夏季冬季、二足のわらじを履くパラリンピアン・佐藤圭一、左肩のケガを乗り越えて横浜大会に挑戦。パラトライアスロンとクロスカントリースキーで

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オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」④佐藤圭一(パラトライアスリート)
~横浜パラトライアスロン応援プロジェクト「パラトラトーク2021」~

COVID-19の厳しい感染防止対策の中、5月15日(土)・16日(日)に開催される「2021 ITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会/2021 ITU世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会」の応援プロジェクト「パラトラトーク2021」。
その一環として、オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」の収録が、5月7日に横浜市のさくらWORKS<関内>で行われた。
オンラインインタビュー4人目は、佐藤圭一(セールスフォース・ドットコム、PTS5)。東京パラリンピックはトライアスロンで、来年の北京パラではクロスカントリースキーでの出場を目指す佐藤に、メインパーソナリティの丸山裕理(パラフォト記者・フリーアナウンサー)が、横浜大会に向けてのトレーニングや意気込みなどを聞いた。

Keiichi Sato
2019年の横浜でランパーとを走る、佐藤圭一(PTS5) 写真・秋冨哲生

 ――今日は、朝からずっとトレーニングをされていたのですか?

そうですね。来週の横浜(大会)に向けて、今回はコロナ禍で滞在中の隔離の状態もあるので、体動かせる時にトレーニングを積んでおくっていう意味で、最終の追い込みをかけてトレーニングをやってます。

 ――コロナ禍での開催ということで、トレーニングにも影響があるのですね。

そうですね。実際に現地に行って、トレーニングできる環境があるかどうかというのは保証されないので。もう本当に、やるべきことをやってから、あとは準備運動とか、体をほぐす程度のトレーニングしかできないと思って現地入りしないといけないんです。ガイドラインに沿って競技を行ってください、というものが国から出ているので、それに沿ってやるとなると、制限が出てきてしまうというのが、今のコロナ禍でのレースの形です。

 ――では、いつもより少し前倒しという感じで、現地に行ったら調整をするぐらいなのですね。

はい。

 ――今お話にもあった横浜パラトライアスロンなんですが、佐藤選手にとって今回久々の国際大会になるかと思います。今、どんなお気持ちで臨んでいらっしゃいますか?

気持ちとしては、不安しかないんです。
(先日)アジア選手権がありまして、実戦で1年2ヵ月振りぐらいだったんですけど、去年の8月に肩をケガしてしまって、そこからの復帰レースだったんです。ケガした当時は肩が元に戻るかどうかわからない状況だったので、現役が続けられるかどうかという不安がありました。今、パフォーマンスは上がってきたんですけど、ほんとに世界で通用するレベルに行けるのか、というところで。アジア選手権では、やはり世界で戦うには実力不足かなっていう結果が出てしまったので、その辺の不安がちょっとありますね。

リオパラリンピック(2016年)トライアスロンに出場した時の写真。左から佐藤圭一、秦由加子、木村潤平 写真・佐々木延江

 ――なるほど。ケガのお話なのですが、具体的に、いつ頃、どんなふうになってしまったのですか?

昨年の8月に、合宿でトレーニング中に、自転車のダウンヒルで下り坂を下って行く時、自分の不注意で道のあまりよくない所にタイヤが引っかかってしまって転倒しました。初めは、痛いのは痛いけど多少動いたので、鎖骨の骨折ぐらいですんでいるのかな、と思ったんです。
ところが、病院に行ったら、肩甲骨が割れちゃって、鎖骨も割れちゃって、鳥口(うこう)突起っていう、その3ヵ所の骨が折れてしまっていて。ドクターからは、「普通の日常生活に戻るのが半年。レース復帰するのは1年ぐらいかかるんじゃないか」と言われました。初めは、「アスリートだから半年だろう」って思って治療を続けていたんですけど、思った以上に動かなくてですね。まあ、そういったケガをしました。

 ――昨年の8月というと、(東京パラリンピックの)レースまで1年で、パラリンピックのことも頭をよぎりますよね?

