視覚障害者クラス、円尾敦子、ガイドと二人三脚で横浜大会へ挑戦〜横浜パラトライアスロン大会〜

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オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」⑥円尾敦子(パラトライアスリート)
~横浜パラトライアスロン応援プロジェクト「パラトラトーク2021」~

COVID-19の厳しい感染防止対策の中、5月15日(土)・16日(日)に開催される「2021 ITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会/2021 ITU世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会」の応援プロジェクト「パラトラトーク2021」。
その一環として、オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」の収録が5月8日に行われた。
オンラインインタビュー6人目は、視覚障害者クラスの円尾(日本オラクル・グンゼスポーツ。視覚障害者クラス)。メインパーソナリティの丸山裕理(パラフォト記者・フリーアナウンサー)が円尾に、視覚障害者クラスの特徴や大会への意気込みなどを聞いた。

Atsuko Maruo
2019年8月、視覚障害(PTVI)女子に出場した円尾敦子  写真・秋冨哲生

――おはようございます。

おはようございます。

 ――今日は合宿先からいらっしゃったということで、今はどちらにいらっしゃるんですか?

今、福島県楢葉(ならは)町のJヴィレッジというところにいます。

 ――Jヴィレッジにいらっしゃるんですね。合宿地としても有名な所ですよね。

そうですね。素晴らしい施設です。

 ――今、直前の合宿をされているということですか?

はい。

 ――どんなトレーニングをされているのですか?

基本的に、レース前なので調整という感じでやっています。私の住んでいる兵庫県が緊急事態宣言が出てしまっていて、練習環境がままならないということで、今回特別にこちらをお借りして、練習させていただいています。

 ――大会直前になりましたけれども、今はどんな気持ちで臨んでいらっしゃいますか?

横浜大会は、やはり毎年毎年とても重要なレースだと思っていて、正直すごく緊張しています。

2015年、横浜大会 山田(円尾)敦子 3位 

 ――円尾選手は、横浜大会は何度も出場されていると思うのですが、それでもやはり緊張はされるのですか?

そうですね。私は最初っから出ていますが、最初のレースで海で溺れまして、そのトラウマがずっと残っているところもあるんですね。もちろん、反面、応援もすごくて、嬉しい思いもあったし、いろんな思いが残っているレースなんです。だから思い入れが一番大きいのと、やはり日本国内で行われる一番大きなレースということで、みんなそうなんですけど、すごく重要な位置付けになるレースだと思っています。それで、緊張したり、複雑な思いで迎えています。

 ――パラリンピック直前、みたいなところも、緊張感が増しているところでもありますか?

はい。今回特に、自粛期間などが入り、レース数も限られている中で、開催していただけるということで、貴重なレースです。そういう、今までとは全然違う意味もあるので、大切な大切なレースだと思っています。

2015年、横浜大会前日、会場付近で練習するPT5(視覚障害)女子円尾敦子とガイドの武友麻衣 PARAPHOTO

 ――最初に、ちょっと溺れてしまったというハプニングもあったとのこと。その時は、初出場のデビュー戦でということだったのですね?

横浜大会は初めてだったのですが、私にとって2、3戦目のレースでした。世界大会という名前もついていましたし、海の中からスタートっていうのが初経験だったので、すごく怖くなってしまって。最初にスタート前に飛び込んだ時点からちょっと溺れかけていて、スタートが鳴った瞬間にすぐには行けなくて、顔をつけること自体が難しかったです。

 ――なるほど。最初に海に飛び込むという、しかも競技用のプールのレースではないですから、また別の緊張感がありそうですね。

はい。足がつかないのがやはり、いきなり怖かったっていうのがあって。いくらガイドさんを信用していても、もし私が溺れたらとかいろんなことを考えてしまって、あの時はすごく怖かったです。

 ――横浜パラトライアスロンとの関わりも少しおうかがいしたいのですが、本当に最初の頃からで、一番始めは2012年になりますね。

そうです。その時は9月開催だったと思うのですが、それ(横浜大会の開催)が初めて、私も一緒に参加をさせていただきました。

 ――横浜の大会、レースについては、どのような印象を持っていらっしゃいますか?

