「こんなに見応えがある点差のついた試合は、今まで見たことがなかった」
第1回精神障がい者フットボールアジア大会「Dream Asia Cup」決勝戦、日本代表対韓国代表戦を観戦した日本障がい者サッカー連盟会長北澤豪が、閉会式で語った言葉である。
27-3、日本が韓国に大勝、スコアだけみると一方的な展開だ。いったい何が見るもの心をとらえたのだろう。
前日の予選リーグでは日本に33-1で敗れた韓国代表は、よほど悔しかったのか、もっとやれるはずだと思ったのか、試合後にも決勝に向けて練習を行った。日本ソーシャルフットボール協会理事長の佐々毅は「悔しいという経験ができる」のもこの大会の意義だと語る。
韓国代表は翌日、「圧倒的な熱量と日本へのリスペクト感」を胸に決勝に臨んだ。ことに力強くテクニックもあり、前日の日本戦で1ゴールを奪ったアン・ジェモ(5番)は、選手層の薄さもありほぼフル出場、血気迫る闘志で日本選手たちに立ち向かっていった。その攻防からは片時も目が離せない。日本代表のゴレイロ宮川雅治は「強烈ですね。自信を持っているという感じもあって、メンタル的にもたぶんゾーンに入っているような感覚」、もう一人のゴレイロ小原一人は「何を言われようが自分が責任をとるつもりで闘っている」という印象を抱いた。
7歳でフットサルを始めたアン・ジェモは長らく統合失調症を患い、2020年24歳の頃にはかなり悪化、1年ほど何もできない状態を過ごしていたが翌年よりソーシャルフットボールを始め、それより病状が少しずつ改善。2023年から本格的にプレーを始め、今に至るのだという。
各々が辿ってきた道
熱い闘いが繰り広げられた大阪府堺市立大浜体育館、まさにその場でソーシャルフットボールに出会ったのが日本代表の6番中川翔太。大学を中退し本当に何もない、半引きこもりの状態の時に母が見つけてきてくれた。不安障害もあり、アジアカップのような舞台は「凄く緊張して吐き気に見舞われたりもする」というが、決勝で鮮やかなループシュートを決めた後はカメラマンへ向けて決めポーズ。苦手だった感情表現もスムーズだった。
「絶対自分一人だけの力だけではたどり着けなかった」という中川翔太は、日本代表としてソーシャルフットボールに最初に出会った場で「新たな自分を皆に見せれたことを誇りに思う」までに至った。
その中川翔太のチームメイト(INTERVALO大阪)が伊勢田和樹、高校生の時にうつ病を発症した。初めてチームの見学に行った際に中川と話し「この選手とだったら、この舞台に辿り着くことができるのでは」と感じた伊勢田はこの大会で20ゴール、大会最多得点を記録した。
「夢のような時間。ここに来るまで、辿り着くまでの道のりが報われたというか、過去が意味のあるものになった」。
「小さい時からサッカーは好きで、学校に行けなくても家に籠っていてもボールはずっと蹴っていた」という藤原仁は、ソーシャルフットボールの存在を知ってからの2年間「精神障害があることを世の中にオープンにしてフットサルをやることの怖さみたいなもの」を感じ一歩が踏み出せないでいた。しかし「勇気を持ってチーム(Espacio)に参加して自分の話をしたときに『めっちゃわかるわ』と言ってくれた仲間がいて自分だけじゃないと思えて「この人たちとボールを蹴りたい」という思いが強くなって…。そこからもう楽しくて。気持ちが折れながらも頑張っている人がいて励まされて…、また自分の頑張りが誰かの励みにつながって。これは止めちゃいけないという気持ちで今までやってきた」のだという。
うまく人とコミュニケーションを取るのが難しい自閉スぺクトラム症の藤原は「一つのボールをゴールまでつなぐためには相手が何を考えているのか、どこでボールをもらいたいのか必ずコミュニケーションが発生する」ソーシャルフットボールを通して「人と関わるのがどんどん好きになっている」。
