関連カテゴリ: World Paratriathlon Series, コラム, トライアスロン, 周辺事情, 地域, 横浜 — 公開: 2017年6月2日 at 1:20 AM — 更新: 2021年5月29日 at 12:27 PM

メッセージ・フロム・リオ 〜Marcelo Colletより〜

「ラ・マンシュ海峡横断」チャネルスイマーとなりモラトリアムを乗り越える

2010年9月17日、コレットの30歳の誕生日に、ラ・マンシュ海峡横断が実現した
2010年9月17日、コレットの30歳の誕生日に、ラ・マンシュ海峡横断が実現した 本人提供写真

「持久戦のトライアスロンに挑んできたためか、プールでの水泳は不完全燃焼を覚える。プール競技自体が自分には不向きなのかもしれない」コレットは自分の活躍の場を他に求めようと考えた。

北京パラリンピックが終わった2008年の年末、コレットは、イギリスとフランスを隔てる海峡、強風や荒波、そして冷たい海水を夜を徹して泳ぐなど精神的疲労も大きく過酷さで有名な「ラ・マンシュ海峡(ドーバー海峡)」横断の挑戦を決意した。

非日常的で、全く見当がつかないほど未知の世界。それだけに、魅力を感じた。成功するのかすら予測不能だったことがモチベーションとなり、期待が膨らみ、過去に経験したことのない挑戦に夢中になった。

優秀なコーチ、体力ロスのないルートの検討、日程決めのためのガイドなど、必要な分野のプロが集まり、コレットの海峡横断を成功することに専念した。食事はカロリーの高いものを摂取し、強い波に流されぬよう体重を増やし、低体温症を防止するために脂肪を蓄えた。

仲間とともにラ・マンシェ海峡横断のプランを考える
仲間とともにラ・マンシェ海峡横断のプランを考える 本人提供写真

2010年9月17日、コレットの30歳の誕生日に、ラ・マンシュ海峡横断が実現した。10時間6分40秒のタイムで横断を成功させ「チャネルスイマー」となった。

「海峡横断は競技ではない、自分への挑戦だ。そこにはライバルは居ないが、共に戦ってくれる仲間がいた。おかげでこの挑戦は成功した。今でも辛いことがあると必ずラ・マンシュ海峡横断を思い出す」

 →10年をかけて、トライアスロンへ復帰/ロンドン、リオは代表権を得られず。理由は・・

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