パラフォトニュース
記事掲載日:2003/11/15

FIDサッカー日本代表・大橋浩司監督(再)_005

photo2002年7月21日(日) 静岡合宿会場より

今の選手たちは自信を持って日本代表と言える


世の中夏休みも始まった7月21日(日)早朝、私たちは、キャンプ中のINAS−FID(国際知的障害者スポーツ連盟)サッカー日本代表チームを取材するため、静岡県は御殿場サッカー場へ向かった。今日は合宿も終盤という事なので、代表監督の大橋浩監督にお会いできる可能性も大だ。
 前回、ID(知的障害)バスケットボール大会で、その競技のレベルの高さに驚かされていた私、満川は、今回は練習から取材が出来る事をとても楽しみにしていた。つねに抱える「障害スポーツとは何か」という疑問は、実際の練習や試合を見てから、もう一度考えてみたいと思う。
 
 午前中の練習では、コーナーキックやフリーキックからのセットプレーなど、かなり実践的な練習を組み立てていたように思う。もちろん、大橋浩司監督の姿も見えた。監督をはじめ、コーチ陣も指導に熱が入る。選手たちも体と体をぶつけ合いながら、気迫のこもったプレーを見せる。予想はしていたものの、高度な技術プレーに組織プレー。練習の様子から、すでに障害者スポーツを見ていることを忘れそうだ。しかしここでまた、いつもの疑問が湧いてくる。私たちファンにとって、障害者スポーツを観戦する事の醍醐味は?競技性のレベルも高く、観ていて純粋に面白い。しかしそうなると、健常者とのプレーの違いは何なのであろう。その差を見つけようとすること自体間違っているのか・・・?パラフォトに参加して、まだ日も浅い私は、様々な思いが交差する。
  


●日本代表を率いる、大橋浩司監督/プロフィール。
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 1959年(昭和34年)10月27日生まれ。三重県出身。監督のサッカー人生は、父親の影響で中学の時から始まる。大学までにFW(フォワード)からDF(ディフェンス)まですべてのポジションをこなす。大阪体育大学では、全日本大学サッカー選手権大会でベスト8。同年、関西学生選手権大会優勝。大学卒業後、教員としてサッカー指導に専念。「旧来のピッチ以外での練習の多さに疑問をもち、より科学的、効果的な指導を目指す。」U−14の監督・コーチも行い、JFA(日本サッカー協会)公認S級コーチ取得後は、指導書の育成も行う。現在2,002年8月に開催のINAS−FID世界サッカー世界選手権代表間チームの監督を務める。

 午前中の練習も終わり、私たちはさっそく大橋監督に少しの時間をいただいた。
    (インタビュー:パラフォト 佐々木・望月・磯田・満川)



自分たちで判断し、プレーする姿を見てほしい

─ さっそくですが、今の日本代表の仕上がりは?
大橋 一年前に見たときに、自分がこういうチームにしたいというイメージはありました。今はだいたいそれに9割位近づいてきましたね。初めてご覧になった方は、あれ、そんなに健常者と変わらないじゃないの?と思われるんじゃないかな。我々が本当にわかって欲しいのは、質の高い教育や文芸によって、健常者に近づくということはあるのではないか、また逆に健常者よりも優れている部分も彼らにはあるということを社会にも理解してほしいというメッセージです。この間の9月僕らはヨーロッパ選手権に行ったんです。その時、ポーランド、オランダと試合をして、オランダには0−9で負けて、その時はそのままオランダが優勝したのですけど、ポーランドにも3−5で負けました。でもその負け方が、選手の責任にはできないような負け方というか、彼らヨーロッパの選手たちは、ボディバランスが本当に良いんですよ。しかし、成人に近い選手たちに今からボディバランスをつけさせようとすることは、大人に一輪車に乗せさせるようなもので、非常に難しいことです。ヨーロッパの選手たちは、子供の頃から健常者と一緒に遊んだり、スポーツを楽しむ、という地盤がまず最初にあるのではないか。そこが自分にはとたわけです。しかし、そんなことばかりは言っていられないので、ではどういう風に考えたらいいのか。まず、日本の選手の優れた所は、素直な部分、言われた事を理解しようとする力です。しかし逆に言うと、判断を奪われているということにもなるのです。僕が初めて観た時、「団子サッカー」と言ったんです。ボールに固まる、小学生のようなサッカー。それで周りの大人たち、コーチたちが、あれせえ、これせえ、と言うんです。そしていちいち失敗するごとに、選手たちは指導者の顔色を見て、判断をスポイルされている。すべて周りの人の言われたままになっている。僕は、これはサッカーじゃないなって思いました。サッカーというものは、点を入れる楽しさもあるのだけれど、自分で判断して、考えて、実践する。駆け引きの楽しさもある。僕はぜひそれを伝えたい、それが今一番にあるわけです。そのためには組織も変える必要がある。そういう意味で、今日昼から試合を観てもらおうと思いますが、選手たちはプレーに打ち込んで、自分たちで判断し、プレーすると思います。
─ 昨日は社会人のチームと戦って7−1で勝ったという事ですが
大橋 判断の材料を与える、というのが僕の仕事なのです。判断しろ、ではなくて。
─ レギュラーと控えの選手の差は?
大橋 ほとんどのポジションで、一人3つのポジションはある程度できるように練習してきました。ですから、怪我人がでてもバランスを考えて移動すればいいわけですから融通はききます。確かに、選手層は厚くはないですから、レギュラーとそうでない選手の差があります。ヨーロッパでは、ある程度選手人口も多く、レベルも高い。その中から選手を選ぶわけですが、日本の場合はどちらかといえば能力の高い選手を集めているので、その中で競争や人に負けないでレギュラーになろうという者が育ってきてない。その意味では、レベルアップは難しかったですね。