そうですね。パラリンピックが延期になったので、ぼくとしては、昨年は「よし!」と思って準備していたんです。でも実際、ケガの状況とか、治療とかしていくうちに……。結構、大きなケガだというのはわかっていたんですけど、自分は治せるという根拠のない自信があったんです。それで、早く治せると思っていたんですが、ほんとにひどいケガだったみたいで。
なので、ケガからの復帰というところがほとんどで、トレーニング自体もできていないですし、2021年の東京パラに間に合うかどうかというところです。実際、レースは出られたんですけど、パラリンピックのクオリフィケイションで自分が出場枠を獲得できるかっていうことになると、かなり難しいところに現在いるかな、という感じです。

 ――トレーニング自体は、いつ頃から再開できたのですか?

2016年4月29日、アジアトライアスロン・パラ選手権での佐藤圭一のスイム  写真・佐藤亮

トレーニング自体は、無理すればできるっていう状況なんですよ。ただ、人間の体っていうのは、特に肩というのは一番稼働する、360度回転するんですけど、その不安定な要素を囲っている骨が、ぼくの場合は折れてしまったんですね。で、曲げ伸ばしとか、上げ下げをする筋肉、その筋肉や腱がついている骨が折れちゃっているので、骨が治ったとしても、その周辺の筋肉や腱というのが不安定な場所だからこそ、時間がかかってしまう。元通り動かすためには、結構大変なリハビリを行なわなくちゃいけない。なので、そこがトレーニングになってきちゃう、というところですね。
全身麻酔で手術を3回しまして、冬に一回復帰をしようと思って、実際に2ヵ月間、雪の上でレースができる状況か試そうとしました。入院も2ヵ月していたので、体力を元に戻せるのかっていうのと、ほんとにレースで通用する体なのかを確認して合宿とかにも参加したんです。けれども、トレーニングはできる状態ではあるんですが、トレーニングすればするほど、ケアもしていかなきゃならないんです。

4月24日に廿日市(広島県)で開催されたアジアトライアスロン・パラ選手権大会の表彰式。復帰した姿を見せてくれた。 写真・佐々木延江

その一番大事な理由は、可動域を出すためには、筋肉が張ってしまうと、可動域が出なくなってくるからです。なので、フレッシュな状態、一番わかりやすいのは、マッサージして気持ちよくなって疲労が抜けた状態が、一番可動域が出る状態なので、その状態を保ちながら競技をやっていくっていうのが理想の形なんです。でも、それが実際に行えない。筋肉が張ってしまって、無理して動かしている状態というのは、パフォーマンスの動きが破綻してしまっている状態でずっと行うということなので。たとえて言うと、仕事をめちゃくちゃ残業し続けてやって、結局パフォーマンスがよくない、というのと一緒なんです。
そういうトレーニングは、してもほとんど意味がないというか。我慢できる、精神的な強さ(を鍛える)とかはあるかもしれませんが、そこを無理してやっても、可動域が出せなくなってきます。
ですから、可動域を出してからその周りの筋肉も鍛えていって、競技をしていくっていうのが通常の順序なんです。元のベースがないと。赤ちゃんが離乳食から始まって大人の食事になっていくんですが、それと一緒です。可動域が出ないのに無理してどんどんやっても、筋肉が固まってしまって、可動域出そうとしても腱が固まったり、骨が萎縮したり、古傷が痛んだり、可動域が出ない状態で固まってしまって、それが通常の状態になってしまう。そういった感じで、リハビリができる状態でトレーニングを行う状況が、今も続いています。