かつてタイのプロフットサルリーグで3シーズンほどプレーしていた軽部斉広は引退後、働いていたタイでうつの症状が悪化し退職。その後は寝たきりの生活が続いたが、東京パラリンピックをTV観戦していた妻の「精神障害をもっている人ができるようなスポーツないの?」の一言からソーシャルフットボールと出会い、リハビリの一環、運動療法の一つとして始めた。その後、日本代表という存在を知り競技への思いが再燃した。自らもそうであったように「みんな運動療法からソーシャルフットボールを始めてだんだんと動けるようになって競技志向になり、代表を目指すという段階を踏んでここに辿りついている」という。
ソーシャルフットボールを「命の恩人みたいな感じ」と語るのは石田嵩人だ。「死ぬか生きるかの時に出会ったんで」。
中学の時は1万回でもできたリフティングが、部屋で寝たきりになってからは筋肉が落ちて10回やるのもやっとだったという。死ぬか生きるかといううつ状態から「ソーシャルフットボールをするにつれて目標も夢もできて、自分のモチベーションになって、病気(双極性障害)もそれにつれてよくなってきて、いまこうやって日本代表にもなれてソーシャルフットボールに救われた」という。
一時は薬の副作用で簡単な本や漫画すら頭に入ってこない状態だったという本田凌哉にとってソーシャルフットボールは「救ってくれてありがたい、夢であり希望」だという。
自分のゴールで仲間が盛り上がってくれる、周りを喜ばすことができる。その実感が「自分も生きてていいんだ」と思わせてくれた。
そうやって辿り着いた選手たちが、サムライブルーと同じユニフォームを身に纏い、闘う場が「Dream Asia Cup」だった。
「Dream Asia Cup」実現へ
7つの障がい者サッカー団体の強化・普及の促進を担う「障がい者サッカー連盟(JIFF)」は、国内で公式国際大会を開催し実際に観戦する機会を積極的に作っていこうと各競技団体やJFA(日本サッカー協会)とも連携しながら動いていた。その流れのなか「アジアの体制整備を日本が牽引していく」ということで、アジアサッカー連盟の外郭団体であるAFCドリームアジアファウンデーションの支援が決まり「Dream Asia Cup」開催への実現へとつながった。(日本ソーシャルフットボール協会は開催費用の足りない分の補填として2月末までクラウドファンディングhttps://camp-fire.jp/projects/795985/viewを行っている)。
「Dream Asia Cup」開催へ向け、日本からの働きかけによって生まれたのがソーシャルフットボール台湾代表、そして韓国代表だ。
韓国のソーシャルフットボールの歴史は始まって間もない。2年半程前ソウルにFCダンダンというチームが立ち上げられた。ダンダンは漢字で「堂々」、創立者の思いが込められたチーム名だ。その後2度の全国大会が開催され、いずれも優勝したFCダンダンの監督アン・スボンが新生韓国代表チームの監督に指名された。一般の指導も行っているアン・スボン監督は指導方法になんら変わりはないというが、息子さんも精神疾患を患っておりその苦労した経験が活かされているという。
一方、台湾は全国大会が12年間開催されているが、サッカー、フットサルが根付いていない台湾では、まずは楽しく参加することに力点が置かれているという。台湾選手団長のヂャン・チャオシィアンは初めて精神疾患を持つ人とフットサルをした際、彼らの目が変わり自信を持つようになったことを目の当たりにして、作業療法士の職を辞し障害者スポーツの普及に尽力しているのだという。
そして開幕
1月15日、日本代表対台湾代表の初戦が行われた。
試合前、選手たちがロッカールームを出ると、廊下でコーチ陣がハイタッチで送り出そうと待っていてくれた。軽部斉広は「お父さんというか保護者のような眼差しで送り出してくれて、ハイタッチを繰りかえすうちにこみ上げるものがあって。コーチや監督のためにも、選ばれずにここに立てなかった仲間たちのためにも、この大会やらなきゃいけない」と思いを強くした。
先制ゴールを上げたのはその軽部だった。その後、日本代表は90本ほどのシュートを台湾ゴールに浴びせ34-0で勝利。得点の内訳は伊勢田和樹12、石田嵩人8、竹田智哉5、中川翔太4、軽部斉広4、本田凌哉4、藤原仁3、浦田凌吾2、久保田一樹1。