まずは生活面での自立から
─ 監督が想像していたものと、ここが違う、大変だった、教えやすかった、といった点はありましたか?
大橋 グラウンドの中では問題はなかったですね。というのは、我々の仕事は、小学生でも選手でもそうですが、持っているものを、いつまでにどれだけ伸ばさなければならないか、ということなんです。我々の仕事は、上手もプロも一緒。その引き出しをどれだけ一杯引っ張れるか、これがコーチの仕事の力量であって、それを描いた絵を、どれだけその通りに実践させるかどうかが重要なのです。ですからその辺の問題は、僕は特には感じなかった。ただ、彼らを取り巻く連盟、施設の人、コーチに対する自分のアプローチの仕方が、今までとは全然違ったんです。組織に対して私の考えを理解してもらう。それが初めてのチャレンジだったので、そっちの方が大変だったですね。


─ サッカーの事務局の方にも理解があるとはいえ、監督の方法は斬新ですし、やりにくかった面もあると思うのですが?
大橋 今は、やりたいようにやらせてもらっているし、自分の考えもある程度理解してもらっています。最初の頃は、従来の障害者に対する扱い方と、私のそれとがまったく違ったようです。例えば,僕は選手に一人でグラウンドに来させるんです。飛行機に乗って、羽田まで着いたらモノレール、山手線を使って新幹線に乗ってJR使って・・・それを今まで誰もやらせなかったんです。反対もあったと思いますよ。寮の約束、決まりでは、一人では行かせない、という事だったので。でも、それを打開できるのは日本代表しかいないわけだから。逆にやらなきゃいけないと思ったし。でもグラウンド上でいくらマスターしようと思っても、無理なんですよね。グラウンド以外でそういう時間を作ってやらないとできない。だから、わざと失敗させたかった・・電車を乗り間違えるとか、時間に遅れる。わざと失敗もさせたかったし、そういう経験が自信にもつながってくる。
─ 今までが過保護すぎたっていうことですか?
大橋 そういうこともあったと思います。しかし、ある面、過保護な部分も必要だと思うんです。過保護、というか、選手の顔色や表情を見ながらですね。人間はマニュアル通りにはいかない。落ち込んだり、表情が良くない時には、過保護すぎるくらいに話を聞いてあげなければいけない。しかしそれが、自分でやれる事まですべて、なんでもやってあげてしまっていた。それが過保護という面ではないか、と思います。知的障害者にも重度の方も、軽度の方もおられる。しかし、すべてを重度に合わせる事もない。その人それぞれに合わせること、それが、僕は個性を引き出す事になる、と思うんです。
─ いまの日本代表が「できる」ということを判断されたのは、どういういきさつからですか?
大橋 キャンプの時です。一回、二回目までは、これまでの約束事の中でやってきたわけですよ。でも選手を見ていると、あ、これはやれるな、と自分が感じたからなんです。もちろん、大変な判断をしていると思いました。今までやらせなかった事だし、何かあったら大変な責任となることだから。でも、僕は、勝った負けた、の責任を負うだけが監督だとは思っていなくて、選手を信頼して、選手が失敗した時に、じゃあどう責任を引き受けられるのか、それが監督だと思うのです。
─ 例えば、健常者であれば「一」言ってわかるところを、「十」言わなければならない、それに対してイライラしたりとかは?
大橋 グラウンドでは長々と説明しません。というのは、常に研ぎ澄まされた状態がサッカーには必要だからです。ダラーとした雰囲気でやるのではなくて。だから彼らはわかってなくても、雰囲気で理解する。そしてグラウンドで言った事は実はこういう事だ、ということを後のミーティングできちっとフィードバックする。そのために、ビデオを使って、図を描いて、こういう意図で今日は練習した、と説明する。実は今日のフリーキックのイメージも、昨日の夜のミーティングで、僕が用意したビデオを見せているわけです。そういう意味で、わかりやすく、シンプルに説明する事が必要ですね。
─ 練習を始めたばかりと現在とでは、選手たちが変わってきた点はありますか?
大橋 堂々としてきましたね。最初の頃は本当、おどおどしてましたよ。
─ どれ位の期間がかかりましたか?
大橋 好きなサッカーを通してですからね。けっこう早かったかもわからないですね。それをレベルアップさせるために、色々な課題を与えて目標設定をしましたから。
─ たった2回のキャンプで、監督は彼らの能力、ここまでできる、ということを見抜いた、というわけですか。
大橋 初めて僕がキャンプ見た時には、スリッパ履いて単パンという、だらしない格好だったんですよ。これでは、周りの人たちに応援されない、子供たち、障害者の子供たちは憧れないな、というのが第一印象でした。見かけではないけど、内から出てくる堂々とした態度、プライドを選手たちに持たせないと、というのがありました。
─ 好きなものに対して、自信がついてきた、それを監督が引き出した。
大橋 それはもう、もともと彼らが持っていたものなんですよ。だから、それは僕の力ではないし、彼らはその力を十分持っている。
─ それが結局、生活にもフィードバックされるという事ですよね。最初監督がお考えになったのは、生活面からグラウンドにフィードバックさせる。遠くから合宿地へ一人で来てもらうとか、そういう判断はこれまでやらなかっただけで、やればできる。そして判断する、という習慣が身について、それが今度はグラウンドでできるようになれば、生活にフィードバックできる、ということですよね?
大橋 そうです。職場の話しか聞いてないですけど、けっこう変わったって言っていますよ、選手たちは。もちろん変わらなければチームもレベルアップしないんですから、職場でも変わって当たり前なんですけどね。