2017年、横浜大会(パラエリート)フィニッシュする佐藤圭一(PTS5) 写真・山下元気

なので、わかりやすく言うと、レースとかトレーニングはできるんですけど、レースに向けた強度の高い練習を、競技パフォーマンスが破綻していない状況でやり続けるのが、ケガの影響によって少しの間しかできないという感じですね。
インターバルトレーニングとかやる時に、前は3分とか3分10(秒)とかで回してたんですね。それが、今は走れないんですよ。肩の動きが鈍かったり、腕振りがちゃんとできなかったりして。あとは、肩の周りの筋肉の硬直によって、呼吸が入ってこない、肺がふくらまない、そういった影響があるので。今は頑張っても3分20か3分30で回すのがやっとなんです。そう考えると、今までやっていたトレーニングができない状況であって、リハビリをしっかりやって、可動域を元に戻して、そこからさらにパフォーマンスを上げるために、左の方を右腕と同じように動くようにしていくっていうのが今のトレーニング? ですね。

 ――ご自身としては、ピークの時と比べて今は何%ぐらいのコンディションでしょうか?

コンディションとしては、一番いい時と比べれば60%ぐらいですかね。

 ――ケガをした時から比べると、レースにも出られるようになったし、「回復しているな」という実感はありますか?

そうですね。体自体は当時、スクリューとかボルトとかプレートとか入れて、骨と骨をくっつけて留めたんですけど、術後ボルトとかスクリューとかプレートとか抜いても、腕が30度も上がらなかったんですよ。で、3月いっぱいぐらいまでは腕が回せない状態。ずっと片手スイムで泳いでいる状態だったので、正直、元に戻らなかったら、変な話、腕切ってカテゴリーを一つ下げて、そっちで出た方がいいんじゃないかと思った。そんなことを考えたぐらいなので。
(パラリンピックの父)グッドマン博士が「残ったものを生かす」と言われてますけど、自分の左腕が全然動かない状態から動ける状態にしていくことによって、動きが全然変わってくるし、競技パフォーマンスというか、トレーニングのパフォーマンスも全然違ってくる。いかに左腕を自分が使いきれていなかったか、ということが再認識できたので、そこをもっとちゃんとトレーニングしていけば、さらに元の状態よりいい状態を作れる可能性はあるな、というのを感じました。その辺は、ケガしてよかったというか、気づけたところですね。

2016年、横浜大会での佐藤圭。バイクへのトランジッション 写真・加藤慶次郎

 ――では今、左腕の状態をもっと効率よくというか、うまく使えるようなトレーニングもされているのですか?

そうですね、はい。見たらわかるんですけど(両手を見せて右手を握ったり伸ばしたり、ぐるぐる回したり)、リストがこういう動きを、指があるといろいろ使うんですが、指がないと使えないので。ぼくの場合も動くって言っても、(左手首は)ほとんど動かないんですよ。で、この動かないことによって、腕のねじりとか、外に開く動きとかが結構制限が(されていて)、ケガしたことによって余計に出てきてしまっている。そこを右腕と同じぐらい動かせるようになってくると、さらにパフォーマンスが上がってくるので、そこを重点的に強化していくのが、今の一番の課題かなという感じですね。

 ――佐藤選手にとって、今回の横浜大会は新しい挑戦になるのかもしれないですね。

そうですね。挑戦者として新しく臨むという感じなので、トライアスロンをまた新しく始めたような気持ちにはなっています。けれども、東京(パラ)は行かなくちゃいけないと思っているので、そこまでの競技パフォーマンスをほんとに作っていくには、ということを考えながらやっている状況です。

 ――横浜パラトライアスロンとの関わりについても、少し伺いたいのですが……。
今回、企画のタイトルが「わたしの横浜パラトライアスロン」というもので、選手の方にエピソードや印象に残っていることをお伺いしています。佐藤選手は、この横浜大会、たくさん出場されていると思うのですが、どういう印象をお持ちですか?