勝敗の結果自体は、開会式での両チームの立ち姿を見るだけで明らかだった。日本代表チームの立ち上げ以来監督を担ってきた奥田亘監督は「歴代の代表選手たちと個々のポテンシャルは大きくは変わらない」というが、現代表は「トレーニングを積み自分をコントロールし継続的に自己研鑽を続けてきた選手たち」であり「圧倒的にアスリートとしての能力は高い」という。一方の台湾はお腹が出ていたり、筋力がなさそうだったり、年齢も高めだったり、そんな選手たちが多かった。
台湾代表ツァイ・クンタン監督はこの結果を受け「予想通りと言えば予想通り。2018年に来日し日本代表の強さはわかっていたので驚いてはいない」という。だが選手たちは日本の強さを目の当たりにしながらも諦めることはなかった。
実力差があると逆に難しい試合にもなりがちだが、日本代表奥田監督が「自分たちのプレーの質を下げないということにフォーカスし、そこはしっかりできた」と語ったように、集中力が途切れることもなく、容赦なく台湾ゴールに襲い掛かった。それが礼儀であることも各国の共通理解となっていた。
この試合でキャプテンを任された末益祐吾は「相手をリスペクトして向かっていった結果。気持ちが切れないよう意識して声を出し続けた」という。弱視のロービジョンフットサル日本代表候補でもある末益は中心が見えずらい黄斑ジストロフィーであり、少し視線をずらしてプレーしているという。この試合、フィールドプレイヤーで唯一ノーゴールだったのが末益でもあった。
その夜に行われた歓迎レセプションで、台湾のヂャン選手団長はこの大会が「単なる試合ではなく、人生を変える旅」であることを熱く語り、日本戦で大量失点を喫した台湾GKのワン・チンランは、精神疾患を患っている人の心情を台湾の精神科医が歌にしたという曲を熱唱。「私も病気を患っているので気持ちは本当によくわかる」というワンは30年近く統合失調症を患い20年ほど入院。2018年に団長や監督と日本を訪れ日本のソーシャルフットボールの大会を見て感動、経験はなかったものの、それからフットサルを始めたという。
そのワンの歌声が各国の選手たちの心に響く。韓国のアン・ジェモは、これまでのことが胸に去来したのか、涙を抑えることができなかった。
日韓戦
翌16日の台湾と韓国の予選リーグは、韓国が7-0と勝利。台湾は2敗となり、ともに1勝している日本と韓国の決勝進出が決まった。韓国は中心選手のアン・ジェモの出場がなく「翌日以降の日本戦に備えて休ませたのか?」という問いに、韓国のアン監督は「みんなレギュラーだと思っている」という多くの監督が答えるだろう返答がかえってきた。
17日の予選リーグ最終戦日韓戦のスタートメンバー、日本は本田凌哉がピヴォ、アラにはこの試合キャプテンマークを巻いた石田嵩人に伊勢田和樹、末益祐吾がフィクソ、ゴレイロには宮川正治が入った。韓国はアン・ジェモがピヴォ、台湾戦4ゴールのイ・ホジュンとパク・ヒョンジュン、フィクソにイ・キファン、ゴレイロはイ・カンヨン。
韓国はフィールドプレイヤー3人で守り、アン・ジェモが単独突破を図るような形。アン・ジェモに対し、軽部斉広は「一対一で対峙し一人が釘付けにしている間に2人3人で挟んで奪いにいく意識を共有」してアンを抑え込む。久保田一樹もアンと激しい球際の争いを見せる。「バチバチやらしていただいて。お互いリスペクトをもったバチバチだったので楽しかった」
日本は石田の先制ゴールを皮切りに第1ピリオドに17点を奪った。そして第2ピリオド2分、石田からのパスを中央で受けた末益が相手をかわしてシュート、これまで唯一ノーゴールだった末益の待望のゴールが決まり、日本ベンチは大盛り上がり。今大会、キャプテンは毎試合変わり「キャプテンの一言でチームが一丸となって戦う」ということもあったというが、前日キャプテンだった末益のファーストゴールには伊勢田や竹田智哉も感動、今大会でもっとも心に残っているという。
今大会、選手たちは「同じような精神疾患をかかえながらの生きにくさやもどかしさを共有しながら生活をしていく」ことが刺激的なものになっていたというが、幅広い年齢層のチーム内で最年少の浦田凌吾が年長の選手に「お父さん」とつっこんだり、チーム間の関係もより密になっていったようだ。
