キャプテンたちの歩んだ道とこれから~車いすラグビー、東京パラリンピックの戦いを終えて~

8月29日、東京パラリンピックの車いすラグビーは5日間の戦いを終えた。
リオからの5年間の道のりの結果は、銅メダル。喉から手が出るほど欲しかった色にはならなかった。
それでも、前日の準決勝の敗戦とは違った涙を、全員が流していた。

日本をけん引するハイポインターの池透暢(左)、島川慎一(中)、池崎大輔(右) 写真・Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

2018年の世界選手権で、日本勢初の金メダル。
翌年に行われた車いすラグビーワールドチャレンジ2019では、東京体育館に満員の観客が詰めかけた。
2020年の東京パラリンピックでは、こんな風に大歓声の中で、金メダルを……。

チームだけではなく、車いすラグビーのファンの皆がどれだけ心待ちにしていたことだろうか。

コロナ禍による、大会の1年延期。
車いすラグビーの選手たちは、頚髄損傷などの重度障害が多いため、練習や合宿、普段の行動においても厳重なガイドラインが敷かれていた。
苦しかった。つらかった。
それでも、「やっぱり車いすラグビーが好きなんだ」。
制限されることで、競技への思いを再認識する選手たちもいた。

試合に帯同する日本代表チームスタッフ 写真・Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

東京パラリンピックの初戦では、フランスを相手に、残り3分45秒からの大逆転。
今まで積み重ねてきた「諦めない」を体現するかのような試合は、日本中をくぎ付けにした。

オーストラリアとの3位決定戦では、前日の敗戦の悔しさを晴らすかのようなプレーの応酬。準決勝でイギリスにさせてもらえなかったロングパスがどんどん通り、ローポインターも気迫のキャッチを見せる。
「自分たちのプレーをやり抜く」という覚悟が、2大会連続銅メダルへとつながった瞬間だった。

代表初選出の19歳のハイポインター・橋本勝也。池崎から「俺たちを超えてこい」と激励された
写真・Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

試合後、キャプテンの池透暢は、「準決勝で負けた後、”目指しているのは、ディフェンスでもオフェンスでもアグレッシブなラグビー。俺はそういうラグビーが好きだ”っていうメッセージがチームのLINEにケビンから届いたんです。だから”僕もケビンの目指すラグビーが好きだ”って返信しました。色は違ったけれど、これまでの過程は間違っていなかったし、素晴らしい情熱を持った12人が集まったチームだった」と晴れやかな表情だった。

池透暢「結果だけじゃない過程は、パラアスリートとして魅力を伝えるために大切なこと」 写真・Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

敗れたオーストラリアのキャプテン、ライリー・バット。
ロンドン・リオと2大会連続金メダルで世界ランク1位の強豪国は、メダルを持ち帰ることすらできなかった。

11歳で車いすラグビーを始めたライリーは、32歳。20年余りの輝かしい道のりに、コロナ禍が立ちはだかった。
「困難があったのはどこの国も同じだけど、僕たちはそれがうまくいかなかった。3回目の金メダルを取りに来たけど、叶わなかった」と東京パラリンピックを振り返った。

ライリー・バット。3位決定戦では、試合前から涙ぐむ姿が見られた 写真・Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

今後については、「とりあえず今はゆっくりして、奥さんと新婚旅行に行きたい」。
リフレッシュして、3年後のパリに向けて再び歩み出す姿を、ラグビーファンが待っている。

 

写真提供=Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby

(校正 望月芳子)

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