そうですね。街中で走るっていうのが、「こんな所でレースするんだ」というのが最初の印象でした。もう都会すぎて。「こんなに車がいっぱいで、こんなに人がいっぱいいる中で、私走るんだな」というのが印象です。

PT5女子、山田(円尾)敦子(左)、ガイド脇真由美(右)スイムアップ PARAPHOTO

 ――本当に、山下公園とか赤レンガ倉庫とか、街中を疾走するっていう感じなのですが、やはりほかのレースとは印象が違ってきますか?

そうですね。関西にいると、関西のレースって、こんなに都会ではないことがほとんどなので、もっと静かな中でレースをするイメージが強かったですね。

 ――では最初に走った頃は、全然違う景色に驚きましたか?

はい。パンフレットで見たことがあるような観光地を走る、泳ぐなんて考えもしなかったので、「ここで泳いでいいんだ」と思いました。

 ――そこから、参加されてから10年ぐらいになると思うのですが、あっという間ですね。横浜の盛り上がりや、移り変わりを見てきて、どんなふうに感じますか?

私は弱視なので、そんなに細かく景色が変わっているかどうかはわからないんです。けれども、周りの声も最初の頃と変わらずあって、声は大きくなっていると思うので、きっと応援の方は増えているし、知名度も上がってくれたんだと思ってます。

 ――円尾選手は視覚障がいの部で出場されていますが、どういったレースになってくるのでしょうか? 特徴を教えていただけますか?

私たちは弱視と全盲とに分かれていまして、全盲の選手にハンディが与えられていて、3分ちょっと先にスタートし、私たち(弱視枠)が追いかけていくという形です。
弱視であっても全盲であっても、ガイドという同性の選手が一人付いて、スタートからフィニッシュまで必ず一緒に競技をしなければなりません。ガイドさんに何かあって倒れたりしても、私も失格になるというルールでやっています。泳ぐ時・走る時はロープで繋いでいて、自転車はタンデムバイクという二人乗りを、ガイドさんが(前で)操作をして、私たちが後ろに乗るという形で競技を行います。

 ――では本当に、二人一組、二人三脚で歩んでいく、というレースなのですね。

はい。本当に(ガイドさんは)とても大事な存在で、私たちの目となってくれて、いろいろな情報を言葉や体で伝えてくれています。

バイクトランジッション山田(円尾)敦子(右)、ガイドの脇真由美氏(左) PARAPHOTO

 ――普段、どんな声がけをしながら練習しているのですか? 私たちには、なかなか聴こえてこない部分だと思うのですが。

声がけ自体、ガイドさんがしてくださるものなので、任せているって感じですね。唯一、私が声をかける余裕があるとしたら、バイクの時に後ろで、ちょっとトラブったりした時に、「落ち着いて」とか、言える時は言います。だけど、基本、私はいっぱいいっぱいなので、おまかせです(笑)。

 ――では、お互い阿吽の呼吸で、お互い信頼して任せるという感じが強いのでしょうか?

ほんと、そうですね。信頼してなければ一緒には泳げないですし、自転車も相当なスピードが出ますので、信頼してない人と乗るととんでもないことになってしまうし、命だって落としかねないものなので。信頼しているガイドさんとしか、レースには出たくないです。

 ――長く出場されていて、信頼関係も長く積み重ねたものだと思うのですが、やはり最初のレースの時と、今出場するレースとでは、ガイドさんとの間で見えるものや感じ取れるものが変わってきましたか?

そうですね。私自身があの頃と比べれば成長してきているので、いろいろ考えながらレースができるようになったかなっていう部分もありますし。でもやっぱり、最初からガイドさんを信頼していなければできないという気持ちには変わりがないので、そこはずっと一貫して持っているつもりです。

 ――視覚障がいの部では、ガイドさんとのペアでの阿吽の呼吸のほかに、何か特徴的な部分があるのでしょうか?