日本はその後も得点を積み重ねていくが、17分、セカンドボールを拾ったアン・ジェモが左サイドをドリブルで駆け上がりカットインしてのシュートが決まり、韓国が1点をもぎ取った。
日本としては「0点におさえて決勝は得点の機会があるのかなと相手に感じさせるくらい、完封して終わらせたい」ところだったが、韓国にとっては単なる1点ではなく、次につながる大きな大きな1点となった。
最終スコアは33-1で日本が勝利した。
得点は、石田嵩人6、浦田凌吾5、竹田智哉4、中川翔太4、伊勢田和樹3、藤原仁3、本田凌哉3、末益祐吾2、軽部斉広2。
決勝~日本と韓国の再戦
日本と韓国の決勝、日本代表のスタートはピヴォに竹田智哉、アラが石田嵩人とキャプテンマークを巻いた末益祐吾、フィクソに軽部斉広、ゴレイロは宮川雅治。韓国のアン・ジェモはピヴォからフィクソへポジションを下げた。韓国アン・スボン監督は「前日の試合より点を多く取って失点を少なくするため、300%の力が発揮できるように」考えたのだという。
開始早々日本は石田がFKから先制。その直後にもカウンターを発動、右サイド石田からのクロスにファーに詰めた竹田が押し込み、1分も経たないうちに日本が2点を奪った。
しかし韓国は、フィクソの5番アン・ジェモからの浮き球のパスに抜け出した16番パク・ヒョンジュンがGK宮川と1対1に、パクのシュートは宮川が止めるもパクが体で押し込み韓国が1点を返す。
その後日本は竹田、石田のゴールで4-1とリードするものの、アン・ジェモの激しいディフェンスや、ゴレイロのイ・カンヨンの好守により、思うように追加点が奪えない時間帯が続く。しかし6分、右サイドからカットインした石田の狙いすましたシュートが決まり日本は5点目を奪う。その後、日本は6分伊勢田、7分軽部、8分石田、9分藤原、10分藤原、14分伊勢田、軽部、16分本田、浦田と得点を積み重ねていく。
アン・ジェモはカウンターを仕掛けたいが、日本はまず一人が前に立ち、抜かれても2人目が寄せる。するとアンはいささか無謀かと思われる自陣深い位置からもロングシュートを放つようになる。他のフィールドプレイヤー3人はゴレイロ宮川の前に立ち、宮川の視界を狭める。そして18分、アンの30mのロングシュートがゴール前で競った選手の間を抜けネットを揺らし韓国が2点目を奪った。
しかし日本は20分藤原のゴール、終了間際には中川翔太がアンからボールを奪いカウンター、飛び出してきたゴレイロの動きをよく見て鮮やかなループシュートを決め、感情を表に出すことが苦手だった中川が渾身の決めポーズを見せる。
16-2で終えた第1ピリオド、日本は選手交代を頻繁に行っていたのに対して、韓国は15番ノ・チョンジュンの負傷や層の薄さもあり、アン・ジェモ選手を始めフィールドプレイヤー4名中3名は出ずっぱりだった。
第2ピリオド、1分に伊勢田、2分には久保からのクロスを伊勢田が見事なボディバランスのダイレクトボレーで追加点。しかし韓国もアン・ジェモが右サイドから強烈なシュートを放つと、ファーのサイドネットをゆらし3点目を奪う。
その後日本は、5分藤原 8分本田、9分本田、11分本田、竹田、竹田、久保田、浦田がゴールを決め大量リード、しかしアン・ジェモは最後尾から1対1をしかけ、どん欲にゴールを狙う姿勢を見せる。日本は一人が抜かれても二人目が素早く寄せ、アン・ジェモはなかなかシュートまでいくことはできない。アンが仮にゴールを決めたとしても日本とは20点以上の得点差があり追いつけるはずもない。だがそこには、それぞれの個人史を経て、そこに辿り着いた者のみに許される、何か崇高な空間があるように見えた。目の前の相手に負けない。もちろん日本の選手たちも負けていない。
アンの直接FKはゴレイロ小原一人が止める。イ・シウのシュートはポストを叩き、19分には伊勢田が日本の27点目を決め、日本が27-3で韓国を下しアジアチャンピオンとなった。
日本代表3試合の通算ゴール数は106。内訳は伊勢田20、石田18、竹田13、本田11、藤原10、浦田9、中川9、軽部8、久保田2、末益2、オウンゴール2。
MVPは、膠着状態を打破する正確無比なシュートや数多くのアシストとゴールをお膳立てした石田嵩人が受賞した。
