パラトライアスロン、ベテラン秦 由加子、片足でのバイク走行に注目

オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」③秦 由加子(パラトライアスリート)
~横浜パラトライアスロン応援プロジェクト「パラトラトーク2021」~

COVID-19の厳しい感染防止対策の中、5月15日(土)・16日(日)に開催される「2021 ITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会/2021 ITU世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会」の応援プロジェクト「パラトラトーク2021」。
その第一弾として、オンライン応援インタビュー「わたしの横浜パラトライアスロン」の収録が、4月30日に横浜市の象の鼻テラスで行われた。象の鼻テラスは、山下公園や赤レンガ倉庫に近い、象の鼻パークの中心にあり、2021ワールドトライアスロンシリーズ横浜大会のコースのど真ん中に位置する。

オンラインインタビュー3人目は、秦 由加子(キャノンマーケティングジャパン・マーズズフラッグ・ブリヂストン、PTS2)。同大会パラエリートレースに今年7回目の出場を予定している秦に、メインパーソナリティの丸山裕理(パラフォト記者・フリーアナウンサー)が、大会に向けての練習方法や意気込みなどを聞いた。

――横浜パラトライアスロン大会を直前に控えているということで、今どのような練習メニューをされているのですか?

待ちに待った国際レースが、(先日の)アジア戦を皮切りに始まったので、実際のレースに向けて今はスピード練習を取り入れたり、実戦に近い形で、トランジションの練習もそうですし、スイムからバイク、バイクからランっていうつなぎの練習もやっているところです。

――横浜大会は今回が6回目ということで、ベテランという感じですね。

そうですね。トライアスロンを初めて翌年、2014年に初めて横浜大会に出場させていただいて、それから14、15、16、17、18、19と6回連続で出させてもらってます。

――秦選手から見て、横浜パラトライアスロンや横浜のコースは、どんな印象ですか?

フィニッシュする秦由加子(PTS2)2017年、横浜大会 写真・山下元気

横浜は小さい時から来ている街でもあるので、その景色はすごくなじみ深いですし、そこで実際に自分がトライアスロンレースに出る前、一回見に行ったことがあったんです。その時に、「ああ、こんな素敵な景色の中で、こうやってトライアスロンをできて、すごく楽しそうだな」って思って、自分もいつかは出たい、という目標もできました。そして、その翌年の2014年に、実際に走ることができたので、トライアスロンを始めた当初から横浜大会と一緒に成長してきたというか、毎年そこに出るというのが一つの目標になっていると思います。

――愛着があるというか、そういう街の大会に出て、実際にコースを走るというのは、違いますか?

海外でも毎年、6回から8回ぐらいレースに出ているんですけど、毎年横浜は、同じコースで同じ景色で、応援してくださっている方とか家族、一緒に練習してくれている人とか、たくさんの人が来てくれて、応援してもらいながら走れる、唯一の国内の国際レースなんです。だから、そこに立てることもすごく幸せだなと思いながら、いつも走ってます。

――確かに貴重な大会ですね。今回、おっしゃっていたように久々の国際大会になる訳ですが、秦選手が海外の選手とレースするのは、いつ振りになりますか?

2018年。横浜大会のミックスゾーンで讃えあう秦由加子と土田和歌子 写真・佐々木延江

前回が、コロナが感染拡大する前の2月末にオーストラリアのデヴォンポートでシリーズ戦が行われたのが最後です。前回のアジア戦に関しては、私のPTS2というクラスは女子のエントリーが毎年いなくて私だけなんですよね。なので、実際に海外の選手と一緒に走るっていうのは、その2月末振り。一年以上振りの大会になります。

――今年の大会は、東京パラリンピックへの前哨戦のような意味合いが強いと思うのですが、意気込みやお気持はいかがですか?