2015年横浜大会 山田(円尾)敦子 PARAPHOTO

うーん。まあ、二人でやっているっていう。ガイドさんが、私のただの手伝いっていう感覚でもなく、理解してもらいながらやっていく、というところですかね。
ガイドさんは選手でもあり、陰の支えてくれる方というか、言い方が正しいかどうかわかりませんが、黒子みたいな部分もありながら、私が勝てばガイドさんもメダルをもらえる、選手として扱われるところもあります。そういう複雑な立場を理解していただく、というところですね。

 ――アスリートとして一緒に走る、パートナーみたいなところがあるかもしれないですね。

はい。

 ――円尾選手は、スイム、バイク、ランで言うと、ランを強みとされているということですが……。

いえいえ、私、ランじゃないです。頑張らなきゃいけないのは、ランなんですけど。一番嫌いですね(笑)。

 ――では、スイム、バイク、ランで言うと、「どの種目が得意」というのはありますか?
 
運動神経がよくないので、得意っていうのが言えないんですけど。好きなのはバイクですかね。

 ――バイクですか。どんなところが好きなんですか?

一人で乗れないのに、スピードというか風を感じながら乗れるっていうのがすごく幸せで、それがすごく楽しいです。二人で息を合わせてこいでいくっていうのは、一人の自転車では経験できないことですし。いろいろ考えながらこいでいくっていうのがすごく楽しいので、結構20キロっていうのが、あっという間に過ぎていくんですね。そういうところが、なんか好きです。

 ――確かに、猛スピードというか、スピードを上げて走れるところが、なかなかないですよね。

そうですね。

 ――逆に、頑張らなきゃいけないというてランについてですが、ランは今どんなところを課題としていて、トレーニングを積んでいらっしゃるんですか?

今は、ペース上げてとか、タイムどんどん上を狙っていこうっていう年齢ではないですし、時期的にもそうではないので。本当に身体の使い方、基本的なところですけど、そういったところをもう一度見直して、より効率的に走れる方法はないかというところを練習しています。

 ――今コロナ禍で、なかなかトレーニングの環境も難しいのでは、と想像するのですが、コロナ禍ではどのようなトレーニングをされていたのですか?

コロナ禍でなくても私たちは一人で練習するのが難しいですので、さらにこういった感染症が入ってくると、家族以外の方に練習をお願いするっていうのがすごく難しくて。
なので、なるべく一人で家でできるようなことを考えてもらうために、今回の菊地日出子ガイドに、コーチとしていろいろオンライントレーニングをしていただきました。
あと、自宅でできるトレッドミルとか、ローラー台を使った自転車練習とかを一緒に考えていただいて、スポンサーの講師陣とかとも相談しながら、家でなるべく練習ができるという環境は整えられたかと思います。

 ――では、昨年から徐々に、家でできるオンラインのトレーニングっていうのも積み重ねてきたのですね。

はい。今までだったら外に出てしまって練習をしていましたけども、実践練習でできなかったようなことを見直せたというのは、かえって私にとっては、すごくよかったかな、と思います。

 ――たとえば、「ここが実は、気づいてなかったな」というのはありますか?

私は元々スポーツ選手ではなくて、ほんとにインドアで育ってきてしまっているので、身体の使い方、特に体幹なんて考えたこともなくて、ただただ走ればいい、泳げばいいっていう。それをどうやって、力でカバーしていくか、みたいなやり方をしてしまっていたことに気づけました。それをどうやって改善していくかという方法を今やってきているので、そういう意味で大事な時期を過ごせたかな、と思います。

 ――改めて基礎の部分というか、今まで気づけなかったところにちゃんと焦点を当てることができた、という感じですね。
 
はい。

 ――コロナ禍というと、今回の横浜パラトライアスロンは無観客での開催が決定しましたが、観客の方の応援が現地では届きづらいのかな、と思います。その辺りは、どのように受け止めていらっしゃいますか?

実は私、すごくあがり症なので、身内とか、よく知っている友だちに見られるっていうのがあまり好きではないんですね。余計あがってしまうので。私にとっては、正直無観客っていうのはありがたい。「落ち着いてレースができるかな」という気持ちは、申し訳ないんですけど持ってます。
もちろん、苦しい時にあの声が聞こえるっていうのは、ほんとに大きな励みになるんですけども、それよりもスタート前に、「ああ、あの人たちみんな見てるんだよね」と思ってしまう。そうすると、余計に「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ」って硬直してしまうところがあって。まあ、ダメな所なんですけど。そういう意味では、ちょっとホッとしているところもあります。
あと、この前のアジア選手権で、オンラインで配信していただいて、みんなに「レースを観たよ!」って後からたくさんコメントいただいたりしたので、そういう意味では、応援を全然変わらないでいただいている訳ですし。そういうのを背中に感じながら走れるんであれば、無観客であっても全然。レースができること自体がすごくうれしいので、いいかなぁと思ってます。

