関連カテゴリ: アルペンスキー, ジャパンパラ, デイレポート, 冬季競技, 地域, 長野 — 公開: 2015年3月25日 at 11:44 AM — 更新: 2021年9月6日 at 3:04 AM

ジャパンパラ・アルペン閉幕。シーズンの公式戦終了、ピョンチャンへそれぞれの始まり

知り・知らせるポイントを100文字で

投稿はこちら(メールソフトが開きます)

スーパーGのスタート地点。森井大輝のスタート
スーパーGのスタート地点。森井大輝のスタート

 3月24日、IPC公認2015ジャパンパラ・アルペンスキー競技大会最終日。冬が舞い戻ってきた白馬八方で、スーパーGが行われた。大回転(ジャイアントスラローム)より長く、滑降(ダウンヒル)より短いこの競技は「高速系種目」とよばれ、長い距離を1本滑り、タイムを競う。
 
 朝からの降雪で気温が下がり、競技開始当初はスタート地点から第1旗門付近は霧に包まれ、様子をみながらのスタートとなったが、しだいに晴れ、出走した選手全員が完走。ソチ金メダリストの狩野亮が1分4秒台の好タイムで滑り、森井大輝らを引き離しポイントを稼いだ。

狩野亮、スーパーGスタート直後
狩野亮、スーパーGスタート直後

 「今日は得意なバーンだった。世界選手権のような固いバーンを克服することが、今後の自分の課題です」と狩野。今季カナダでの世界選手権は固いバーンで結果をだせなかった。逆に、多くの選手を苦しめたソチのような雪、白馬のこの柔らかく溶けた雪も、狩野には、好条件だったということがあらためて証明されたレースだった。
 女子は、大学生になる村岡桃佳が1分17秒台でゴールし優勝。全レースで堂々とした滑りで成長ぶりを披露した。

 立位は、1992年アルベールビル大会から長くパラリンピックに出場する大ベテラン、阿部敏弘が優勝。三澤拓、小池岳太と続いた。

 IDクラスは、男子の木村嘉秀と、女子の松本馨代が4日間をとおして連勝した。

 ソチパラリンピックから1年がすぎ、ワールドカップ、世界選手権を終え、この間ピョンチャン(韓国)でのパラリンピックにむけ、それぞれの選手、スタッフが新たな課題を見つけ、試行錯誤を始めていた。

2018ピョンチャンへ状況の再認識

 世界トップの成績を誇る日本のチェアスキー選手らは、今シーズン、チェアスキーのシート、カウル、サスペンション、フレーム、板など、全ての用具を見直すなかですでに課題を見つけていた。

 「今シーズンは僕らの認識が変わりました」と、森井は言う。昨年8月からトヨタに移籍して、さらに理想的な競技環境を構築している。
 たとえば、足部を覆うカウル(風防)は、2002年ソルトレークパラリンピックに向け開発され、当時はとりわけ効果がないとされていた。しかし、今シーズンのトップ選手の滑りは、カウルにより空気抵抗を減らしタイム差をつけていた。

鈴木猛史、スーパーGのスタート地点で

 スラロームの王者として、ソチで金メダル、今シーズンのワールドカップでも総合優勝を果たした鈴木猛史は、「日本製のチェアスキーで日本選手のアドバンテージはほぼなくなった」と話していた。日本製のチェアスキーは海外選手にも人気があるが、海外で使う場合、適切なフィッティングなどができていないと見られていた。しかし、今シーズンには研究も十分にされ使いこなされていたという。
 日本チームでは、新たにサスペンションへの取り組みに乗り出した。これまで使用していた海外製品から、国内での開発をすすめていくという。

 「来シーズンは、道具や体作りなど試行錯誤の時間になるだろう。これらの結果を出すのはその次のシーズンで、ピョンチャン前年となる」と、2006年トリノパラリンピックから日本チームの強化に加わってきたヘッドコーチの志度一志さんはいう。これまで夏はオーストリアで過ごし、海外のスキー事情に詳しい志度さんは、選手発掘など普及面にも関わるため拠点を国内に移した。
 また、志度さんは、「立位の強化にも力をいれていきます。オリンピック選手指導の経験のあるコーチを招いて、これまでは選手自身の感覚だけで練習してきたところに、より経験を積んだ意見をとりいれた練習を行いたい」と話してくれた。

 白馬でのジャパンパラ・アルペンスキー競技大会が無事閉幕した。ソチ後の選手、スタッフ、競技関係者の取り組みを十分に伝えた、希望満載の大会だった。

この記事にコメントする

記事の訂正はこちら(メールソフトが開きます)