関連カテゴリ: PYEONGCHANG 2018, 取材者の視点, 周辺事情, 国際大会, 旅日記(=アジアンBBカフェ) — 公開: 2018年3月19日 at 1:19 AM — 更新: 2018年3月19日 at 1:19 AM

韓国と日本で”人の輪”をつくる――あるボランティアスタッフの平昌2018

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言うまでもなく、オリンピック・パラリンピックはボランティアの存在なしに、運営は不可能である。

各競技会場でその日のプログラムが終了すると、設置された電光掲示板に真っ先に表示されるのは、ボランティアへの感謝の言葉だ。筆者も含めたパラフォト平昌取材班のメンバーも、幾度となくボランティアスタッフに助けられた。彼らは様々なバックグラウンドを持っている。出会うスタッフすべてに聞いているわけではないが、学生、テキサスから来たという家政婦、外資系IT企業の日本支社に勤務しているという人もいた。

コン・ソンイルさんは、そんなボランティアスタッフの一人だ。コンさんの平昌パラリンピックでの仕事は、メイン・プレスセンターにおける言語ヘルプサービス。つまり、言語の壁をなくす為のボランティアである。対応言語は韓国語と日本語。オリンピック開催期間は選手村で同様の業務にあたった。両大会合わせて約2ヶ月もボランティアに従事できたのは、今が“春休み”だからだ。

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実はコンさん、40歳ではあるが、日本の熊本大学に留学する学生でもある。3月25日に卒業式を控え、学生生活最後の休暇を使い、故郷開催のオリンピック・パラリンピックに携わっている。コンさんがボランティアに応募したのはある理由からだった。

「家族と友達がいる韓国に今まで何か役立つことを何もしなかったなという気がしまして」

コンさんは、留学の為に日本に住んでいる。2009年に初来日し、2011年の東日本大震災発生時は千葉に、2016年の熊本地震発生時は熊本大の学生として当地にいた。震災直後は一時的に韓国に帰国した時もあったが、基本的に拠点は日本に置いている。留学を通じて、日本の官庁や財団から奨学金も受けてきた。

「その時に交わした約束で『日本社会への貢献』がありました。けれど、ただの約束じゃなくて、私も色々な体験を通じて、自分の周囲や日本社会に人の輪を作っていきたかった。“共益”というんですか? 一人ではできないことも、協力すれば、社会や国の役に立つ。そう思うのです」

その考えから、コンさんは熊本に訪れた外国人観光客の対応や、観光PRのボランティア、熊本の観光名所の清掃活動など、様々な活動に従事してきた。逆に、今度は自分の故郷である韓国に対して何かできないか。そこで思い至ったのが、平昌オリンピック・パラリンピックでのボランティアに参加することだった。

「オリンピック・パラリンピックは、大げさかもしれないけど、人類平和につながると思っています。この無力な自分でも、できることがあればやりたい」

コンさんのもとに来る依頼は決して多くない。英語やフランス語など、いわゆるメジャー言語のサポート依頼は多いが、日本語と韓国語の対応がそもそも少ない為だ。しかし、準備を欠かすことはなかった。話を聞いた日も「これを観ていたんです」とスマートフォンの画面を見せてくれた。それは、今大会で2つのメダルを獲得した日本の成田緑夢の活躍を報じる動画だった。

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「日本語のサポート依頼がいつくるか分からないので、ただひたすら待つだけ。でも準備しておかないとダメなので、日本選手の誰がメダルを獲得しているのか、あの選手がどの様に成長してきたのか。そういう報道を見ながら、自分の刺激にしてきました」

「日本語の勉強をしていなかったら、この場所(平昌オリンピック・パラリンピック)にボランティアとして来ることは無かったと思う」とコンさんは話す。

「故郷の韓国と、勉強した日本は私にとって大切な場所。“日本語”にも、感謝しています」

韓国・平昌でのオリンピック・パラリンピックが閉幕した。2年後は日本・東京である。日本と韓国にルーツを持つコンさんは、この祭典の連続に、不思議な縁を感じているのかもしれない。「2年後は就職していると思う」と言うコンさんは「会社の人が許してくれたら、韓国語と日本語の通訳として働いてみたい。韓国人選手や韓国から来たお客さんに、東京のあれこれを伝えたい」と話してくれた。

ボランティアとしてオリンピック・パラリンピック双方に関わったコンさんに、最後に聞いてみた。コンさんが感じたパラリンピックの魅力とは――?

「パラリンピックは、今まで知らなかった新しい世界に導いてくれる大会だと思います。今まで彼ら(パラアスリート)の人生に興味が無かった人たちが、観戦や報道を通じて興味を持つ。ゲームとしての面白さもあるし、限界への挑戦に感動する。オリンピックと何ら違いはありません。この世界は力のある人たちだけではなくて、例えばハンディキャップを持っていても、この地球上で皆、共に生きている。そんなことを共感する場として、パラリンピックがあると思います」

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