パラフォトニュース
記事掲載日:2004/02/24

国際大会にみた、スポーツの「クオリティ・オブ・カルチャー」

 障害者アルペンスキー世界選手権の行なわれたオーストリアから帰国し、1週間が過ぎました。若干の時差ボケと、その何十倍も鮮明な大会の記憶が、今も私の中には残っています。それが薄れてしまう前に、大会を通じて感じたさまざまなことを書き綴り、レポートのまとめとしたいと思います。

photo好天
 今大会は、本当に天気に恵まれました。アルペンスキーのイベントでは、実はこの天気がもっとも大きな、そしてもっとも対処のむずかしい問題なのです。考えてもみてください。スキー場になぜあれだけの雪があるかといったら、それは基本的に天気が良くない場所だからです。そこで1週間も大会を開くからには、雪に降られる日があったとしても無理はないでしょう。そして天候が荒れれば、レースが延期もしくは中止となることもめずらしくはありません。それが一切なく、予定どおりにすべてのスケジュールを消化できたことは、一見あたりまえのようでいて、本当はすごいことなのです。
 なお、写真からはそれほど天気が良いようには感じられなかったかもしれませんが、それはコースの構成上、レース中はほとんど陽が差さないためです。明るい陽光を浴びて滑る選手の姿を撮ることができなかったのが、少しだけ心残りではあります。

(写真:全日程を通して、天候に恵まれた今大会。とくに終盤は春のような暖かさだった。)

photo地元
 地元チロル州、そしてオーストリアの力の入りようは、相当なものでした。国営テレビによる中継が入り、また毎日の表彰プレゼンターには、往年の名選手や各界著名人が集められました。観客の数も、相当なものです。スキーの観戦や応援に日頃から親しんでいる国民ですから、楽しみ方、そして盛り上げ方も本当に上手で、あらためて感心させられました。
 その声援を受けた地元オーストリアチームの活躍にも、めざましいものがありました。スキーを国技とし、スキー産業も盛んなオーストリアですが、だからこそかつては障害者スキーに対しては厳しい見方もあったのではないかと思うのです。しかし現在は、強力な組織力を誇るオーストリアスキー連盟を通して充分な資金がまわっていることを、随所に感じさせます。たとえば、チーム全体や個人には有力スポンサーがつき、チームカーも何台も稼働し、またスタッフもうらやましいほど揃っていました。
 そんな充実した体制のもとで、選手たちも存分に実力を発揮できたようです。とくに男子チェアクラスの層の厚さには驚かされました。最激戦区のLW11(障害の重さが中程度のクラス)では、全種目で上位をほぼ独占。金3個・銀1個を獲得したハラルド・エダー選手を筆頭に、アンドレアス・シェスル選手、ユルゲン・エグル選手らが、すばらしい活躍を見せていました。彼らの滑りから感じるのは、スキー板を下に下に向けて落としていこうとする強烈な意識と、それを実現させる巧みな身体の使い方です。どんなにチェアが暴れようと、ピタッとねじ伏せてしまうその技術の高さは、実に見事なものでした。
 ただ、彼らオーストリア選手の滑りがチェアスキーにおける最速のものかというと、決してそうではないようにも思えるのです。実際、世界選手権の前に行なわれたワールドカップでは、森井大輝選手が彼らを抑えて優勝しています。ことカービングスキーの性能を引き出し、鋭い弧を描くという意味においては、森井選手が取り組んでいる技術のほうが最先端を走っているかもしれません。すでに彼の滑りは各国からマークされていますが、抜群の安定度の高さを誇るオーストリア勢の技術から取り入れるべきところは取り入れることができれば、さらに上のレベルへとステップアップを果たすことができるのではないでしょうか。

