| To:Frends_ml From: sasaki@paraphoto.org Date: sat, 09 mar 2002 22:48:09 +0900 Subject: 越智さん〜現実のキリトリ〜 越智さんの話から、ちょっと自己レスします。 >どんな視点もある位置からのキリトリである、 >ということを前提に自分と相手を確認していくことが >大事なんだと思います。 > >伝える、理解させる、ということを >生業としたとき、どう伝えるか。 >それは、スゴク課題として永遠なのですが、 >わたしは、まずは自分自身が受け手であること >を考えるようにしています。 >あるいは、相手に乗り移った視点を模索してみたり。 >そうすると、いくらか自分でないものも見えてくるように >思います。 > >目に見えないものを視たり、聞こえない音をきいたりすることは、 >十分、できてしまうものなんだと思います。それを現実と視るか、 >理想と視るか、たしか、ジョン・レノンのimagineにの中に、 >「みんな僕を夢想家といいうだろう、でも僕にとっては > ただそこに現実があるだけ。」 >・・ていうくだりがあって、ジョンのこの言葉を >リアルタイムで聞いていないのだけど、これもある意味で >ジョンにしかできない「キリトリ方」をやって見せて、 >どお? 僕はそう思うんだけどさ、って聞いているんじゃないかな。 >けして、押しつけないところで。 それから、「見せる」、ということと「伝える」ということは 同じ延長線状で、どこまで演出がゆるされるか? という点で、レベルに違いがあると思います。 どんなドキュメンタリも切り取られていますから、 誰かがそれは切り取っているのだけれども、 どこまでをドキュメンタリとして良いか、あるいは、 現実と言って良いか? 目的は報道か娯楽か? という意味を伝える側がキチンとわかって伝えていかなければ ならないだろうと思います。 そして、伝える側というのは、受ける側でもある。 いつもその間をトランスレートできる状態でいることが大事かな。 その時、視点をシッカリもって、行き来してる間に見失わないように、 シッカリ竿をさせる土台を持っていることだと思うんです。 NobueSasaki●www.paraphoto.org〜DaysLetter〜 ・この手紙に返事を書く→ ・返信をみる→ Back ![]()
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