1982年4月19日生まれ、42歳。静岡県出身の山本は、T63クラス(片大腿義足)の走り幅跳びと短距離の選手で、2008年の北京パラリンピックで銀メダルを獲得した。その後、ロンドン(2012年)、リオ(2016年)、東京(2021年)と4大会連続でパラリンピックに出場、リオ大会では走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーでもリレーで銅メダルを獲得した。
「自分自身が可能性を見失ったタイミングで選手を引退しようと決めていました。あの跳躍(5月19日、神戸2024パラ陸上世界選手権)での跳躍は、自分の精一杯でした。続ければ伸びるかも知れませんが、7mは見えなかった」と語り、引退の理由を明かした。
2016年5月には当時の世界記録を樹立、パラリンピアンとしての輝かしい取り組みに幕を下ろす決意を語る山本の言葉から、最高のパラリンピックを経験したアスリートの競技への思いが浮かぶ。
競い合いは勝敗を超えた友情
リオパラリンピックでは自己ベストタイの6.62mを記録し、山本は銀メダルを手にした。その試合で、金メダルを勝ち取ったのは、ドイツのライバル、ハインリッヒ・ポポフだった。二人は互いに高め合いながら競い合った。
ポポフは試合の中で、山本に対し、「僕たちはいつもお互いに助け合い、高め合い、幸せを共有する。それがパラリンピックという舞台だ」と語り、友情を深めていた。
競い合いは、単なる勝敗を超え、友情と尊敬の絆を育んだ。この経験を通じて、山本は、自らの限界を超え続けることの大切さと、ライバルの存在がもたらすポジティブな影響を深く理解することとなった。そのポポフは、2018年に引退、最後から2番目のレースを日本に来日して行った。現在は、指導者として活躍している。
引退後の活動
山本は引退後について、「これから一つは指導者として、今見ている選手もいますので、その選手が最高のパフォーマンスを世界で発揮できる選手になるように指導をしていきたい」と、次世代の育成に力を注ぐ意向を示した。また、「いろんなイベントに参加して、義足になってしまった方々に向けてのクリニックであったり、パラスポーツ、パラリンピックをもっともっと知ってもらうための活動をやっていきたい」と述べ、パラスポーツの普及にも尽力する考えだ。
さらに、個人的な挑戦として「ゴルフをもう一度全力で取り組んでみたい」と新たな目標を掲げた。彼の挑戦の姿勢は、引退後も変わらない。
山本の挑戦は、新たなフェーズへ
山本の引退は、多くのファンや後輩選手にとって大きな衝撃である。しかし、そのキャリアの存在はこれから多くのパラアスリートにとって励みとなるだろう。
「パラスポーツがもっと普及し、選手たちが恵まれた環境で競技に取り組めるようにすることが重要だ」と山本は語り、今後もパラスポーツ界の発展に寄与する意向を示した。
「これまで22年間陸上人生を歩んできて、いろいろありましたけど、僕にとっては人生の楽しい遊びだった」と述べ、パラアスリートの競技人生を謳歌したことを伝えた。また、「楽しく遊んで、ここまでいろんな人に応援してもらえて、すごくいい陸上人生を歩めた」と感謝の気持ちを示した。
指導者として、そして、父として、パラスポーツの普及活動を通じて、これからもパラリンピアンとして多くの人々に影響を与え続けるだろう。
(校正・そうとめよしえ、地主光太郎)
※当初の記載に誤りがありました。義足初のメダルは自転車の藤田正樹で、訂正しております。ご迷惑おかけいたしました。