石田は昨年能登の震災後、「少しでもためになろう」と長崎から石川県のチーム(ヴィンセドールルミナス)へ移籍。輪島で解体作業に携わっているという。
夢の合同チーム~Dream Asia United
この大会では精神障害者スポーツに関わるシンポジウムも開催された。16日には「精神障がい者スポーツと自立・就労」というテーマで、うつ病・パニック障害で休職した精神障害当事者がソーシャルフットボールという場があることで復職につながったというレポート、その企業担当者、就労支援のNPO法人、日本ソーシャルフットボール協会理事長の精神科医佐々毅が、それぞれの立場から報告、議論がかわされた。
17日には「第1回精神障害者スポーツアジアシンポジウム」が開催、日本、韓国、台湾、そしてマカオの精神障害者スポーツを取り巻く現状などが語られた。(このシンポジウムは英語で進行、英語が苦手な筆者にはぼんやりとしか理解できなかった)。
そしてこの大会を象徴するかのような存在がDream Asia United。日本、韓国、台湾3か国の選手たちそれぞれ4名ずつ(台湾選手の一人は女性)が集まり合同チームDream Asia Unitedを結成。それぞれの代表チームと親善試合を行った。
初戦は15日開会式直後の韓国代表戦。チームのメンバーたちが初めて顔を合わせたのはその前日、その日は日韓の選手だけで練習、3か国の選手たちがともにボールを蹴ったのは韓国戦が初めてだった。
このチームの監督を任せられたのは日本代表チームのゼネラルマネージャーでもある真庭大典、二刀流である。真庭が選手たちにまず伝えたのは「国の代表ではないが、僕たちはアジアの代表。誇りとプライドを持ってやりましょう。スマイル、エンジョイ、ファイト! この3つは試合中忘れずやっていきましょう」という言葉だった。チームをプレー面で引っ張るのは日本の選手たち、韓国、台湾の選手たちとの技量の差は歴然だった。日本選手たちに向けて真庭監督は「勝つために君たちが中心になって、丁寧にやろう。能力を引き出してあげて」と伝えた。
豊田裕樹、山田浩史の日本選手コンビがそれぞれ3点、2点、ゴレイロ竹内晋平からの攻め上がりから1点と韓国から計6ゴールを奪ったが6-9で敗れ、この試合では台湾や韓国の選手たちの能力を引き出すまでには至らなかった。
その日の夜の歓迎レセプションでは、石川でチームメイトの石田嵩人のフリで山田浩史が一発芸を次々と披露、各国の選手たちを和ませていた。山田はチーム練習の際に、そのトレーニングも積んできたという。
アジアの壁
翌日の対戦相手は日本代表。山田浩史は強化指定選手として代表合宿に招集されていたが、今大会では代表チームの選にもれ、Dream Asia Unitedの選手として参加していた。「悔しい気持ちは忘れたくない。次回は日本代表に選ばれるよう日々のトレーニングを頑張っていきたい」と語る。
竹内晋平も複雑な思いで大会に臨んでいた。竹内は第1回、2回の世界大会にフィールドプレイヤーとして出場、その後、所属するリベルダージ北海道のチーム事情もありゴレイロに転向し日本代表を目指していた。「悔しい気持ちもあって、どれだけ勝っても決勝には行けないじゃないですか。どういう感情で戦えばいいのかすごく難しいところで。気持ちの差とかギャップがあるというか、そのへんが心配だった」
様々な思いの選手が集まった Dream Asia Unitedは、通訳の協力、スマホの翻訳機能を使用、片言の英語での会話などでコミュニケーションを図り、いいムードになりつつあった。
だが日本代表は強い。Dream Asia Unitedはゴレイロ渡辺隆弘や3番キム・ホンブムの好守などもあったが、日本が9-0とリードしハーフタイムをむかえる。
「スコアは負けてるけど気持ちは負けてない。まずは1点決めよう」この試合のキャプテン山田のかけ声で始まった第2ピリオド、韓国、台湾の選手たちが凄まじい集中力を見せる。ボールも上手く蹴れない、アスリート能力が高いわけでもない。だが日本代表選手にくらいつき、ゴール前に立ちはだかる。どんなにシュートを打たれても体を張って止める。「アジアの壁だ!」思わず真庭監督が叫んだ。実際、15分間で本田凌哉の1ゴールしか許さなかった。
