2002.03.15 NHKに取材されちゃいました。
僕たちパラフォトがなんとNHKに取材された。どうやら「おはよう日本」で放送されるらしい。カメラマンの辻さんが、僕たちが選手の写真を撮ってているところを撮影する。取材しながら取材される。なんだか妙な感じだ。
イエーイやったぜついに全国デビューだ |
競技後にはなんとインタビューまでされてしまった。「パラリンピックのどんな所に魅力を感じるのか?」ふいにこんな質問をされた。そういえば、僕はいつのまにか、「障害者のスポーツ」としてではなく、普通のスポーツとして選手を取材し、競技を見るようになっていた。だから「選手がカッコいいから」と、小学生のような返事をしてしまった。
緊張してろくな答えが出来なかったので、ここで改めて自分の感想を書いてみたい。
世界のトップクラスの技術というのは本当に芸術の域に達していると思う。バイアスロンは西部劇のガンマンのように早くて正確だし、ブラインドの選手がガイドと完全にシンクロした姿はいつ見ても美しい。シットスキーも腕だけで信じられない距離を走破する。彼らは障害者であり、同時に超人でもある。
障害というのは強力な個性でありキャラクターであると思う。ハンデキャップがある者が厳しい鍛錬によって常人以上の能力を身に付けた時、そこに人は崇高なものを感じる。そこに至るには様々なドラマがある。
「障害を乗り越える」というのは、身体の問題に限らず、どんな人でも人生の一大テーマなはずだ。だから僕たちは選手の姿に共感し、感動する。それがパラリンピックの魅力だし、僕が伝えていきたいところだ。
ちょっと話は外れるが、体に障害を持った小説や映画の登場人物は意外と多い。時代劇の座頭市はB1だし、『白鯨』で鯨に片足を食われたエイハブ船長はLW2で、『ピーターパン』のフック船長はLW6/8だ。どれも強烈に記憶に残るキャラクターである。障害は彼らの人生をドラマチックに演出している。
実在する人物で言えば、私の母校早稲田大学の創始者・大隈重信は、テロリストに爆弾を投げつけられ右足を失ったが、その後総理大臣にまでなった。LW2の総理大臣だ。学校でいつも眺めている彼の銅像だが、その右足が義足だと聞いた時、僕は「カッコいい」と思った。
障害者だからうんぬん、という視点で記事は書かないというのが「追い風」のコンセプトであったが、障害があることが逆にその人にしかない魅力になっているのではないか。競技を見ているうちに、何となくそんなことを考えた。
小泉
「シットスキーの女王」ノルウェーのミュクレブストと記念写真。堂々とした態度でホントに女王のようだった。超光栄っす。(本文と全く関係なし。)
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