関連カテゴリ: クロスカントリースキー, バイアスロン, ブラインドスポーツ, 体験会, 冬季競技, 取材ワークショップ, 周辺事情, 地域, 女子, 旭川, 普及 — 公開: 2024年2月29日 at 11:28 AM — 更新: 2024年3月26日 at 7:53 PM

パラリンピック金メダリスト全盲の井口深雪が17年ぶりの旭川で語る「名誉を普及に生かしたい!」

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長野・トリノパラリンピック金メダリストの井口深雪が17年ぶりに選手時代の合宿地である旭川のパラスポーツコミュニティを訪れ、ノルディックスキー普及への思いを語った。

2月24日・25日、北海道旭川市で公益財団法人日本障害者スキー連盟主催パラノルディックスキー普及講習会「2024パラノルフェスASAHIKAWA」が行われ、長野パラリンピック(1998年)から3大会連続出場、長野、トリノ大会(2006年)バイアスロンで2つの金メダルを獲得した全盲の井口(旧姓・小林)深雪が普及担当として参加した。

2月24日、旭川で参加者と語り合う井口(旧姓・小林)深雪 写真・小林勉

井口は、トリノパラリンピック翌年のシーズンのレースを終えて引退(2007年)、結婚して競技から完全に離れ、2年間のアメリカ生活を経て現在は茨城県つくば市で子育てをしている。競技引退から17年ぶりに旭川のパラスポーツコミュニティを訪れた。

2024パラノルフェス ASAHIKAWAに参加したみなさんで集合写真・辻村和見

見えない井口と写真交流

井口は長野・ソルトレークまではB2(弱視)で出場したが、トリノでは障害が進みB1(全盲)でレースに出場した。現在は光を感じるくらいの視力で距離などは認知できない。24日(土)に行われた交流会では、トリノパラリンピック金メダルのレースや表彰式などをとらえた当時の写真を参加者が見て、そこに映る表情や風景から受ける印象を言葉にしてもらい、井口の脳裏に浮かんだ記憶と擦り合わせて競技を振り返った。さらに撮影したカメラマン、ガイドの小林卓司さんから届いたメッセージ(当時のエピソード)が伝えられ、集まった参加者は時間を超えて現地の金メダルの栄光の瞬間を共有した。

トリノで金メダルのフィニッシュを目指す井口深雪 写真・おおいしともひさ
トリノパラリンピックで金メダルを獲得した井口深雪 写真・おおいしともひさ

競技でつながる友情

パラリンピックのバイアスロンで2つの栄冠を手にした井口だが、順風満帆で世界一を目指せていたかといえば、まったくそうではなかった。

トリノパラ前の代表合宿、長野での井口深雪 写真・おおいしともひさ

長野パラ後の合宿は仲間にも会え楽しいものだったし、スキーも好きだった。しかし仕事をしながら視覚障害のある井口が競技として継続するには、練習から付き合ってくれるガイドが必要で、海外遠征にはガイドとの2人分のお金も必要となる。

バイアスロン、射場で銃を構える井口 写真・おおいしともひさ

そんな中、オリンピックを目指す当時大学生の今村(旧姓・幅中)理恵選手と出会う。遠征先のオーストリアでガイドを引き受けてくれ、練習にも付き合ってくれた。井口の中に姿を潜めていた競技への思いが蘇ってきた。その後、今村さんはバイアスロンの銃を扱うことのできる日本では数少ない競技環境を求めて自衛隊に就職。入隊と同時に射撃訓練で教わった銃の基本を井口に教えた。公私ともに井口のサポートをしてくれたのだ。「基礎をしっかりと身につけることができ、どんなときも同じように射撃ができる。自信が持てるようになりました」と井口はアスリートとしての成長を感じていたことを語った。

今回パラノルフェスタにも付き添っていた今村さんは、静かに井口の話をきいていた。「私のために自衛隊にも入ってくれたんですよね!」と井口が声をかけると、今村さんは「深雪さんが好きだから一緒にいるだけです」と、控えめな笑顔で応えた。

トリノの写真を手に井口の話を聞く今村理恵さん 写真・小林勉

同じアスリート同士、パラの世界でも健常の世界でも、競技でやるべきこと、目指すところは一緒だった。井口はパラリンピック、今村さんはオリンピックでともにトリノを目指した。ノルディックスキー、バイアスロンで育まれた友情が、競技を離れたのちの現在もつづいていたことが旭川では確認できた。