東京パラリンピックに向けて、もう残り少ない国際レースになりますし、今回の横浜大会も、世界ランキングと東京パラリンピックのクラス枠配分に関わるレースになるので、すごく重要なレースだと思っています。そこに向けて、いったんここでこれまでの練習の成果を確認するという意味でも、仕上げた状態でレースに臨みたいな、とは思います。

スイムからバイクへ
2017年、横浜大会でのトランジッション。スイムからバイクへ 写真・山口容子

――仕上げの時期という位置づけになりますね。

はい。

――秦選手とトライアスロンとの出会いについてもうかがいたいのですが、秦選手は元々競泳の選手でいらっしゃって、そこから転向されたのですよね?

そうですね、はい。2008年から競泳を初めて、2012年のロンドンパラリンピックの年まで競泳でやってました。

――トライアスロンに出会った時のことを、教えていただけますか? どのようなきっかけだったのですか?

元々、競泳をやっていた時に練習の拠点としていたのが、今も練習をしている稲毛インターナショナルスイミングスクールのトライアスロンコースで、私はそこで競泳をやっていたんです。周りはトライアスリートばっかりで、その中で私は競泳だけやって、練習終わったら「お疲れさまでした」と帰っていました。

2014年の横浜パラトライアスロンで 写真・森正

それで、そのあとみんながバイク練習行ったり、ランの練習したりっていうのを、すごく楽しそうだな、トライアスロンっていう競技があって、みんながこうやって、一般の人もエリートの選手も、みんながトライアスロンに取り組んでいるんだな、っていうのを横目で見てたんですよね。
でもその時は、自分は片足がないので、トライアスロンなんてできない、と思い込んでいたので、「いいなぁ、うらやましいなぁ」と思いながら過ごしてたんです。ところが、会員さんの一人に「海外では私と同じ障害の人でもトライアスロンやってる人がいるんだよ」って教えてもらって、「そうなんだ。足がなくても、トライアスロンってできるんだ」と思って、やろうかなと思いました。

――では、出会いは(スイミング)スクールから始まって、実際に競技に転向しようと思ったのは2013年ですね?

そうですね、はい。2009年から稲毛インターには入っていたんですけどその頃は競泳だけで、ロンドンパラリンピックに出場するのが一つの目標だったので、競泳一本でやっていました。それが終わった時点で、トライアスロンに転向したい、という想いはずっと持っていたので。特に、次の2016年のリオパラリンピックで初めてパラリンピックの種目にトライアスロンが加わる、というのも当時は決まっていましたので。
自分がそのクラブに所属していて、周りにトライアスリートがたくさんいて、次のパラリンピックでは新しくトライアスロン競技が加わるっていうのは、もうやらない理由がないというか(笑)。本当にやってみて、ダメだったらやめればいいし、きつかったらやめればいいけど、このタイミングで私がやろうって決めたら、きっと周りの人たちも助けてくれるだろうって思って、「みんなの力を借りて、トライアスロンに転向したいです」という話をしました。

――まさに環境も整っていたし、やらない理由がないという、いいタイミングだったのですね。

2015年、横浜での記者会見に出席したパラトライアスロン選手たち 写真・中村 Manto 真人

私の前にレールができてたので、私は本当に前に進んでいくだけっていうか。

――そこから、実際に選手として転向されてみて、やはり難しさや、「こういうところが違うな」というのは、ありましたか?

始めた当初は、今でもそうなんですけど、PTS2、私の大腿切断っていう障害で女子の選手というのは、日本にはいないんですよね。当時は、日本国内でも一人か二人っていう感じだったんです。
だから、まずは何を用意したらいいのかとか、義足はどういうものが必要なのかとか、どういう道具を用意して、誰にお願いすればいいのかとか、自分一人ではできないことを本当にたくさんの人に助けてもらいながら、まずはトライアスロンを完走することを一つの目標として始めました。そして、徐々に海外や、国内でも男子は徐々に大腿切断の選手が増えていましたので、情報交換しながら、一緒にトライアスロンを頑張ってきたという感じです。

アメリカのシーリーとの表彰台
2016年、リオパラリンピックを控えた横浜大会で、女王アリサ・シーリ(アメリカ)とともに表彰台にあがる秦由加子 写真・山下元気

――そうすると、国内に見本とする人や仲間が少ない状況での転向というのは、結構大変なこともあったのではないですか?