(写真:金メダル3個を獲得したオーストリアのハラルド・エダー選手(LW11)。その実力もさることながら、ファンクラブやスポンサーによる支援体制が印象的だった。)

photo勢力図
 男子立位クラスおよび女子の各クラスにおいては、オーストリアといえども男子チェアで見せたような強さは感じられませんでした。女子LW2(片脚で滑るクラス)の第一人者、ダーニャ・ハスラッヒャー選手にしても、表彰台は確保するものの、力の衰えは明らかです。むしろ女子で目立ったのは、同クラスのアリソン・ジョーンズ選手をはじめとするアメリカ勢の活躍でした。
 アメリカチームは、ソルトレイク・パラリンピックを区切りに現役を退いた選手がいる一方で、勢いを感じさせる新鋭たちが男女ともに台頭してきています。ベテランに頼る国が少なくない中、つねに活性化し続けるアメリカの充実ぶりは驚異です。
 またオーストラリアも、若手が伸びてきています。男子LW2クラスにベテランのマイケル・ミルトン選手を擁する同国ですが、今大会ではキャメロン・ラルス・ラブラ選手の速さが目立っていました。このクラスは、もうしばらくの間、オーストラリアが世界をリードしていくことになりそうです。
 視覚障害クラスは、スペインの牙城がなかなか揺るぎません。とくに男子B2(障害の重さが中程度のクラス)のエリック・ビヤロン選手の速さは、感動的ですらあります。彼を上まわる選手は、おそらく当分の間は出てこないのではないでしょうか。

(写真:圧倒的な強さを見せつけたスペインのエリック・ビヤロン選手(B2)。ガイドとの見事なシンクロは、相変わらず見事。視覚障害の選手による、ひとつの到達点を見る思いがする。)

課題
 日本チームは、金4個・銀2個・銅3個という、かつてないほど大量のメダルを獲得しました。長野パラリンピックでは金2個・銀2個・銅1個、そしてソルトレイク・パラリンピックでは銅2個のみであったことと比較すれば、今回の活躍がいかにすばらしいものであるか、おわかりいただけると思います。しかもこれは、男子チェアの有力メダル候補であった森井大輝選手をケガで欠いての成績なのです。
 注目すべきは、合計9個のメダルのうち6個を、ソルトレイク・パラリンピックに出場していない選手が獲得していることでしょう。前項でアメリカの話に触れましたが、チームの活性化という意味では、日本も決して負けていないということです。
 しかし、喜んでばかりいるわけにもいきません。日本チームの現状には、まだまだ解決していかなければならない問題があるからです。それを象徴しているのが、おそらく参加国の中で唯一、日本だけがユニフォームの揃っていないチームであったという点でしょう。揃いのユニフォームを作る資金もなく、その資金を集める組織力もない。これが日本チーム、より正しく言えばそれを組織する日本障害者スキー連盟の現状なのです。しかもその一方で、スキー場では室内着としてしか使いようのない「ジャージ」が選手団全員に配られていたのですから、何かが間違っていると言わざるを得ません。
 現在、日本チームの各選手は、活動にかかる費用のほとんどを自己負担しています。今大会は「国際パラリンピック委員会(IPC)主催の世界大会」という位置づけにあたり、日本パラリンピック委員会(JPC)から遠征費が出ているため、その負担はどちらかというと軽いほうでした。しかしそれでも、別の位置づけになるワールドカップにも参戦したことと、参加選手数が規定枠を超えたことにより、選手ひとりひとりに応分の自己負担金が発生しています。このように、遠征にかかる費用のみならず、日頃のトレーニングや、用具やウェアにかかる費用などで、選手たちは相当な苦労を強いられているのが現実です。好きなスキーを続けるためとはいえ、そこにはやはり限度というものがあります。このままでは、その限度を超え、強化の道筋から脱落する選手が出てしまうことは目に見えています。
 日本チームが現在行なっているトレーニングの方向性に間違いがないことは、今回の好成績によって証明されました。残る問題は、それを続けるための選手への負担を、いかに軽くするかに尽きると思います。2006年のトリノ・パラリンピックに向け、より一層の飛躍をめざすためにも、日本障害者スキー連盟の組織力強化が強く望まれます。

photo

(写真:日本チームからは東海将彦選手(LW3/2)と大日方邦子選手(LW12/2)がそれぞれふたつの金メダルを獲得。合計で、6人のメダリストが9個のメダルを手にする大躍進を見せた)



【文・写真 堀切 功】


★パラフォト用特別レポート 第5回・最終回/この特別レポートでは、オフィシャルレポートでは伝えきれない内容をお届けしてまいりました。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

※写真は、ニコン提供の最新デジタルカメラD2Hにより撮影されています。

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