 ――それは、ちょっと新しい視点ですね。アスリートとして(笑)。

アスリートらしくないですよね、全然。

 ――いえいえ。では落ち着いた環境の中で、本領を発揮できるという感じですね。

そうだと思います(笑)。

今年(2015年)横浜大会、PT5山田(円尾)敦子とガイドの武友麻衣のバイクパート (写真:中村真人)

 ――すみません。ちょっと戻るのですが、視覚障がいとして、景色を視覚で捉えてスイム、バイク、ランっていうのがなかなかできない中で、円尾選手はどんなふうにレースを汲み取ってというか、感じ取ってレース展開されているのですか? すごく気になります。

うーん。若干、見えなくはないので(若干は見えるので)、景色の色が変わっていくところは見ているんですけども、感覚的にコースがどうなっているかっていうのを試走なり試泳なりで掴んでおくんです。あとは、当日ガイドさんの言葉で「ああ、ここ、こういうふうだったなあ」という感じ方というか、認識をしています。「あと、どのぐらいかな」とか、考えています。

 ――なるほど、試走がすごく大事になってくる、ということですね。

そうですね。ただ隔離で、無観客でやるレースの場合、試走っていうのはなかなか難しい環境なので、そういう時は事前にオンラインなり、いろんな形でガイドさんと打ち合わせをします。それで、コースの形をなんとなくつかんで、あとは当日、ほんとに前(ガイド)を信じて、合わせていくしかない、という感じです。

 ――先日、広島での大会もありましたが、それを踏まえて、今大会はどのようなレースにしたいですか?

広島で新しい様式でのレースっていうのを経験させていただけたっていうのが、やはりすごく大きな経験値となっているので、横浜での不安っていうのも、正直そんなにないかな、と思っています。「ああいう感じでやればいいんだな」って思ってますし、いろんなメリットも見つけられました。そういうところを活かしながら(臨みたいです)。
あと、なにせ横浜大会は2012年からずっと参加してまして、コースはさほど変わってないと思うので、それを思い出しながらやれるかなと思っています。

 ――広島で見つけたメリットというのは、どんなことですか?

それは秘密です(笑)。 

 ――円尾選手ご自身が、感じたものがあったということですね

私の性格に合っているメリットがあったな、という感じです。

 ――では、ぜひ横浜のレースでもそれを活かしていただければ、と思います。最後に、これをご覧になっている方へのメッセージと、今大会への意気込みをお願いします。

2018年、横浜大会。撮影エリアから見える風景。後で記者会見で質問することになる日本代表の円尾敦子とガイドがバイクで走る 写真・そうとめよしえ

私は、今年の東京パラリンピックが開催されれば、ですけども、そこまでを目標として頑張ってきています。この横浜大会は、東京パラリンピックに向けての、すごく大事な大事なレースとなっていて、これを開催していただけたことに本当に心から感謝したいと思います。
無観客であっても、皆様の応援を感じながら精一杯走りきってしまいたいと思っています。今までほんとに、12年からずっとこの横浜でレースをさせてきていただいて、成長をたくさんさせてもらいました。それで、このコースに恩を返していきたいっていう思いで、一歩一歩踏みしめながら、泣かないように、頑張って走りたいと思っています。ぜひ、それを応援していただけたらうれしいな、と思っています。

 ――オンラインでも、みなさん応援していますので、ぜひ頑張ってください。

はい、ありがとうございます。

zoomインタビュー画像
オンラインで行われた円尾敦子のインタビュー。北海道旭川からもファンの声援が届く

【参考】
◎世界トライアスロンシリーズ横浜大会情報サイト|YOKOHAMA TRIATHLON Website
Website http://yokohamatriathlon.jp/wts/index.html

(PARAPHOTO 2020 Tokyo:企画・メインパーソナリティ 丸山裕理、動画・スチール撮影 山下元気、編集協力 コプレー寛子、構成・文 望月芳子)

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