そうですね。今思えば大変だったのかな、と思います。周りの人たちの方が大変だったと思います。

――ご自身では、そこまで(大変ではなかった)?

大変といえば大変ですけど、やりたいと思って自ら始めたことなので、もう「楽しい」しかなかったです。練習することも楽しいし、始めは義足で長い距離走るのはすごく痛かったりしたんですけど、それもトライアスロンをやるっていうのが一つの目標なので、痛い痛くないっていうのは全然関係なくて。「まあ痛いけど、トライアスロンをやりたいからやる」っていうことで、今まで来ているんですよね。
でも、周りの人たちの方が大変って言うのは、周りの人たちも同じように何の情報もない中で、ゼロからいろんな物を用意しないといけない、私がこうしたいっていうことも何か形にしないといけないので、周りの方々はすごく苦労したと思いますし、今もそうだと思うんです。特に国内でのトライアスロンのレースに関しても、私が出場するにあたって、スタッフの人たち、そこに出場する人たち、みんなが理解して協力してくれなければできないことだったし、今でもそうなんですよね。

2015年、横浜大会のミックスゾーンでスタッフの川田さんと 写真・中村 Manto 真人                                                                                                                                                                                          

なので、そこが初めはみんな手探りの中で、私を完走させるためにはどうすればいいかっていうことを、千葉県のトライアスロン連合の人たちもそうですし、いろんな大会に私が出れば出ていくほど、そこにいてくれた人たちがすごく助けてくれて、という大変さは、周りの人たちの方があったんじゃないかな、と思います。

――個人競技ですけども、「チーム秦選手」みたいな感じで、いろいろな方が携わってつくられているものなんですね。

そうですね。本当に一人じゃできないです。

――確かにそういう魅力もありますよね、トライアスロンは。

そうですね。パラスポーツ全般にも言えるかもしれないですけど、やっぱりないもの、私の場合は片足がないとか、動かないとか、ほんとに人それぞれのできないことをカバーするというか、競技力を高めていくためには、いろんな道具が必要になったり、いろんなトレーニングのやり方とか、いろんな知識が必要になってきます。
そういうことは自分一人じゃ絶対できることではないし、たくさんの人が関わってくれて、手助けしてくれて、ようやくその競技に一生懸命取り組める環境がつくられています。本当に、私はすごく人に恵まれて今に至るので、感謝しかないですね。

2014年、横浜大会前のトライアスロン・ランニングセミナー。障害のある選手もない選手も一緒に走った。 写真・佐々木延江

――今、道具の話が出たのですが、秦選手は義足を使って競技をされていると思うのですが、一年ほど前から、義足についても工夫をされているのですよね?

そうですね。バイク用のパートで、今まではバイク用の義足というのを作っていただいて、それを使っていたんですが、それをなくして、片足でバイクに乗るように変更しました。

――義足をなくす、というのは、結構大きな転換だったのではないですか?

義足をなくすっていう決断を最終的にしたのは2019年で、本当に最近のことなんです。
それまでは義足をつけてずっとトレーニングをしていて、その一年ぐらい前、2018年ぐらいからは、片足のバイクのトレーニングをメインでやるようにしていたんですね。で結局は、片足で乗るバイクと、義足をつけたバイクと、どっちが早いかという選択になると思うんですけど、片足バイクの方が早くなった時点で、レースでそっちに切り替えようと思っていたんです。だから、そこには時間がかかりましたし、練習しながらそこを探っていったのが、だいたい一年ぐらいありました。
でも決定的に、義足なしにしようと決断したのは、2019年の東京パラリンピックのプレ大会が、お台場であった時。ものすごく暑かったんですよ。すごくお天気がよくて、まさにプレ大会ならではの、暑さを体感できる貴重な機会だったんですけど。そのレースでものすごく暑くて、義足の中にどんどん汗が溜まっていって、バイクパートの時に義足を落としそうになっていたんですよね。スポンと抜けそうになって。で、バイクの時に3回ぐらい止まって、義足をいったん外して、汗を手でぬぐって、もう一回義足をつけて、またバイクにまたがって乗るというのをやってしまいました。
これは、本番(東京パラ)でこんなふうに義足をつけ替えている時間なんて本当に無駄だし、この暑さの中で義足をつけるのは難しいなあと思って。もうそこで、義足を使わないようにしよう、練習の時も含めて義足をやめようって思いました。

