パラウインターの魅力を伝えるスタンディングクラスはLW1から9までクラスがある。数字の低いほうが重く、特に足に重度の障害のあるLW1~3のクラスは最も障害が重く過酷であるといえる。LW2は片足で滑る。選手は義足や装具、ブーツに細かな工夫をしてバランスを整えたり、痛みを和らげながら、足裏の感覚を掴んでスキーに挑んでいる。
競技3日目・3月7日、スーパーコンバインド・スタンディングクラスのメダリストは、1位・LW3のアーサー・ボシェット(FRA)、2位・地元中国の片麻痺19歳Jingyi LIANG(LW9-1)、そして3位・LW1のアダム・ホール(NZL)であった。
コンバインドでアダムホールが銅メダル!
スーパーコンバインドは、2本の異なるレース(スーパーGとスラローム)を滑りその合計タイムを競う。スラロームを得意とするアダム・ホール(LW1・NZL)が1本目のスーパーG15位からのスラロームで2位、トータルで3位/銅メダルを獲得し、スラローマーとしての才能を見せつける一幕を描いた。
「スラロームは、私のキャリアの中で最も得意とする種目だ。スラロームでいい滑りをすれば、絶対にチャンスがあると思っていたが、あんなにタイムを縮められるなんて信じられない」と感想を話した。
コロナの影響でニュージーランドはここ2、3年、国の制限により昨シーズンは遠征もできなかった。そのなかでも、自分自身やチームの振り返りを絶やさず、長年の経験や、自分たちがやっていることに何が必要なのかを深く掘り下げる時間をもったという。
「パラリンピックへの道のりはクレイジーな旅。(立位のクラスは人数が多く)とても競争が激しいので、メダルの色は関係ない(銅メダルも)金メダルと同じくらい良いものだ。競技に参加できるのは素晴らしいことで、何年経とうが、競技に参加している年寄りの一人として想う」と競技の魅力を語った。
フランスからオールラウンダーの誕生
「僕はスキーに恋している。スキーが大好きなんです」という金メダリスト、アーサー・ボシェット(LW3・FRA)は21歳。ダウンヒル、スーパーコンバインドで2日連続で金メダルを獲得し、まぎれもないLW3のプリンス誕生である。
「スラロームは技術的には良いレースではなかったが、全てを出し切り、自分を限界まで追い込んだので、それは素晴らしいことだ」と話す。スーパーコンバインドでは2本とも1位とオールラウンダーの気合いを見せた。
平昌大会に17歳で初出場し4種目で銀メダルを獲得したボシェットは、5歳からスキーに親しみ、10歳からは遺伝性痙性対麻痺を患い足に重い痙攣を持ちながらスキーを好んで続けていた。高校のころ教師の勧めでパラスキーに出会った。
クレイジーさでは負けない、日本のスタンディングクラス
スキーへの情熱では負けない日本のスタンディングクラス。東海将彦(LW3)はアダム・ホールと同期で初出場したトリノ大会(2006年)の大回転で銀メダルを獲得した。金メダルが期待されたバンクーバー大会(2010年)へ向かう練習中の事故で左足首を骨折し、障害を重くしたのちも装具やブーツの調整を繰り返し、アメリカ(コロラド)を拠点に挑んできた。ソチ大会から8年ぶりにパラリンピックの舞台へ復帰した。
「(昨日の)スーパーGが不甲斐ない結果に終わってしまって、気持ちを切り替えてスラロームが最終日の競技にもなる、ここ初めてのコースなのでしっかりと完走して最終日の滑りにつなげようとしました。1本目のタイム差あったので、前半は攻めてみて後半は最後の斜面までしっかり滑りました」
ーーー難しいコースということが言われますが。
「オリンピックの映像を何度も見て、斜度があるコースで振り幅のあるセットを想定していましたが、かなりまっすぐでした。変化が多くて一定のリズムがなく忙しいカーブに自分の足や体が反応できるか、雪も下地の氷がでていたがエッジがひっかかるかどうか、最終日(のスラローム)へ気持ちを切り替えています。最終日はもっと気温が上がるので問題ないかと想う」
ーーー装具とのマッチングはうまくいきましたか。
「正直トレーニングしてみて準備していったのとはだいぶ違ってしまったので、違うセッティングでいった。スキーもスペアでやった。なんとなくここの雪にあわせることができてきている。GSもぶっつけ本番になりますが、スラロームで滑ったのをうまくGSにもフィードバックできればと思います。かけになっちゃいますが」
ーーー同じクラスのトップ選手がでてきましたが感じることは。
「世界一のボシェットがいますが、まだ話したことがありません。動きとか見て、まだ不思議です。よくブレないなと・・」
スーパーコンバインドで金メダルのボシェット(LW3)と、銅メダルのアダム・ホール(LW1)で、経験と年齢に差がある二人だが、ともに重度障害のスタンディングクラスのスキーに大きな可能性をもたらした。選手たちは「過去最難関」レベルと評される北京のコースに挑むことを楽しんでいた。