関連カテゴリ: ボッチャ, 夏季競技, 観戦レポート, 重度障害 — 公開: 2022年1月14日 at 1:15 AM — 更新: 2022年3月10日 at 9:57 AM

ボッチャ日本選手権BC3は 有田正行が初優勝

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 2022年新年1月8日~9日の2日間、愛知県豊田市のスカイホール豊田で第23回日本ボッチャ選手権大会が開催された。22回大会はコロナ禍のため中止、2年ぶりの開催となった。
 しかし例年行われていた西日本・東日本の予選会は中止となり、2年前の21回大会で8位まで(BC2、BC3)、もしくは4位まで(BC1、BC4)に入った選手に出場資格が限定された。日頃の練習の成果を発揮できる場が失われ無念の思いを抱いた選手たちも多々いることは想像に難くない。

 2日間の熱戦を制し優勝したのは、BC1仁田原裕貴(山口県ボッチャ協会)、BC2廣瀬隆喜(西尾レントオール)、BC3有田正行(電通デジタル)、BC4内田峻介(大阪体育大学)。廣瀬以外の3名には嬉しい初優勝となった。

金メダルの有田
金メダルを手にした有田正行と妻でアシスタントの千穂

 BC3優勝の有田正行は元電動車椅子サッカーの選手で2017年にボッチャに転向、同年第19回日本選手権では初出場で3位の快挙、続く20回大会でも3位となった。
 優勝すれば東京パラリンピックの出場権を得ることができる第21回大会(2019年12月)では、アシスタントで妻でもある千穂と「絶対に勝つ、絶対に負けない」と殺気立った雰囲気を全身に漂わせ大会に臨み、的(まと)球となるジャックボールの権利をあえて相手に渡すなどの奇策も用いるなど、相手によって戦術を変えて決勝まで進んだが無念にも2位に終わり、東京パラリンピック出場権は紙一重の差で手にすることが出来なかった。
 だが今大会は「何が何でも優勝というより、自分たちの試合をしよう」「自分が何ができるか、一番自分がやりやすい戦術で臨んだ」という。

 そうして迎えた今大会のBC3クラスに出場したのは有田をはじめ、大会3連覇中で東京パラリンピックペア銀メダリストの河本圭亮(東郷町施設サービス)、前回3位で同じくペア銀メダリストの高橋和樹(フォーバル)、前回4位の江川拓馬(ライトニング滋賀)、前回ベスト8でペア銀メダリスト田中恵子(石川県ボッチャ協会)、楠本大吾(シフク)、竹ノ内和美(宮崎BC)、大林有利(山口県ボッチャ協会)の8名である。
 その8名が4名ずつ2つのグループに分けられ各選手予選リーグ3試合を戦った。有田は竹ノ内和美を9-3、楠本大吾を5-1で破り2連勝、まずは準決勝進出を決めた。

VS高橋和樹
予選リーグで対戦する高橋和樹(右)と有田

 予選リーグ1位突破をかけた第3戦の相手は銀メダリスト高橋和樹。有田が第1第2エンドを連取し5-0とリードするが高橋は第3エンドに1点を返し、最終エンドで有田サイドのロング8mにジャックボールを転がし勝負に出る。
 通常は自分のサイドの方が相手より距離が近く有利だが、脊髄性筋萎縮症(SMA)の有田は体を横に傾け狙いを定めることが困難なため、むしろ相手サイドの方にジャックボールがあったほうが車椅子で動けるスペースも広くとれるため大きく角度を使うことができる。自分サイドの方が角度を確保しにくいのだ。
 だが高橋は最後の6投目でタイブレークに持ち込める展開までは追い込んだが最後はわずかにショート、2ポイントを得るにとどまり、有田が5-3で高橋を退けた。

 有田は予選リーグ3試合を振り返り「11月にドバイで開催されたアジアオセアニア選手権に出場、そこでの経験が大いに活きた。練習からボールの調子が良くて思い通りのゲームを進めることができた」という。
 しかしドバイから帰国後、それまで使っていたボールが思った通りに転がらなくなり、アシスタントの千穂との共同作業でボールを0からほぼすべて作り直したという。今大会では、そのことが功を奏した。

vs江川
準決勝は江川拓馬(左)と有田の対戦

 翌日、準決勝の相手は前回大会4位の江川拓馬。第1エンドを制したのは江川で2点を先取した。第2エンドは江川がロング8mにジャックボールを置く。だが有田は6投目で固い球をジャックボールと赤球の上に乗せるミラクルライジング。有田が2-2の同点に追いつく。
 固い球は相手の球を弾くのには有効だが距離感を伴うコントロールは難しい。
 しかし第3エンドは江川が1点を勝ち越し、有田は2-3とリードを許す。
 有田としては劣勢で向かえた最終エンド、「焦ってはいたが、タイブレークには持ち込みたい」と考えていた。
 まず江川はジャックボールを自らの前へ置く。有田は2投目で寄せ切れなかったものの「相手は弾けないという予測のもと」3投目の柔らかいボールでガードを固め、4投目で江川の青球を遠くに弾いた。
 その後3投目に投げたボールが粘り強く江川の投球をうまくガードする。柔らかく作りこまれたボールは相手にとって弾きにくい。硬軟のボールを如何に使い分けていくか、そこはBC3クラスの醍醐味だ。
 「自分の戦術に乗っかってもらえた」有田は2投を残して4-3と逆転、決勝に駒を進めた。