ぼくは、パラトライアスロンの正式な大会でデビューしたのが横浜なんですよ。なので、海も初めてだったし、世界のパラトライアスロンの選手が、「こんなに強い選手がたくさんいるんだ」っていうのも感じました。ぼくのパラトライアスロンの原点と言っても過言ではないので、すごく思い出のある大会ですし、自分の国内のレースとしては一番メインとしている大会ですね。

 ――何か思い出に残っている景色や、覚えていることがありますか?

佐藤圭一、2018年エイジパラでのバイクシーン 写真・山下元気

まあ、山下公園のあそこの周りを走れるっていうのが、あの景色がぼくはいいと思います。横浜港を泳いで、上がってきて山下公園の前をずっと自転車で走って、沿道には皆さん声援してくださる方もいますし。そういう、自分がホームとして感じられる大会ですね。

 ――ホームのレースや大会というのは、そのほかの大会に比べて、やはり違ったりしますか? 心強さなど。

そうですね。レースで出し惜しみしている訳じゃないんですけど、やっぱり知ってる方もたくさん見えますし、個人的に名前を呼んで応援してくださる方もいるので、そうなってくると自分が出せないエネルギーも出てくるというか。見てくれている人たちは見ているし、声に出して応援してくださる方がたくさんいますから、そうなると「ああ、疲れて体が動かない」というところから、もう1個ギアを上げられる、というぐらいの、ほんとに自分にとっては背中を押してくれる大会ですね。

 ――沿道の声って、結構聞こえているものなんですか?

めっちゃ、聞こえてます(笑)。

2017年お台場でのデモンストレーションでフィニッシュする佐藤圭一(エイベックスグループホールディングス/愛知)PTS5 写真・内田和稔

 ――そうなんですね。応援している側からすると、「聞こえているのかな?」と思っていたので。

めっちゃ聞こえていますし、聞こえれば聞こえるほど、オーバーペースになります。そこを、どうやって自分のペースにコントロールするかっていうところも、練習させてもらってます。

 ――そうなんですね。パワーになるし、オーバーペースにもなるのですね。では結構、力の踏ん張りどころにもなったりするのですね。

そうですね。まあ、頑張れる自分は必ず出てきますから。そういう声援が聞こえると。頑張りどころと、ちゃんと自分の競技パフォーマンスを出すために、オーバーペースにならないようにコントロールするっていうのは大事なところになってくるので。ただ、ゴール前とかのスプリント勝負になると、あとは出すだけというか。そういう出しどころで応援されると、出ないパワーが出てきますから。それはすごくいうれしいというか、ほんとに自分のパフォーマンスを出させてもらう、覚醒させてもらうのが、観戦されている方とか応援されている方(のおかげ)になってきますね。

 ――アスリート向けのエリートのレースと、翌日にはエイジのクラスがあるのが横浜パラトライアスロンの特徴の一つですが、佐藤選手はエイジの方にも出場されているのですよね?

2015年、リオでのテストイベントに出場した佐藤圭一のフィニッシュ、11位 1時間7分53秒 写真・佐々木延江

そうですね。でも本当はエイジのほうは、あまりエリートの選手は出ないんです。出てもいいんですけど、エイジのほうはエイジのほうで優勝を目指している方がいるので。そこをあまり邪魔しちゃいけないのかな、と思っているので。ぼくもそうですけど、エイジからエリートに上がっていく選手とかもいますから。一緒に走れるというのはいいと思うんですけど、エイジの選手もしっかり目指すところを目指して、そこで勝つためにやってきてると思うので。
まあ、たまに出てますけど、体にはよくないです、2日連続のレースは。

 ――そうですね。すごいですよね、佐藤選手は。やはりエイジクラスに出るというのは、刺激になったりするのですか?

そうですね。トライアスロンのレースって、国内ではそんなに頻繁に行われないので。やはりレースできるってなると、一応ぼくは選手なので出たがりですから、出たいですよ。

 ――ではクラス関係なく、出場できるものはチャレンジする、という感じなのですね。

2015年、テストイベントでフィニッシュ後の佐藤圭一

はい、そうです。

 ――今回(の大会では)無観客になりますが、選手として(その辺りは)いかがでしょうか?