最終的には14-0で敗れたが、「ナイスゲーム、本当に素晴らしい試合」と真庭監督が選手たちを絶賛するような試合となった。フットサルの経験は浅いが体幹が強く守備には自信があるという韓国3番キム・ホンボムは「一生懸命やりました。試合を重ねるごとにうまくなっていくのが実感できます」という。
台湾9番ヂャン・ヂェンウェイは「昨日の日本の試合を見たら強くて、怖いという気持ちがあったんですけど、試合が終わってそんな気持ちはなくなりました」と眼鏡をかけた細身の体で語る。台湾でソーシャルフットボールを始めて、体力がつき友達も増えたという。
台湾8番ワン・グァンヂョンは「試合中は守ることに集中していてあまり覚えていない。監督が『皆さん本当に素晴らしい』と言ってくれるので、頑張ることができた」という。
つながる喜び
翌17日は台湾戦、試合前、「闘う準備はできていますか? スマイル、エンジョイ、ファイト! しんどいかもしれないけれど仲間がいます。しんどいときは仲間の助けを求めましょう。皆で戦いましょう」と真庭監督が選手たちに声をかける。円陣を組み、この日のキャプテン台湾のリン・クンディエンが「私たちは一番強い。いっしょに戦いましょう」と声をかけ、キックオフ。
この日は、台湾、韓国の選手たちになんとか点を取らせようと、豊田や山田がパスを送る。だがポストを叩く惜しい場面もあったものの、なかなか決めきれない。そして15分、ゴレイロの竹内晋平が攻め上がり韓国4番チャン・イニョンへ絶好のパス、チャンのシュートがゴールネットを揺らした。選手、スタッフ、観客席で観ていた韓国選手団も大盛り上がり、会場が湧いた。
「私もできるんだと思いました。下手なんですけど日本の監督や選手たちが励ましてくれるので」とチャン・イニョンはいう。アシストした竹内は「めちゃくちゃ嬉しかったです。自分がゴールするよりも初心者の方にゴール決めてもらうほうが嬉しい」。当初は複雑な思いで臨んだ竹内だったが、「フットサル歴が短いというか初心者の人が多かったんですけど一生懸命戦ってくれて、すごくコミュニケーションもとれて、僕が初めてソーシャルフットボールを始めたときのような原点の気持ちを思い出させてくれた。今回参加してよかった。Dream Asia Unitedで戦えてよかった」と思いを語る。
日本代表の奥田監督は日本代表と合同チームの振り分けについて「海外の選手たちといっしょになったときにコミュニケーションが取れる、自分のことだけでなく周りが見れる。今まで代表を引っ張ってきた選手たちが出るべき」という考えもあって選手をピックアップした面もあったようだ。
第1ピリオドを6-0(山田3、豊田1、オウンゴール1、韓国選手1)で終えたハーフタイム、真庭監督が山田や豊田に伝える。「使われるより使う。いかに丁寧なパスが出せるのか」点を取らせる仲間意識ももちろんだが、日本代表を目指す選手としてのプレーの質にもこだわったメッセージだ。そして「日本人2人がいいパスを出します。みんなゴール!」という言葉で選手たちをピッチへ送り出した。
山田はなんとかゴールを決めさせようとパスを送るが、うまく蹴れなかったりでなかなか決めることができない。そして6分、山田からのパスを受けた6番韓国オ・サンジュンがゴールネットを揺らした。「初めてゴールを決めたのですばらしい経験。それも国際大会でゴールを決めることができてとても嬉しい」と自らの得点を振り返った。
その1分後、今度は韓国5番イ・ヘソンからのパスを受けた台湾8番ワン・グァンヂョンがゴールネットを揺らす。この大会の台湾人初ゴールとなった。「いいパスをくれたのでゴールが決まりました。とても嬉しい」
アシストしたイ・ヘソンは「台湾の選手のゴールにつながったのが嬉しい。お互いが仲良くなってチームが強くなったと思う」。少々お腹も出ている彼はソーシャルフットボールを始めて「体力もついてきているのは実感している。友達ができたこと、楽しくコミュニケーションがとれることにやりがいがある」。前日は日本のスタッフから道頓堀を案内され、たこ焼きを美味しくいただいたという。
試合は合同チームが9-0で勝利した。
台湾代表初ゴールなるか?
