Paraphoto 特定非営利活動法人 国際障害者スポーツ写真連絡協議会

10月28日 (23:08)

Paraphoto Article

カナダのマイクコーチとパトリック選手

大学院生・Nobuko TANAKA

photoアテネパラでの目標は、ずばり「金メダル」と語る、カナダ車椅子バスケットボールチームのマイク・フログリーさん(写真左)。1996年アトランタパラリンピックまで、自身も選手として大変な活躍を見せていた。当初はコーチングには興味はなかったというマイクさんも、現在はカナダチームにとってなくてはならない存在。指導者として「いかに選手に高い目標を持たせ、それを達成させるか」が最も大切な要素だと語る。そのための選手との話し合いは、執拗にくりかえしてきた。

現在、カナダ政府は、3つの要素を持って障害者スポーツに取り組んでいるという。第1一に、精神的サポート。これは、障害の有無に関わらず、スポーツを愛する人を支援するもの。第2に、社会構造改革。国と地方公共団体や、スポーツ機関との連携を図り、草の根レベルからトップレベルまで支援するもの。第3に、資金援助。例えばカナダチームの花形スター、パトリックは1500カナダドルを月々支給されているほか、トレーニング、教育にかかる費用などの援助も受けられるという。

今後の課題は、若手選手、コーチの育成のシステム化を図ること。そして、障害がある人たちには、スポーツに触れる機会を与えるのに留まるのではなく、幾つかの選択肢ができる場を提供することが大事だと話す。選手時代は、選手として自分の目標を達成することに、無我夢中であったと振り返るマイクさん。現在は、広いビジョンとクリエィティブさが求められ、コーチとしても充実した毎日だと話す。

一方、花形選手として活躍する、パトリック・アンダーソン選手(写真右)。カナダ代表であるが、ドイツフランクフルト近郊に生活の起点を置き、ジョンソン選手と共にドイツの車椅子バスケットボールクラブ(RSL Lahn-Dill)でプレイをする。ドイツとカナダでは車椅子バスケのプレイスタイルがあき明らかに異なるが、それ以上に、車椅子バスケットボールが、街のスポーツクラブのひとつとして運営がなされ、地元のファンも多く抱えている雰囲気は、ドイツ独特のものであり、パトリック選手自身この雰囲気が好きでドイツでプレイをしていると話す。また地元の固定ファンを獲得することは難しかったが、ドイツでは町の人気スポーツのひとつであり、この人気はスポンサー獲得にも影響を及ぼさせる。冬はドイツリーグでプレイし、夏はカナダの強化合宿などに参加する。パトリック選手にとって今の環境は、競技スポーツに大切な、高いモチベーションとゲーム感覚を維持できるようだ。パトリック選手は話す。「カナダは広い国で、移動時間と費用に大変なお金がかかり、ゲームのチャンスも少なくなってしまう。単純に熱い思いを忘れちゃうんだよね」。ドイツでは、シーズン中、9のホームゲーム、9のアウェイゲームを行える。近年、より高いスポーツ環境を求め、多くのアスリートが世界に舞台をおくようになってきている。イチロー、中田・・。日本の車椅子バスケットのスター選手が海外に拠点を置きプレーをする日も、そう遠くないかもしれない。

今回のカナダチームは金メダル最優秀候補としてあげられている。マイクコーチが話すように、「選手に多くの経験を積ませることが大事」。障害者スポーツという壁を取り払い、地元に根付き、「選手」として対等に扱われ、「選手」としての自負を持つ。パトリック選手もマイクコーチも、「障害者のスポーツ」ではなく「ひとつのスポーツ」として捉えることの重要性を強調する。NBAに車椅子バスケを取り組むように、ドイツでパトリック選手が地域リーグでプレイしているように、本当のインテグレーションへの道程は、まだ続くとマイクコーチは結んだ。

写真 左マイクコーチ 右パトリック選手(選手村にて)

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