戦術、体力、メンタリティ
─ サッカーはチームプレーですよね。団子サッカーから、組織的なプレーを教え込むのは大変だったのでは?
大橋 大変ですよね。とにかく、ボールと自分との関わりなんですよね。一番ボールに近いフリーの選手がいるのに、それでも、(別のところを指差して)ここでドリブルするわけですよ。二人いて協力すればボールが奪えるのに、一人ひとりがバラバラで走ってしまう。コミュニケーションするにしても、判断するにしても、顔を上げなければ見えないですよね。顔をあげるためには、ボールから目を離せるようなテクニックを上げなければ駄目です。そういう技術の練習もしましたし、同時に、判断するためには戦術的なトレーニングも必要でしたし、日頃の生活の考え方も必要でした。そして戦術、体力、メンタリティ、こういった事もすべてです。そういった一つひとつの積み木を、選手たちがブロックを作っていくことによって、今ある選手たち、チームの姿が存在する。そういうイメージを僕が最初に持って、その大体9割が出来てきたのではないか、と思っています。
─ あとの1割とは何ですか?
大橋 それが悲しいかな、やはり体力的なことと、あと、月一回しか集まれないということです。せっかくキャンプでトレーニングしても、またすぐ以前の職場、以前の自分に戻ってしまう。プロ選手でもなかなか自分一人では練習するのは無理なんです。それをやれと言っているんですけどね。やはり夏の暑い90分のゲームで、技術や体力を向上させ、持続させるためには、一週間でどれだけ課題をみてやれるか。これがクエスチョンマークの残るところですね。
─ そういった選手の状況というのは、日本以外の国でも似たようなものなのですか?
大橋 どうなんでしょう、知的障害のサッカーには全然情報がないんですよ。だから、今度対戦するマリとか、ロシアとか、全く情報がないんですね。だから順位の目標など聞かれても、相手との力の差もわからないのでどうしようもないんです。
─ かなり沢山の選手の中から絞ったのですか?
大橋 50人くらいいましたね
─ それは、合宿をして、キャンプをして?
大橋 こうしたい、というチームに合う選手かどうかを見極めながらですね。
─ 意外と若いですよね。(16才から29才まで)
大橋 ええ。だから4年後楽しみです。
─ 今大会後、これからの日本代表をどうするか、というご意見は?
大橋 後は連盟と組織の問題ですよね。僕は8月で監督の座は終わりですけど、そのあともぜひ、今までやってきたチームを何とか継続してやっていってほしいですね。練習も、月に一回とは言わず。
─ この先、日本代表の監督をされたいとは思いますか?
大橋 したいか、したくないか、と言われれば、したくないですね。というのは、別の人がやった方がいいからです。彼
らはやはり色々な可能性を持っている。今回一年間は、僕の価値観で全部チームを作ったんです。
─ 監督がやれることはやったと?
大橋 というか、僕自身の一人の価値観なんですよ。だから、コーチも監督の言う通りでしたし。だから他の人がやったら、また別の視点からできるし、選手のまた別の、キラッと輝くものが出てくるかもしれない。また僕がやったら僕の価値観にしか当てはまらないような選手になってしまう。だからぜひ、違う人にやってもらいたい。そういった意味で、僕はもう監督はしたくないっていうことです。ただ現時点で、今の選手らは、僕は自信を持って代表選手ということが出来ます。