まあ、無観客が「ニューノーマル」になると思うので、そこは自分の課題でもありますし。無観客であったとしても、映像を通してだったりとか、見ていただける部分があると思うので。いかにお客さんとかの声援を受けなくても、自分の最高のパフォーマンスを出していけるかというところが、自分の本当の実力になっていくので、いい練習だと思っています。声援は実際には聞こえないかもしれないですけど、それを味わった経験はありますから、その思い出を自分の力に変えてどれだけやれるかっていうのが、今回の横浜大会になる感じですね。

 ――その経験が一つあることが、本番に活きてきそうですね。

はい。

 ――それから、夏と冬の競技の両立についても、少しうかがいたいのですが……。
佐藤選手は、元々冬のクロスカントリーとバイアスロンということでスタートされて、どうしてトライアスロンへの出場を考えたのですか?

夏季・冬季二刀流の佐藤圭一。平昌パラリンピック(2018年)「自分の力を出せて良い締めくくりになった」と語った。(写真・中村“Manto“真人)

いや、出場は考えてなかったんですよ。元々はスキーのトレーニングの一環として自転車をやってまして、ロードバイクに乗ってたりしたんです。そのお世話になっている自転車屋さんの方が、社長さんになるんですけど、その方が愛知県のトライアスロン協会の理事をされていて、ちょうど2016年の前、2014年か2013年に、「リオパラリンピックの競技として、トライアスロンが正式種目になりますから、やってください」みたいなことをお願いされたんです。それで、挑戦する形で、特にトライアスリートになろうとかいうのはまったくなくて、トレーニングの一環として試しに出場してみよう、ということで出場し始めました。そうしたら、「リオ、行けそうなんじゃないの?」っていう感じになってきちゃって、リオに出場できたんです。
冬の方のパフォーマンスも、別にそれをやることで下がった訳じゃなくて、トライアスロンの方も冬やったからといってパフォーマンスが下がるかっていうと、そういう訳でもなかった。むしろ上がっていたので、そのトレーニングが自分には合ってると思って取り入れたというのが、両方やるきっかけです。

 ――「リオに行くことになっちゃって」と言ってみたいですね。すごいですね。
トライアスロンと、トレーニングで共通することもあったのですか? たとえば今、バイクとおっしゃっていたように。

共通すると言いますか、持久系の競技っていうのは共通なんですが、簡単に言いますとスキーの方は持久系なんですけど、持久筋力とかパワー系の方に入るんですよ。でも、トライアスロンはどちらかと言うと、回転数を回し続けて、ピッチとかケーデンスを回し続けて体を動かし続けられるかっていう、力は要らないんですけど、本当の持久系の競技になってくる感じです。

2015年、リオでのテストイベントでの佐藤圭一、フィニッシュエリアで。 写真・佐々木延江

 ――そもそもの違いがある中で、それがプラスになって、どちらの競技もレベルが上がるというのはすごいと思うのですが、ご自分では「こんなところがよかったのかな?」というのがありますか?

今、実際感じているのは、心肺を元々鍛えてはいたんですけど、トライアスロンの方で動き続けられる持久力というベースを作って、冬の方へ移行していく時にどんどんどんどんパワーが要りますから、ウェイトも徐々に増やしていって、一回の出力を増やしていく。すると、元々ある、トライアスロンで養った持久力が、さらにスキーの方へ移行していくことでパワーと持久力が重なり合い、うまくスキーの方でもパフォーマンスが発揮できるのです。
それで、スキーの方で、体自体もちょっと大きくなるんです。大きくなった体をそのまま持ってくると、重いのは重いんですけど、トライアスロンの方でウェイトとかをもう全部やらない状態にすると、トライアスロンに必要な筋肉だけがついてくるんです、トライアスロンをやっていると。
なので、必要ないものはそぎ落とされていくので、軽い状態のトライアスロンの体形になって、夏ごろになるとようやく、トライアスロンで競技パフォーマンスが最高のものが出る体になってくるっていう感じ。その繰り返しが、今のぼくのパフォーマンスなのかなと思います。