――では、タイムを単純に縮めるということと、暑さ対策という理由があったのですね。

そうですね、はい。やっぱり20㎞という距離を考えると、つけ外しをしている時間がもったいない、と。あと、義足をつけるという作業が一つなくなると、トランジションタイムも短縮できるので、それも含めて最終的に、義足をはずして乗る、ということを選択してます。

――トランジション、第4の競技といわれる、競技と競技の間の移行時間のことですよね?

はい、そうです。

 ――片足でバイクに乗るというのが信じられないというか、どういった訓練をされているのでしょうか? バランスなどは微調整になるのですか?

バランスを崩して倒れそうになるっていうのは、今までないんですけど、両足で乗る人に比べたら大変かもしれないっていう感じです(笑)。でも別に、私のクラスで同じ障害者の人たちもいますし、両足があって麻痺している選手なんかもいるんですけど、そのクラスで戦う中では、片足だから大変っていう感じではなくて、私は片足で勝負をする、別の人は義足をつけて勝負する、っていう競い合いなので、何を選択するかかなとは思います。
普段の練習では、今沖縄(の合宿)にいて、一般の普通の健常者の人たちと一緒に練習させてもらっているんですけど、たとえば坂道なんかでは、やっぱり片足だとかなりきつくて、一人置いてかれちゃうんですよね。みんなグイグイ両足で進んでいくので。そういう時はやっぱり「くそぉ」って思いながら、「こっちは片足なんだぞ」って思うんです(笑)。でも、それもすごくいいトレーニングになっていますし、二本分のパワーが一本で出せるようになれば、もっともっと強くなると思うので、なんか楽しいですね。片足の方が。

 ――伸びしろというか、「まだまだやれるぞ」というのが見える感じですか?

そうですね。ほんとに片足で勝負していくっていうか。
まあなんというか、道具の力を借りるところも、すごく大きいとは思うんですよね。いかに効率よく、しっかりとパワーをつけられる義足を作れるかっていうのも、もう切りがないことだし、常に自分が今使わせてもらっているものが一番いい物かって言ったら、また別の考え方があったりするので。
でも、そうじゃなくて、今はバイクに関しては本当に体一つで、「とにかくこの片足で勝負していくんだ」っていうのをもう覚悟したので。そういう意味でも、トレーニングしててもおもしろいし、まだまだ自分がとにかく頑張るんだっていう気持ちでやってます。

 ――この前、広島でも大きな大会(アジア選手権)がありましたが、スイム、バイク、ラン、そしてトランジション、ひと通りレースを終えてみて、感触はいかがでしたか? そういう工夫の。

そうですね。ほんとに2月の末の1年振りの実践レースだったので。今回は、PTS2の私のクラスはエントリーは私だけで、これまで一年以上、コロナ禍でいろんなトレーニングを取り入れながら、練習拠点も探りながら練習を積んできたことを、ひとつは実戦で試したいということが大きくありました。
なので、周りがどうこういうことは今回なかったんですけど、自分との戦いというか、冷静に自分の動きだったり、自分が出したいタイムとか、ここをしっかりと今回のレースではやるんだ、ということが着実にできたレースだったとは思います。

 ――では結構、手応えみたいなものはありましたか?

