関連カテゴリ: PYEONGCHANG 2018, スノーボード, 取材者の視点, 国際大会 — 公開: 2018年3月18日 at 11:56 AM — 更新: 2018年3月18日 at 6:35 PM

“ラスト1本”で見せた、ディフェンディング・チャンピオンのプライド――ハワイ出身スノーボーダー・Evan STRONGの平昌パラリンピック

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スノーボードクロスでのエヴァン・ストロング (写真・山下元気)
スノーボードクロスでのエヴァン・ストロング (写真・山下元気)

平昌パラリンピック、スノーボード・バンクドスラローム(SB-LL2クラス)で銀メダルを獲得した、ハワイ出身の義足のスノーボーダー・Evan STRONG(アメリカ)は、今年の1月に来日した際のインタビューで、こんなことを言っていた。

「Mattiやグリムはライバルでもあるけど、仲間なんだ。彼らのハイパフォーマンスのおかげで、スノーボードの全体的な底上げがされている。それはとても喜ばしいこと。仲間でありながら、戦友と言っても良いのかもしれない」

“Matti”とは今大会、スノーボードクロスで金メダル、バンクドスラロームで銅メダルを獲得したMatti SUUR-HAMARI(フィンランド)、“グリム”とは同種目で銅メダル、金メダルを獲得した日本の成田緑夢のことである。前回のソチ大会でEvanが金メダルを獲得してから4年、パラスノーボードの競技レベルが急激に向上した。しかし、自身の連覇を脅かすライバルの出現を、彼はむしろ歓迎しているようにも見えた。

3月16日、バンクドスラロームのフラワーセレモニーへ向かう3人のメダリスト(左からエヴァン、グリム、マッティ) (写真・矢野信夫)
3月16日、バンクドスラロームのフラワーセレモニーへ向かう3人のメダリスト(左からエヴァン、グリム、マッティ) (写真・矢野信夫)

しかし、Evanはまた、こうも言っていた。

「僕はチャンピオンだ。そう簡単に王座を渡す気はないよ」

迎えた平昌パラリンピック。最初の種目であるスノーボードクロス(3月12日)では、準決勝でMattiに、3位決定戦では成田に敗れ、4位に終わった。

MattiはEvanの活躍を見てパラスノーボードを始めたという。Evanに言わせると、「彼とは仲が良い。脚を失った原因も一緒(バイク事故)だしね」

そんなMattiの金メダルを前にして、Evanはこう話した。

「自分が事故にあった時、あと少しで命を失うところだった。足が切断されたことを乗り越え、もう一度スノーボードをする気持ちになったのは、僕を支え、鼓舞してくれる人たちがいたから。僕たちは犠牲者であり続けるのではなく、復活する。立ち上がったからには、恩返しをする。それを未来へと繋げていく。だから、色々な意味でMattiがチャンピオンになるチャンスを得られる様な環境づくりに貢献できたことを誇りに思っている」

成田に対しても同じだった。

「グリムは本当に素晴らしい選手。メダル獲得を心からお祝いしたい」

メダルセレモニーでのメダリストたち。左から、エヴァン、グリム、マッティ(写真・中村"Manto"真人)
メダルセレモニーでのメダリストたち。左から、エヴァン、グリム、マッティ(写真・中村”Manto”真人)

競技後にEvanがまず発した言葉は、悔しさではなく祝福だった。とはいえ、悔しくないはずはない。ライバルたちも、彼の浮上を願っていたのではないだろうか。

3月16日のバンクドスラローム。数日続いた温暖な気候から一転、寒さがぶり返し、固い雪面でのレースとなった。好条件だが、それはライバルたちにとっても同じ。3本滑って最も良い記録で競うバンクドスラローム。成田(48秒68)、Matti(49秒51)、そして同じアメリカのMike SHEA(49秒70)は揃って3本目に最速タイムをマークした。8番目の滑走となったEvanは――。

49秒20。その時点で2位に食い込む会心の滑りだった。上位3選手の待機所で待っていた成田、Matti、Mikeは手を叩いて喜んだ。

バンクドスラロームのミックスゾーンでのエヴァン (写真・吉田直人)
バンクドスラロームのミックスゾーンでのエヴァン (写真・吉田直人)

メダルセレモニーで銀メダルを首にかけた後、ミックスゾーンにやってきたEvanは言った。

「結果的に銀メダルを取れてとても嬉しい。充実感を感じている。今日の滑走にはとても満足しているよ」

「(グリムは)本当に素晴らしい滑走だった。終始トップ。優勝して当たり前なくらい、凄くスピードに乗っていたね」

忘れることのない、ライバルへのリスペクト。しかし、である。“悔しくないはずはない”。

「これまではオープンにグリムをサポートしてきたけど、これからはどうだろう? 今はもう、(グリムは)大丈夫そうだから。彼は僕より若いけど、そう簡単に勝たせたくはないな。プレッシャーをかけ続けるよ」

大会前のEvanは、日本にとって、“成田緑夢のライバル”として映っていた。だから競技後の質問は、やはりその構図を意識したものも含まれる。そして実際に、競技で成田は輝いた。ディフェンディング・チャンピオンとして平昌の舞台を迎えたEvanにとって、今大会は、アスリートとしての闘争心に改めて火をくべるきっかけになったのかもしれない。

Evanは「スノーボードは競技自体がチャレンジそのもの。多くの細かい挑戦で成り立っている」と言い「平昌での銀メダルはそのチャレンジを乗り越えた証」と続けた。

バンクドスラローム競技後のエヴァン (写真・堀潤)
バンクドスラローム競技後のエヴァン (写真・堀潤)

ウィンターシーズンは終わった。しかし、Evanのシーズンは終わらない。彼はサーフィン、スケートボード、MTB、ロッククライミングも楽しむ。大会前に「パラリンピックまでは我慢」と言っていたスノーボード以外のアクションスポーツも、また全力で楽しむつもりだろうか。

「2020年、東京でサーフィンを観るのが楽しみ。僕はハワイ出身のサーファー。パラリンピック種目にサーフィンが採用される手助けになることを望んでいるよ」

第一にライバルの活躍を讃える度量と、アスリートとしての闘争心が同居したマルチ・アスリートは、チャレンジを止めるつもりは毛頭ない。

(取材協力:翻訳;田中綾子/校正・佐々木延江)

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