 ――夏と冬で、筋肉のつき方も全然違ってくるのですね。

そうですね。2キロぐらい冬は重くなるので。体重自体。

 ――でも、2キロとかなのですね。

いや、2キロって結構重いですよ。クロスカントリーもトライアスロンも、やっぱり締まっていないとパフォーマンスとしてはあまりよくないので。2キロ、1リットルのペットボトル2本となると、トライアスロンではかなり重いので。

 ――2キロが大きな差になる訳ですね。気になるのは、パラリンピックが1年延期になったことで、夏(東京パラ)から冬(北京パラ)にかけて、本番までの期間がとても短いと思うのですが、東京から北京へというのは、どのように考えていらっしゃいますか? どうしましょう?

ぼくも、「どうしましょう」という感じです(笑)。通常通りのスケジュールでいくと、1年開いて次の年にパラリンピック、1年開いて次の年に冬季のパラリンピックとなるんですけど、今年はダブルヘッダーで来ますから。要は、試す1年がないんですよ。そのための準備期間もないので。ほんとに、ぶっつけ本番でいかなくちゃいけないっていうところが一つ。あと今で言ったら、自分のケガがどれぐらい治るのかっていう。北京の方はあんまり心配してないんですけど、東京の方が間に合うかどうか、というのがぼくの課題ですので。その二つが、延期になったことによってダブルヘッダーになって、自分が初めてチャレンジするところになるかな、という感じですね。

 ――では、今大会、来週の横浜パラトライアスロンは、自分のケガの治り具合や、どこまでレースでできるかということを、改めて感じるものになりそうですか?

そうですね。あと残り4レースぐらい、東京クオリファイの対象のレースがあるんですけど、コロナ禍で本当にレースが開催されるかどうかもわからないから、絶対に失敗できないんですよ。なので、出られるレースで結果を出さないといけないっていうのが、コロナ禍によってもたらされた、ぼくらアスリートの使命なんです。そこをちゃんと調整して、いつでもベストでいけますよっていう状態を常につくり続けなければならないというのが、今のアスリートだと思うので、それをしっかりやっていかないとダメですよね。

 ――最後に、今大会への意気込みを、ひと言聞かせてください。

2016年、横浜大会の記者会見に出席したパラトライアスリート。左から、PT4佐藤圭一、PT2アリサ・シーリー(アメリカ)、PT4ステファン・ダニエル(カナダ) 写真・三浦宏之

今大会は、コロナ禍で……。アジア選手権でもコロナ禍での開催っていうのを経験したんですけど、まだ慣れてはいないので、自分のパフォーマンスをどう引き出していくかっていう調整とか、コロナ禍でのガイドラインに沿った形式での大会開催で左右される自分のパフォーマンスのコントロールを、どれだけできるかというのを一番の課題としています。そこをちゃんと自分で調整をして、皆さんに力や元気とか、勇気を与えられるトライアスロンをしたいと思います。

 ――みんなで見守っているので、応援しているので、ぜひ頑張ってください。

はい、頑張ります。

 ――佐藤選手、ありがとうございました。

ありがとうございました。

【参考】
◎世界トライアスロンシリーズ横浜大会情報サイト|YOKOHAMA TRIATHLON Website
Website http://yokohamatriathlon.jp/wts/index.html

5月7日、さくらワークス<関内>スタジオにてオンライン取材 写真・山下元気

(PARAPHOTO 2020 Tokyo:企画・メインパーソナリティ 丸山裕理、動画・スチール撮影 山下元気、構成・文 望月芳子)

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