これから必要なのは経験と駆け引き
─ これからのチームに必要なものは何ですか。
大橋 とにかく、経験が必要です。試合をもっとさせて、駆け引きだとか、そういうのは経験が必要なんです。それは大会をしたりゲームしたりして、彼らが自然に身に付けていくものですから。
─ 試合数は少ないですか?
大橋 少ないです。日本の大会なんか45分ハーフじゃないですよ。だから、本来のサッカーの本質的なものが抜けていますよ。
─ 小学生レベルですね
大橋 全員で楽しく、という感じですね。でも、楽しさにも色々あるんです。勝ち負けをきちっと決める事によって、勝つ喜びだとか、負ける悔しさだとか、そういうものがスポーツの楽しみ方なので。そういうのが知的障害者スポーツのサッカーにはなかったんです。まあ、みんなでやればいいんじゃないの、という感じに。だから、レベルアップしていかない。厳しさがない。
─ なあなあ、になる? それじゃサッカーにならないよって?
大橋 午前中の練習はけっこう激しかったでしょう?
─  本当、普通と変わらないですね。ただ、指示したことに対して、ハイという返事があったりなかったりで、本当にわかってるの?というのがありますね。
大橋 それは様子みればわかりますよ。わかってなくて返事してるな、とか。
─ 返事しないといけないから、してる、みたいな。
大橋 あと、返事もそうなんですけど、すぐスイマセンって言う子がいるんです。スイマセンて言うな、謝んなくてええやろ、と(笑)。やっぱりそういう選手もいますし。でも、だいたい選手の様子見てればわかります。あ、こいつは本当にわかってるな、返事をするけどこいつはわかっていないなってのが。」
─ 監督のだいたいのお考えも伺ったので、後は試合を取材、ということなんですが。今日の相手は?
大橋 高校のOBチームらしいですよ。だからおじさんでしょうね。
─ 頑張って下さい。ありがとうございました。
 
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 以上のように大橋監督のインタヴューは終了した。歯切れの良い関西弁だった。
 
 選手を育てていく上で最も重要なのは、選手たちのそれぞれの個性と特徴を掴むことだ。それは、障害のレベルでもなく、種類でもない。それぞれの選手は何が必要なのか、何に長けているのか、何を補わなくてはならないのか。それを選手と向き合って理解しようとすることに力を入れる。そのことは、健常者スポーツの世界と何の変わりもない。そこに知的障害という一つの大きな条件がある。だから監督はミーティングに力を入れる。「わかりやすく、シンプルに」。
 問題もあった。障害スポーツの横のつながりの無さ、情報の少なさ、連盟、社会との関わり方など。しかし、この世界のスポーツの歴史はまだ浅い。どんなことでも、殻を破って突き進もうとするものに立ちはだかる壁は大きい。しかし私は、今回の大会も含めて、一つひとつの大会が、今後のIDスポーツの発展を後押し出来る可能性を持っていると思う。このような場が出来るまでは、スポーツ能力があっても知的障害を持つ選手や少年が、社会の中で埋没していたからだ。そういう風にしてきたのは社会であり、人々の意識の問題だった。
  
 午後の試合はきっと激しく力強いものになるだろう。初めにも述べたが、試合自体は健常者と変わらないだろう。それは、競技性という意味において充実しているという事にもなるが、その高い競技性を追及していく上で、彼らは、ある程度以上の助けを必要としなければならないことを忘れてはならない。しかし、ここまで、高い競技能力が引き出せるのならば、社会や組織はバックアップを押し進めるべきだと思う。その事は彼ら日本代表選手が証明してくれる。
 
 もうすぐ、高校OBチームとの練習試合が始まる。監督が1年間育ててきたチームがどういったプレーをするのか。日本代表サポーターとしてこれから観戦してきたいと思う。
行ってきます。



(文:満川愛子 写真:森田和彦)

※この記事は2002年7月21日に掲載されたものです。
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