ボッチャ, 取材者の視点, 電動車いすサッカー — 2020年1月16日 at 2:48 AM

電動車椅子サッカーからボッチャへ ~ 有田正行パラリンピックへの挑戦

 まさに、紙一重の差だった。
 白と赤のボールの間に紙1枚を差し込める、ほんの1mmの隙間があったならば、勝負はどちらに転ぶかわからなかった。
 2019年12月22日、第21回ボッチャ日本選手権大会BC3クラスの優勝、そしてパラリンピック出場内定者が決まった瞬間である。(注1)

 遡ること3日前の19日、翌日から始まる大会に参戦する選手たちが愛知県豊田市スカイホール豊田での前日練習へ続々と集まってきた。ミリ単位で競い合うボッチャは床面の特徴を把握する必要があり、事前チェックが極めて重要だ。傾きはないか、板目は縦なのか横なのか、ワックスの濃淡は、湿度の影響は? コート内のあらゆる場所にボールを転がし、距離や曲がり具合を入念にチェックする。自力では投球出来ずアシスタントの力を借り、ランプという勾配具を使うBC3クラスの選手にとっては、より重要度が増す。

前日練習でボールの転がり具合をチェックする有田とアシスタントの妻・千穂

 生まれてからほぼ自力では歩いたことがないSMA(脊髄性筋萎縮症)の有田正行はアシスタントである妻の千穂と介助者の3名で乗り込んで来た。真っ先に向かったのは第4コート。予選リーグを1位通過し準々決勝も勝ち進めば、準決勝の舞台となるコートである。準決勝での対戦が予想されるのは、世界ランキング日本人最上位者の高橋和樹(12月10日現在13位)。リオパラリンピックに出場したBC3クラスの第一人者である。前回大会では、1-5でボコボコに敗れ去った相手。しかし有田が翌年の東京パラリンピックに出場するためには、この大会で優勝するしか道は残されていなかった。そのためにはどうしても倒さなければならない難敵。有田と千穂は高橋との対戦を思い描きながらボールを何度も何度も転がし、コートの状態をチェックしていった。

前日練習 ボールをランプにセットするアシスタントの有田千穂

 有田にとって高橋は、ボッチャの入り口となった選手でもあった。出会いは2017年3月11日、埼玉県内でおこなわれた高橋の講演会に有田と千穂が兵庫県から駆け付けた。
 有田はそれまで電動車椅子サッカー(注2)に全身全霊を傾けていた。アメリカW杯の最終メンバーが発表された3月8日までは…。

電動車椅子サッカー 球際で激しく争う有田(右) 左は鹿児島ナンチェスター・ユナイテッドの塩入新也
写真提供(一社)日本電動車椅子サッカー協会

 有田は強豪レッドイーグルス兵庫の中心選手として活躍、2011年フランスW杯には日本代表として出場、優勝したアメリカのマイケル・アーチャーと得点王を分け合った。電動車椅子サッカー専用車がアメリカで開発・発売されると、いち早く輸入し日本で最初に乗り始め、最終メンバー発表直前の代表合宿にも10名の代表候補の一人として選ばれた。それまで夫婦で力を合わせて、サッカーがうまくなるために、代表選手として世界と戦うために、すべてをやりきってきた。しかし電動車椅子サッカー協会HPで発表されたアメリカW杯最終メンバー8名のリストに、有田の名前はなかった。
 まさかの落選。そして絶望。
 これからどう生きていくのか、人生の目標をどうするのか? 有田と妻の千穂は、考えられないような絶望の時を過ごした。
「何かをやらないといけない、生きていくために。いろんな意味で。人間として生きていくためにも」

(注1)ボッチャとは?/(一般社団法人 日本ボッチャ協会HPへ)
https://japan-boccia.com/about

(注2) 電動車椅子サッカー
電動車椅子を操り、足元に取り付けたフットガード(バンパー)でボールを「蹴る」サッカー。選手の多くはSMA(脊髄性筋萎縮症)や筋ジストロフィー、脳性麻痺、脊髄損傷等により自立歩行できないなど重い障害を持つ。4名の選手(男女混合)が20分ハーフでプレー。スピードは時速10km以下と定められており、日本国内のみ時速6km以下のルールも共存している。繊細な操作で繰り広げられるパスやドリブル、回転シュートなど華麗かつ迫力あるプレーが魅力。過去3回の全てのワールドカップに代表チームが参加している。

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