フレームとの対話2
 〜青木辰子選手(LW10)・四戸龍英選手(LW11)・志鷹昌浩選手(LW10)〜

■白馬での苦悩

「メダルへの自信…正直言って、いまのところ本当に厳しい」
長野パラリンピックやアンゼール(スイス)世界選手権など、過去に国際舞台でメダルをもぎ取ってきた青木辰子は険しい表情でこう話した。1月26日から30日まで長野県白馬村で行なわれた、アルペン日本代表合宿でのことである。
「長野モデルとソルトレークモデルではチェアスキーの動き方がまったく違うんです。いままでは重心を前方に置いてターンのきっかけをつくっていたけど、それをやると跳ね飛ばされてしまう。まるでロデオのよう」
ソルトレークモデルは後ろに乗って板を走らせる感覚だと青木は言う。自分のイメージした滑りとフレームの動きが重ならない“ズレ”が、彼女を混乱させていた。


この合宿でパニック状態に陥っていた選手がもう一人いる。四戸龍英はどちらのモデルを使うかまだ迷っていた。
「旧タイプ(長野モデル)で仕上げてきているので、ソルトレークモデルに替えて間に合うかどうか…」と不安は募る。
ソルトレークパラリンピックへのおもいは人一倍つよい。長野パラリンピックのとき、DH(滑降)で肋骨を折り、大会を通して満足のいく滑りができなかった。競技を終えた時には、すでに4年後を見ていたという。
そして、今大会で板を置く覚悟も、ある。
「怪我の恐怖心に負けてきた自分に打ち克ってスキーを終えたい」
代表のなかでは最年長だ。先陣を切ってチェアスキーに取り組んできた自負もある。誇り高きその競技人生の幕切れには、思いどおりに走らせることのできるフレームがなによりも必要だった。

志鷹昌浩に迷いはなかった。アルペン男子日本人初の金メダリストは、この時点で唯一、長野モデルを選択していた。
「新モデルを試してはいるが、オールラウンドにたたかうには完全に乗り切れる状況ではないと思っている」
長野大会から比べてチェアスキーのマテリアルは向上している。スキーヤーはそれにあわせて技術を磨かなければ時代に乗り遅れてしまう。だが逆に言えば、スキーの進歩に見合った技術がなければ道具に足元をすくわれてしまう。そのためには練習する環境の確保が必須となるが、障害者のポールトレーニングを認めるゲレンデは増えてはいるものの、まだ少ないといわれる。加えて日々の仕事もこなさなければならない。志鷹もモデルを決めたとはいえ、練習量の少なさには不安を隠さなかった。モデルの決定は、かぎられたトレーニングのなかで試行錯誤した結果である。今年に入ってからのことだった。


■ソルトレークに向けて

2月に行なわれたジャパンパラリンピックでは、彼らの表情に変化が見られた。
青木はフレームのセッティングを変えた。ショックアブソーバーの反応をおそくし、重心をすこし前に移した。「気持ちよく滑れるようになりました。あとは体が慣れるだけ」と、持ち前の笑顔を取り戻した。四戸は長野モデルに決めた。ラストゲームに向けて攻めの滑りを見せ、回転で優勝を飾る。合宿では「メダルは滑ってみないとわからない」と話していた志鷹も、晴やかな表情でメダルのことを口にした。
おもいはそれぞれの胸の内にある。フレームとの対話が成り立ったとき、それはより現実に近づく。


Text/Daigo Kumamoto

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