荒井監督インタビュー その3 〜ノルディック日本代表の歩み〜

― ところで、荒井さんはどういういきさつでノルディックの監督になったんですか?

8年前のリレハンメルが終わったころには、ノルディックの代表チームってなかったんです。そこで、長野に向けて強化しようってことになったんですが、XCスキーだけは、障害者スポーツセンターの中で指導できる人が誰もいなかったんです。
当時、僕はスキー連盟に所属していて、中高生にスキーを教えていたんですけれど、そんな時に厚生省(当時)の長野パラリンピック準備室から声がかかったんです。

そのときは、代表選手はもう決まっていて、僕はたまに教えに行けばいいのかなって思っていたんですけれども、「選手いないから集めてくれ」って言われて(笑)。とりあえず全国に呼びかけてみたら、60人くらいが手を上げてくれたんです。そこから、強化指定選手をしぼり込みました。
でも、XCスキーの競技経験がない人がほとんどでしたから、歩くことからのスタートでしたね。

それでも選手が足りなかったので、僕が全国に出かけて選手探しをしました。
伝田君も、最初はアルペンに出たがっていたんですが、僕がたまたま見た時にXCスキーのスケーティングの形が非常にできていたので、「一緒にやらないか」って言ったんです。
今、筑波大学3年生の新田君も、彼が中学生の頃、「片手のすごいスキーヤーがいる」という噂を聞いて、僕が岡山まで会いに言ったんです。でも、ご両親は「障害者として育ててきたつもりはないから」って最初は反対されたんですよ。それでも、パラリンピックで活躍する選手の写真やビデオを見せながら説得して、彼が高校1年の時に、代表チームに入る事を許していただいたんです。新田君は小さい頃からスキーをやっていますから、チームで最年少ながらリーダーシップを取ってくれていて、キャプテンみたいな存在です。

 ― 選手がそろってからは、どのような練習を?

選手が出そろったのが96年で、長野まで2年しかありまでんでした。そこで私たちが取った対策は、日大とか中央大とか、高校のスキー部などと一緒に合宿をやらせていただくという事だったんです。
そうする事で、学生たちからスキーの技術やチューンアップの方法、あるいは精神的な強さを学ぶ事ができました。学生たちの中にも将来先生になりたいとか、福祉の仕事をしたいという人が多かったので、役に立つ事も多かったと思いますよ。

 ― お互いに、相乗効果がはたらいたんですね。

学生たちにとって、全盲の人や、手足が不自由な人がスキーをするのを見るのは初めてだし、最初は信じられないわわけです。でもそういう姿を見る事で、「俺たちも頑張ろう」って思う部分が大きかったんですね。

 ― ソルトレークは、8年間の選手強化が問われる大会ですね。

8年前は「大きな国際大会に出る」ことが目標だったんですが、今はみんな世界でもシングル(ひと桁の順位)になりましたから、ソルトレークではメダルという夢を実現させてあげたいなと思います。ただ、海外も負けていませんからね。ヨーロッパはXCスキーの本場ですし、アメリカも地元開催という事で選手強化に力を入れている。そして今大会は、中国も初参加するんですよ。だから、そう簡単にはいかないと思います。

 ― 選手の中には、50代の方もいますが。
よく、そういう質問をされるんですけれども。確かに高橋(正充)さんにしろ、久保田(とし子)さんにしろ、僕らの考える限りではスポーツをする年齢のピークを過ぎているかもしれない。
でも、たとえば高橋さんにしたら、20代のときに視力を失って、それでも「何かできないだろうか」っていろいろ試してみて、スキーという自分に適したスポーツを見つけて、それを競技のレベルにまで高めるには、何年もかかるわけです。だから、肉体年齢だけをもって歳をとっているとかいう見方はしてほしくないですね。
そういう意味では、長田君などは今30代ですけれども、選手としては最盛期なんじゃないかな。

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