そうですね。まあ周りと比較はしてないので。周りも同じように強くなっているとは思うのでわからないですけど、自分がトレーニングしてきたことは、しっかりと結果につながったかな、と思います。

 ――それを国際大会というか、横浜大会でさらに試すというか、飛躍するというイメージですね。

そうですね。今度は海外からも同じクラスの選手がくるので、そこでほんとに、これまでやってきたことを試す機会になると思うので、頑張りたいと思ってます。

 ――楽しみです。先ほど雑談の時に、日本選手間のお話を少しおうかがいしましたが、日本選手同士、結構仲がいいそうですね?

はい、みんな仲良しです。すごく楽しい。

 ――クラスや障害がバラバラですけど、いろいろお話するなど交流されるのですか?

そうですね。本当にたくさんの時間を一緒に過ごしてきていますし、海外遠征とか、合宿とか、いっぱいいろんな話もして。たとえば誰かが、ホテルで食事をしにいくと、みんながそこにどんどん集まっていって、必ず全員でごはんを食べて、全員がしゃべるっていう(笑)。すごいんですよ、話が止まらないし、終わらないし。その時間もすごく大好きで、おもしろいなあって思います。
それに、すごく感じるのは、みんなとにかく優しい。もう、すごく優しいんです、みんな。それぞれ障害が違ったりするので、できること、できないことがそれぞれなんですよね。だから、そこをお互いに補っていって、私が重い荷物を持っていたりすると、すぐにサッと男子選手が来て、バァーっと持って行ってくれたりします。そういうのも、お互いに助け合いながら、競技に取り組めている感が、私はもう大好き! もう、みんなが大好き。

 ――そういう空気感だと、大会に向かうまでも楽しみになりますよね。

表彰式
4月24日、広島県廿日市で開催されたアジア選手権での秦由加子 写真・佐々木延江

そうですね、本当にそう。みんなに会うのが、すっごく楽しみだし、終わった後は滅茶苦茶名残惜しいですよ(笑)。「ああ、もう、合宿終わっちゃったー」みたいな。「またねー。お互いの場所で頑張ろうね」みたいな感じで、またみんな散り散りに頑張っているので、常に自分も頑張っているし、みんなもそれぞれの持ち場で、それぞれが全力を尽くしているっていう、つながっている感じがすごく力になります。
今、メッセージとかも、いろんなやりとりができるので、そういったことも日頃から本当に力になっています。みんなの存在っていうのは、ありがたいなあと思います。

 ――なるほど。補い合って、応援しあっているというのが、すごくいいですね。

うん、ありがたい。

 ――最後に、横浜パラトライアスロンに向けての意気込み、メッセージをぜひお願いします。

今回、コロナ禍で一年以上レースが開催されない中で、レースを開催いただけるということに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この開催にあたっては、ほんとにたくさんの方のご尽力と、特に横浜の方々のご理解がなければ開催できないことだと思います。
そこに選手として出させていただけるっていうことに、すごく感謝の気持ちを持ちながら、コロナ禍でも積み重ねてきたトレーニングの成果をしっかりとこの横浜大会で出して、海外の選手に負けないようにレースに臨みたいと思います。
今回は特に、いろんな方に実際にレースの場に来て、見ていただくことは難しいかもしれないんですが、オンラインでつながれると思います。私も、「オンラインで、いろんなところから見られているんだ(笑)」という気持ちを心の中で力に変えて、レースでは頑張りたいと思うので、ぜひ皆さんにレースも見てもらえたらうれしいな、と思います。

 ――心から応援していますので、オンライン上でも、ぜひ声を届けていきたいと思います。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

ありがとうございました。よろしくお願いします。

【参考】
◎世界トライアスロンシリーズ横浜大会情報サイト|YOKOHAMA TRIATHLON Website

象の鼻テラスをスタジオにしたインタビューのスタッフとともに。 写真・山下元気

(PARAPHOTO 2020 Tokyo:企画・メインパーソナリティ 丸山裕理、動画・スチール撮影 山下元気、構成・文 望月芳子)

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