関連カテゴリ: RIO 2016, セレモニー, チームジャパン, トライアスロン, 国際大会, 東京, 記者会見 — 公開: 2016年8月3日 at 5:34 AM — 更新: 2022年8月12日 at 9:42 PM

秦由加子、木村潤平が、再び日本代表へ。リオへの壮行会!

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8月1日、パラリンピック・トライアスロン日本代表チーム(選手・スタッフ)の記者会見と壮行会が行われた 写真・佐々木延江
8月1日、パラリンピック・トライアスロン日本代表チーム(選手・スタッフ)の記者会見と壮行会が行われた 写真・佐々木延江

9月に行われるリオパラリンピックで初開催となるトライアスロンの日本代表選手3名が決まり、記者会見と壮行会が都内で行われた。

競泳でアテネから3大会連続でパラリンピックに出場した木村潤平(PT1・NTT東日本)と、同じく水泳でアジアパラリンピック銀メダル、ロンドンパラリンピックを目指していた秦由加子(PT2・マーズフラッグ・稲毛インター)が、種目を変え、トライアスロンで出場する。もう1人代表となった視覚障害の山田敦子(PT5・アルケア、ガイド・西山優)とともに、3名のパラリンピック・トライアスロン日本代表が誕生した。

木村と山田は、バイパルタイト(招待枠)で出場が決まった。
また、ともに代表を目指していた佐藤圭一(PT4・エイベックス)は、惜しくも出場を逃した。佐藤のクラスは障害が軽く、激選区だったが、佐藤はあと1枠あれば代表入りとなる手前まで来ていた。

トライアスロンは世界でも人気の高いスポーツで、6年前にパラリンピック種目り入りが決まってから、エリート・パラトライアスリートの発掘と育成、強化が一挙に始まり、2013年初めてのグランドファイナルがロンドンで開催され、日本からも初の遠征が行われた。
200人を超える大レースとなった。当時ITU(国際トライアスロン連合)が最も課題としていたのはパラリンピックの「クラス分け」だった。翌2014年にはパラリンピックに向けた正式なクラス分けとなり、出場枠も設定された。大会を重ね、パラリンピック競技として整えていった。

壮行会に出席した、岩城光英法務大臣は、前JTU(日本トライアスロン連合)会長で、大臣になるまで、トライアスロン競技に20年携わった。

トライアスロンに20年携わってきた岩城光秀法務大臣 写真・石野恵子
トライアスロンに20年携わってきた岩城光秀法務大臣 写真・石野恵子

「リオパラリンピックでトライアスロンが種目となったことが嬉しい。リオという晴れの舞台で、学んできたことを精いっぱい競技にぶつけてほしい。支えてきた方に感謝しながら、ちょっぴり楽しみながら、レースに臨んでほしい」と、激励の言葉を述べた。

記者会見で3人の代表選手はこれまでの経緯や意気込みを語った。

秦は、8年前に競泳でロンドンパラリンピックを目指し叶わなかったが、水泳の練習で所属する稲毛インターはもともとトライアスロンのエリート・上田藍、加藤友里恵などが所属するクラブだったから、トライアスロンがパラリンピックの競技になったことは、運命のように感じているという。
昨年・横浜大会で優勝したが、8月、練習中の事故で鎖骨を骨折。1か月後のグランドファイナル(シカゴ)には出場できなかった。現在の状況について以下のように話してくれた。
「1年後に迫るリオに出られるのか?不安な気持ちになったが、周りにいた、骨折を経験した人たちから教えてもらいながら競技に復帰。怪我も治り、 現在は競技に集中できるようになっています。調子は徐々にあがっているので、練習を積んで、1か月後に向けて集中した練習をしてレースに臨みたい。自分の強味は水泳。トップで水泳を上り、バイクに入って外国選手ををひきはなせれば、苦手なランで乗り切れます。練習はバイクを強化したい」

木村は、アテネパラリンピック(2004年)から4回目のパラリンピックになる。種目を競泳からトライアスロンに変えて、全く違う新しい種目に取り組んできた。
「4度目のパラリンピックということで、ベテランと言われるが、恵まれた環境のなかで今回の出場が決まったと思います。初心にかえり、あらたな気持ちで臨みたい。
トライアスロンをはじめたときは、失敗続きで、リオへ行くのは難しいのではという思いだった。この場にいるのは運が良い。皆さんの声援・支援のおかげでたどり着いた。リオ出場が決定したことで、支援してくれた方たちに恩返しできたと思う」
また、木村は、記者の質問に答えて自分の強み・弱みについて次のように話した。
「強みはスイム!といいたいところだが、世界にはまだまだ強い選手がいることがわかった。それでも、あきらめずに練習をやり続けることが、自分の強みだと思います。最後のランは、車椅子レーサーを使用しますが、海外選手より遅れることが多い。ここを強化すればリオでもメダル獲得が見えてくると思います。残り1ヶ月で世界の選手と争えるようなレベルにしていきたいと思っています」

視覚障害でパラリンピックへの挑戦が初めてとなる山田は、次のように話した。
「ここまで練習を支えてくれた人々のおかげです。あと1か月間、できるだけ上位の選手に 近づいていけるレースができるよう、体調と心を整えていきたい。自分の強みは、競技というより、練習環境を支える人を集める力があること。今回、西山ガイドを得て、これまでもガイドさんに支えられてきた。いつもレースの時には、後ろにはみんながいると思って走っています」

ガイドの西山とはコーチの紹介で知り合った。大学でトライアスロンをやっているアスリートであり、バイクが得意と期待しているが、ガイドの経験は浅いという。山田はガイドについて、
「西山さんは一人で全部まかなうには経験が少なく、一人の中でやるのはきついと思うので、自分もコースを覚えて言ってあげるようにしたいと思う」と話した。

パラリンピックでのトライアスロンは、9月10日と11日に合計60名の選手が出場する。

(編集サポート・石野恵子)

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