク・バイ(ノルウェー19歳)とガイドを囲んで写真撮影。セレモニーでアテンドを担当する北海道雨竜高等養護学校の学生ボランティア

 今後の旭川での大会に希望することとして、カディコフ氏は、「バイアスロンの会場がほしい。そして、ここ旭川で、日立やソニーなど日本のデジタル技術を投入し、電光掲示板やスタンド、雪中に設置できる計測用のセンサーも設置したい。多くの観客、ブラスバンドの演奏、生中継など、ノルディックの世界選手権を旭川で開催したい!」と話していた。

 放送を担当した今野征大さん(北海道雨竜高等養護学校)は、日頃から旭川らしさを大切にするスタッフのひとり。知的障害のある学生ボランティアとの放送局の運営に加え、メダルセレモニーの進行も努めた。これまでも場内放送では、選手のプロフィールやパラリンピックでの活躍を紹介するMCで会場を盛り上げていたが、IPCルールの今大会では英語での放送がメインとなる。今野さんは、地元のファンを増やす重要性から、英語と日本語の放送を行ない、合間に、いつもの楽しいMCを取り入れ、選手情報、応援団長・ニッポンマンの様子を多くの観客に伝えた。また、アジアで初のワールドカップ、日本を代表する雪国・旭川を印象づける選曲で演出した。

 こうして、9カ国から53名の選手を含む約100名の選手団を、地元の約100名の大会組織委員と200名を超える地元を中心とした市民ボランティアが、レース・練習・滞在を支えた。また30社・約80名になるメディアが大会を報じた。大会期間を通じて、自然の雪質やコース整備の状態によるレースへの集中力の高まりがあり、地元ボランティアの素朴で優しい歓迎ムード、居心地の良さが、旭川大会の成功のかぎになったようだ。