最終日18日も同じカード、台湾代表とDream Asia Unitedの対戦。台湾代表はこの試合まで無得点、ノーゴールで帰国してしまうのか。「台湾に1点取ってほしい」という空気感も漂うが、Dream Asia Unitedのゴレイロ竹内も渡辺も手を抜くことはない。
第1ピリオド、これまで守備で奮闘してきた韓国3番キム・ホンブムが豊田、山田からのパスを受け3ゴールをあげDream Asia Unitedが6-0で折り返し、台湾代表に残された時間はあと20分となった。
そして第2ピリオド6分、こぼれ球を拾った台湾の12番ワン・チョンジュンがゴールに迫りそのまま押し込んで、記念すべき台湾代表の初ゴールとなった。ワン・チョンジュンは顔の前で手を合わせ、それから大喜びのベンチに呼ばれハイタッチを繰り返した。試合後ゴールの感想を聞くと「感動しているところです。まだ感動中です。ゴールを決めるまでは本当に大変でした」と自らのゴールを振り返った。統合失調症とうつ病を患っているというが「フットサルをやるには集中力が必要」だという。その集中力が生んだゴールだった。
この試合は10-1でDream Asia Unitedが勝利し2勝2敗、台湾代表は0勝4敗と今大会勝つことはできなかったが貴重な「1点」を手にすることができた。Dream Asia Unitedに参加した台湾人選手たちも1ゴールの歓喜、体を張った守備からくる自信、仲間とつながる楽しさを感じ取った。今大会唯一の女性選手であるオウ・シュミンはボールに触る機会こそ少なかったものの「本当に自信になったので、またこういう大会があれば是非参加したい」という。
大会を終えて
日本ソーシャルフットボール協会理事長の佐々毅は「それぞれの1点は意味がある。点差が離れているのはアジアの現状ですが、手を抜かない、諦めなかった。みんなが必死に頑張っている姿は絶対見えた。次につながってくると思いますし、この経験を各国で広く伝えていってもらえたら」と願う。精神障害者のスポーツはレクリエーションレベルが多いが「うまくなる喜びを目指す、悔しいという経験ができるという場」も選択肢として必要だという。この大会はそのことを実証する場にもなったであろう。
最終日の2試合を観戦した障がい者サッカー連盟会長北澤豪は「それぞれの監督さんやコーチたちは個性や良さを見つけながら自分の枠に収めるのではなくて持っているポテンシャルをどうやって活かすか、そういう指導をしてここまで行きついている」と感じながら試合を見つめた。
「Dream Asia Unitedの監督さんが、何が大事なのかということを伝えてくれていました。ここにはチームの勝利と選手の成長が明確にある、両方ないといけないと思うんです。健常者の指導をされている方たちも勝利主義に行き過ぎていることもあるから指導者養成でソーシャルフットボールを見に来たほうがよいのでは。こういう場にくることによって、個人を尊重しながら指導していく気づきがたくさんあるんじゃないかな」
これまでは比較的ソーシャルフットボールの場にくる機会が少なかったという北澤会長は、大いなる可能性、健常者とのサッカーとの親和性を強く感じた。「障害と診断されるギリギリの子どもたちだったり、サッカーで解決できることもあるのでは」と、サッカーの持つ力の大きさを再認識したという。
「スマイル、エンジョイ、ファイト!」
この3つがあれば必ずつながる。
それがソーシャルフットボール。
「Dream Asia Cup」は単なる試合ではなく、人生を変える旅でもあった。

Dream Asia Cup ソーシャルフットボール日本代表選手
1 宮川 雅治 (FC IGUNAL)
2 浦田 凌吾 (ひとしおや)
3 竹田 智哉 (Espacio)
4 久保田 一樹 (エストレージャあいち)
5 末益 祐吾 (トラムート北九州)
6 中川 翔太 (INTERVALO大阪)
7 軽部 斉広 (Espacio)
8 伊勢田 和樹 (INTERVALO大阪)
9 藤原 仁 (Espacio)
10 石田 嵩人 (ヴィンセドール ルミナス)
11 本田 凌哉 (Espacio)
12 小原 一人 (BLUE SKY)
監 督 奥田 亘
コーチ 宮竹 晴紀
コーチ 平崎 理人
GM 真庭 大典
トレーナー 北川 修
*大会最終日の 「台湾代表vsDream Asia United」「決勝・日本代表vs韓国代表」は3台のカメラ中継による映像が配信されている。
*日本ソーシャルフットボール協会はDream Asia Cup開催費用の足りない分の補填として、2月末までクラウドファンディングを行っている。
https://camp-fire.jp/projects/795985/view
(写真提供・日本ソーシャルフットボール協会 松本力 校正・佐々木延江)