2009年9月18日 - アジアのユース選手に出会う
投てき会場で
| イラク代表ハナン・アルマジーティ選手。やり投げに出場 |
陸上競技の中でも、円盤投げ、砲丸投げといった投てき種目には、中東からの選手が多くエントリーしている。女性選手もベールをかぶり、やりや砲丸を力強く飛ばしていく。
そうした中東諸国のひとつ、パレスチナも、日本と同じ、アジアパラリンピック委員会の傘下にある地域である。今回は6名の選手が来日。全員が男子で、投てき種目に出場する。
| パレスチナ代表、アブデーラマン・アブワッファ選手。円盤投げで |
投てき種目の周辺はにぎやかだ。観客席の最前列から身を乗り出したコーチたちが、フィールド上の選手たちに声をかける。選手も自分の番が回ってくるまで、投げるフォームの確認をし、遠くに見えるコーチからアドバイスをもらう。
最終日、西日がじわじわと強くなり始める頃、男子立位砲丸投げ・座位円盤投げの決勝戦が行われた。パレスチナからは、アブワッファ・アブデーラマン選手(F57)が出場。この種目には、他に3名の選手がパレスチナからエントリーしていたが、競技場に姿を見せたのは彼ひとりだった。
パレスチナからは、10名近い選手がこの大会にエントリーしていたが、実際には、全員は出場できなかったようである。
アブデーラマン選手は記録が伸びず、3名中3位の結果に終わった。アリーナ席から檄を飛ばしたり、リラックスさせようとしていたコーチは「今日は良くなかったな」と残念そうにつぶやいた。
選手団スタッフのマヘーリ・ラディ氏は、「戦争のために障害を持つに至った人は、パレスチナには確かに多いですが、すべての人がというわけではありません。この彼は(近くで観戦している選手を指して)、空爆を受けた際のケガで車いすとなりましたが、この選手は小児まひで、生まれた時から障害があります。障害を持った理由はひとつではなく、いろいろです」と話す。
パレスチナについては、現在も続く紛争の報道によって、街角や人々の映像を目にすることは珍しくはないが、日本からの物理的な距離は遠く、実際に何が起こっているのかを知るのは難しい。
紛争地帯の選手には、戦争・暴力の結果の障害というイメージが先行してしまうきらいがあるが、それだけと見なしてしまうことも危険なことだ。
| パレスチナ代表、モハメッド・カラフ選手 |
「練習は学校でやっています。基本的に屋内で練習していますね。パレスチナがパラリンピックに出場したのは、2000年のシドニー大会が最初で、メダルも獲得しています。次のロンドンでは、陸上だけではなく、水泳など、出場できる種目を広げて行きたいと考えています」
ラディ氏は、アラビア語の分からない私のために、選手への質問と回答を通訳してくれながら、繰り返しこう言っていた。
「私は、スポーツは障害を持った若者の、身体機能のリハビリのためだけではなく、それ以上に、前へと進んでいくパワーを育てるためのものだと思っています。よい方向へ進んでいくためのものなのです」。
話を聞き終え、お礼を言って帰ろうとすると、写真を撮ってよ、と、選手たちがひきとめた。カメラを向けると、選手のひとりが、首にかけていたメダルを前面に出し、笑顔を向けた。イッサ・ガリア選手(F56)。金・銀・銅と、3種類揃っている。F54/55/56クラスのやり投げで銅メダル、砲丸投げで銀メダル、そして、最終日の円盤投げで、終始優勢に進めた結果、最終投擲で18m49を投げ、見事金メダルを獲得した。
競技場で出会ったパレスチナの選手たちは、皆背が高く、どこか遠くを見るような眼差しをしていて、10代というには随分大人びた雰囲気だったが、この時は喜々として、すっかり天真爛漫だった。
(真下阿紀)


