関連カテゴリ: COVID‑19感染対策, Tokyo 2020, 取材者の視点, 水泳 — 公開: 2021年8月27日 at 3:40 AM — 更新: 2021年9月11日 at 7:24 PM

パラレコードで優勝。鈴木が日本第一号の金メダル!

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8月26日、東京パラリンピック競泳2日目。鈴木孝幸(GORDWIN)が、パラリンピックレコード(PR)を更新する好タイムで優勝。日本初の金メダルをもたらした。

ルイジ・ベジャト(ITA)との最後までの接戦 写真・秋冨哲生

男子100m自由形S4(四肢欠損)で鈴木はイタリアのルイジ・ベジャト、ロシアのロマン・ジダーノフを破り、1分21秒58の自己ベストに近いパラリンピックレコードをマーク。北京大会(2008年)の世界記録での50m平泳ぎ以来、13年ぶりに鈴木がパラリンピック優勝を果たした。開催国日本にとって初の金メダルとなった。
鈴木は、2019年の世界選手権(ロンドン)で各出場種目で銀メダルだった。「東京では銀を金に変える」と意気込みを示していた。
しかしコロナ禍で大会が延期となり、練習拠点のイギリスからも帰国しなければならなかった。日本競泳チームのキャプテンになり、開催も困難と報じられるなかチームのモチベーションを支えてきた。そして、常に、今この瞬間も鈴木の競技への姿勢が日本チームを支えている。

思わずガッツポーズ。男子100m自由形で1分21秒58の自己ベストに近いパラリンピックレコードをマークした鈴木孝幸(GOLDWIN) 写真・秋冨哲夫

「すごく嬉しかった。とても単純な言葉になってしまうけれども、自分のレースをしようと思ってのぞみ、タイムもベスト・タイ(1秒58)で満足している。粘ろうと思っていたが、相手が落ちてくれたので競り勝った!」と、レース後の第一報を伝えるためにミックスゾーンに立ち寄ってくれた鈴木は記者たちに話してくれた。ゴールの瞬間、思わずガッツポーズしたことについて「日本人としてはやりすぎました。あとで消しといてください!(笑)」と冗談を言い放って表彰式へ戻っていった。

東京アクアティクスセンターで日本チーム初めて日の丸があがる 写真・秋冨哲夫

「表彰、日の丸の雰囲気をしっかり味わおうと思った。君が代もこっそり唄っていました」と鈴木。
リオ大会(2016年)後、ニューカッスル(イギリス)を拠点に練習してきた。
「2年間のイギリスでの練習でチャレンジできるところまでしようと。その時点でタイムがあがらなかったらやめようと思っていた」が、2018年のクラス分けで今回の自由形のクラスで有利になりチャンスが向こうから巡ってきた。タイムも向上して東京を目指してきた。2019年ロンドンでの世界選手権では出場5種目全てでメダルを獲得を達成、ライバルの顔ぶれも見えた。感染症対策のため延期となったこの1年は、タイミングを図りつつ練習拠点のイギリスと日本を行き来しながらも集中した練習ができたようだ。

――開催前、反対意見も多かった時期「何がなんでも開催とは考えてない」と発言されていましたが。
「東京パラをやるのであれば、きまったことに従って全力を尽くす。もし、中止になっても、しっかり受け止める、という意味だった。やるときまったのだから、全力でやりきります」とあらためて発言を確認し、残り3レースへ向けてあらためて自己ベスト、自分の泳ぎを目標にするとあらためて語った。

東京アクアティクスセンターでは連日、予選・決勝を通じてワールドレコード(WR)が更新され、選手たちの躍動が際立っている。
             

(校正・望月芳子)

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