2年前、ソルトレーク冬季五輪を現場で観戦した私は興奮していた。スピードスケートの会場、オリンピックオーバルに入って全体を見まわしたときの風景を今でもはっきりと覚えている。歓声に沸く会場。楽器の音とテレビのDJが観客を盛り上げる。色とりどりの国旗がはためき、あちらこちらに五輪マークが輝く。あぁここが世界一を決める舞台なんだ。五輪独特の高揚感を体いっぱいに感じた。 本番直前の選手が出てきた。胸の高鳴りは一瞬にして緊迫感に変わる。長野大会で金メダルを獲得した清水宏保の集中する姿。スタートの前の静けさ。世界一のロケットスタート。どれも目に焼きついて離れない。言葉では言えない、「スポーツの力」がそこにあった。 オリンピックの楽しみは競技だけではない。街を挙げての歓迎ムードは、私たち観光客の気分を高めてくれる。笑顔で話しかけてくれるボランティア自身もその雰囲気を楽しんでいるようだ。オリンピックがずっと続けばいいのに、そんなおもいが頭をよぎる。 そのとき、あるビルに掲げられた一枚の巨大ポスターが目に入った。スレッジスケートに座っている女性の写真だ。街にはさまざまな五輪競技のポスターがビル大に掲げられていた。そのなかのひとつがパラリンピック競技の選手だったのである。それまでパラリンピックを見たことのなかった私は、いま振り返ると、下半身が不自由である女性をひとりのアスリートとして認識し、アイススレッジスケートをいわゆる「障害者スポーツ」ではなく五輪競技となんら変わりのない「スポーツ」として受け入れた。 この競技を見てみたい。スポーツの興奮を感じたい。こう思った。気がつけばソルトレークの街のあちらこちらにパラリンピック開催を伝える旗が取り付けられていた。オリンピック大会は終盤に差しかかっていた。帰りの航空チケットを買ってしまったことを後悔した。 【瀬長あすか】
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