原動力は雪のなかでのスポーツの楽しさ

「レースの際、自分の記録や滑りに達成感を感じる以上に、ガイドの喜ぶ姿が嬉しかったですね」当時、ガイドの小林卓司さんが喜ぶ姿を井口は振り返った。ガイドとともにする視覚障害のスポーツだからこそ感じることのできる喜びかもしれない。

「すごいパワーだと思う。何が、深雪さんの原動力になっているんですか?」講演会最後のフリーディスカッションで参加者の浜田翔さんは井口に質問をぶつけた。

トリノでの写真と井口の記憶を呼び覚まし当時の感動を共有する 写真・辻村和見

「日本代表の遠征先で、さまざまなスキー文化に触れた。たとえばドイツにはスキー用の道があって、雪の中で遠くまで移動できたり、視覚に障害のある子どもを自然とガイドできる子どもがいたり、そんな風景に出会って、いいなぁ!と思った」と、スキーや自然と触れ合うなかで文化を創り出せるという考えに至ったことを語った。

参加者と語り合う井口深雪 写真・小林勉

また、「競技をしていた当時は、行く先々でオリンピックの選手と一緒になることがありましたが、全く別物で、パラは競技人口が少ないから代表選手になれるし、メダルもとれて申し訳ないと思っていたけど、今わかることは、パラで取れたこのメダルは、私が今普及をやろうとしていることにはすごく大事なこと。この名誉のおかげで、ノルディックを障害のある人に広めたりでき、各地域にサポートしてくれるような人を集めて一緒になって活動をつくっていけるんじゃないかと思います」と話し、長い時間をかけて気づいた、これからのパラスキー普及への思いを伝えてくれた。

最終日に行われた記録会では参加者に井口から全員にメダルが贈られた 写真・小林勉

旭川のパラスポーツ文化

井口をパラノルディック普及の場へと呼び戻したのは、長野前から現在までパラノルディック日本代表を率いる荒井秀樹監督だった。荒井監督も旭川出身で、長野パラリンピックに向けて選手やガイドを集め、旭川をホームとして選手強化。長野パラのあとも旭川で代表合宿を続けた。そんな旭川では、その後、国際大会はじめ、さまざまな障害のある人、ない人でノルディックスキー、夏・冬のパラスポーツを通じた交流が行われている。

初心者クラス、障害の有無や年齢などがさまざまな人たちがノルディックスキーを体験した 写真・辻村和見

日本障害者スキー連盟の普及担当となった井口は、これまでに出身でもある長野県で2回の普及イベントを開催し、今回の旭川では、コミュニティのまとめ役、今野征大さん(パラスポーツ指導員、旭川盲学校教諭)を通じて、競技団体、理学療法士チームなど地元の参加者と一緒にパラノルフェスを企画・準備した。

腕の力を使うシットスキーだが4.5kmのコースで子どもたちも気軽に挑戦した 写真・小林勉

会場は旭川市市民活動交流センター「CoCoDe」と、市街中心に設置された4.5kmの「北彩都歩くスキーコース」で、歩くスキー、シットスキーが気軽に体験できた。

屋内の体験コーナーでは、井口が自らバイアスロン体験を指導したほか、車いすスポーツの体幹の筋肉を鍛えられるエルゴマシーン体験、理学療法士チームによるリハビリ、マッサージ体験なども大人気だった。

ビームライフルの体験は金メダリスト自らが指導した 写真・辻村和見
トレーニングを体験する参加者とスタッフとして参加した日本ローイング協会・山本初代(右)、北海道ボート協会・本間公康(左) 写真・小林勉

2日間で108人が身体を動かしたり、気さくなパラリンピアンの人柄に触れ、旭川ラーメンやカレー、スタッフが持ち寄ったお菓子を楽しみパラスポーツとまちづくりを語り合う場となった。

右からトリノパラ、バイアスロン12.5Kmでの金メダル、長野パラ、バイアスロン7.5kmでの金メダル 写真・小林勉

(取材協力・公益財団法人日本障害者スキー連盟 写真・小林勉、辻村和見、今野征大、おおいしともひさ)

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