ボッチャボール
準決勝第1エンド終了時点の状況
河本と有田
決勝は前回と同じ河本圭亮(左)と有田の対戦

 決勝の相手は日本選手権3連覇中の銀メダリスト河本圭亮、前回大会決勝の再現となった。
 第1エンド先攻赤球の有田はジャックボールを河本の前3mに置く。有田にとって自分の前より相手の前にジャックボールを置く方が狙いを定める角度を多く取れる。
 有田は5投目で柔らかいボールを使い河本の青球をずらしてジャックボールにピタリと寄せた。その粘りのあるボールを河本は4、5投目でずらそうとするが、ずらしきれない。
 河本の6投目はジャックボールと有田の赤球の間に寄せる狙いだったが、ランプから床面に着地したあとボールが弾みほんの数ミリ右にずれた。ジャックボールには寄せたものの、有田の5球目をジャックボールのそばから引き離すことはできなかった。
 有田の6投目は固い球しか残っておらず難しい局面ともなったが、手前の自球を奥の5球目の赤球に当てジャックボールにピタリと寄せた。
 有田の赤球と河本の青球、どちらがジャックボールに密着しているのか審判がジャックボールと各々のボールの間に光をあてる。
 河本の青球は光が通過、有田の赤球とジャックボールの間には光が通らない。つまり有田の赤球がよりジャックボールの近くにあり有田が1点を先制した。有田は第1エンドで「河本選手の距離感がちょっとずれている」「僕のほうがボールの精度が良い」とも感じていた。

有田と千穂
リリーサーを手にする有田とボールをセットする妻の千穂 

 続く第2エンドは河本が有田サイドの奥深く8.5mの位置にジャックボールを置いた。だが有田は2投目で河本の青球を弾きジャックボールを奥に押し込み、3投目でピタリと寄せる。的になるジャックボールの位置を動かせるのもボッチャの魅力の一つだ。さらに有田は5投目をピタリと寄せ、このエンドで2点を追加し3-0とリードを広げた。

河本
狙いを定める河本

 第3エンドのジャックボールは第1エンドと同じ位置。河本は6投目をピタリと寄せるが、有田にはまだ3球が残されていた。
 4投目固い球でジャックをやや奥に押しこみ、5投目でもう1球の固い球を自球に当てジャックに近づけるものの、この時点ではまだ河本が1ポイントリード。
 しかし6投目、柔らかい粘りの赤球をジャックボールに近づけ、このエンドを取ったのも有田だった。有田は2ポイントを追加し5-0と大きくリードを広げた。
 最終エンドで河本は2ポイントを返したものの5-2 で有田が勝利。有田正行の初優勝が決まり、有田の顔に笑みがこぼれた。

微笑む有田
優勝が決まり アシスタントで妻の千穂に微笑みかける有田

 有田正行は「やっと勝てました。本当にうれしいです」「これまでは自分から仕掛けていきよく失敗もしたが、今回は自分から仕掛けるのではなく落ち着いて相手の出方を見てゲームを組み立てた」「大会には楽な気持ちで入れたので、落ち着いて自信をもって一球一球投げることができた。決勝もチャレンジャーの気持ちで落ち着いてやれたので本当に楽しんで日本選手権を戦えました」と大会を振り返った。
 アシスタントで妻の千穂は「今までは東京パラもありましたし、『絶対勝つぞ!』とか『誰々に負けたくない!』とか殺気立ってる雰囲気が周りからもあったと言われた。今回も負けたくはないですが、何が何でも優勝というより自分たちの試合をしようという雰囲気で全試合戦うことができた」と振り返った。
 また千穂はコロナ禍、自宅で筋力トレーニングを積み重ね体脂肪を半減させ肉体改造をしてきたという。「ボッチャのアシスタントは誰でもできるふうに見られがちなんですがけっこう疲れるんですよね。ランプも重たいですし道具も重たいですし。長時間練習できる体に改造したいなと思って毎日こつこつトレーニングしまして。1回の練習時間が短くて5時間、長くて10~12時間、その練習量に耐えられる体作りをしたいと思って」
 コロナ禍でヘルパーの数が減り妻が介助する局面も増えたが、トレーニングの成果が出て苦に感じないという。
まさに2人3脚で勝ち取った優勝となった。

笑顔の有田・千穂
優勝決定後 笑顔の有田と千穂

 2017年3月電動車椅子サッカーワールドカップ最終メンバーからぎりぎりのところで落選しボッチャ転向を決意してから4年10か月の歳月が流れ、有田正行はボッチャBC3日本一に輝いた。
 「電動車椅子サッカー時代の選手や元チームの監督からもお祝いのメッセージがきてました。それくらいサッカーにも仲間がいますし今でも関りがありますし、サッカーは17年間続けてきた競技だったので、(競技転向した)当時でもまだトップレベルではできる状態にはあったんですけど、やはり自分のアスリートとしてのモットーは世界で通用する選手であることなんです。もちろんボッチャに転向しても実現できるかどうかはわかりませんでしたが、やはり今こうしてボッチャで世界と戦うことができているので、苦しい時期もありましたけど今は転向してよかったと思っています」

 2024年パラリンピックの舞台となるパリは、2011年電動車椅子サッカーW杯が開催された地でもあり、有田は得点王に輝いている。そのゆかりの地でのパラリンピックに、是非出場したいという。もちろん東京パラリンピック代表だった河本圭亮、高橋和樹もやすやすとその座を明け渡してはくれないだろう。
 互いにレベルアップしていく日々が続いていく。

(写真はすべて筆者撮影 校正・佐々木延江)

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