苦労も、喜びも。チームで戦う、 パラトライアスロン視覚障害クラスの醍醐味

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今年(2015年)6月のパラトライアスロン横浜大会で優勝したオーストラリアのケイティ・ケリー選手とガイドのミシェリー・ジョーンズのフィニッシュ・シーン (写真:中村真人)

今年(2015年)6月のパラトライアスロン横浜大会で優勝したオーストラリアのケイティ・ケリー選手とガイドのミシェリー・ジョーンズのフィニッシュ・シーン (写真:中村真人)

■個人競技のなかのチーム戦

 トライアスロンは、一人のアスリートがスイム、バイク、ランの3種目を順番に続けて行い、「自身の限界に挑戦する」スポーツとして1970年代にアメリカで生まれた。そんな成り立ちもあり、早くから障害のある人の挑戦も受け入れ、今では「パラトライアスロン」として整備され、来年のリオデジャネイロ大会でパラリンピックの正式競技としてデビューすることも決まっている。

 パラトライアスロンでは、例えば、下半身に障害のある人は義足や車いすなどを使って競技し、視覚に障害のある人は、「ガイド」とともに競技する。人間が得る情報の約8割は「目」からの情報だと言われるが、ガイドはその「目」の代わりを担う。さらに、ルール上、ガイドは選手と同性で、一人で3種目をガイドしなければならず、トライアスリートとしての力量も問われる。選手とガイドは、スイムとランパートではロープでつながり、バイクパートでは二人乗りのタンデム車に乗る。トライアスロンは個人競技だが、視覚障害クラスには選手とガイドのチーム戦という一面もあるのが特徴だ。

2013年の横浜トライアスロンに出場した中澤隆選手とガイドの原田雄太郎。スイムスタート前 (写真:Koen)

2013年の横浜トライアスロンに出場した中澤隆選手とガイドの原田雄太郎。スイムスタート前 (写真:Koen)

「主役はあくまでも選手であり、ガイドは選手をゴールまでトラブルなく導くことが役目。でも、レースでは二人が力を合わせないと、持てる力を十分に発揮できない。個人競技のトライアスロンのなかで、チーム戦の感覚が味わえるのは、ガイドとしてやりがいを感じる部分ですね」

 そう話してくれたのは、今年5月、横浜市で開催された、「世界トライアスロンシリーズ横浜大会」でパラエリートの部男子視覚障害クラスで銅メダルを獲得した中澤隆選手のガイド、原田雄太郎さんだ。自身も競技歴15年のトライアスリートだが、ここ数年はガイドで出場する大会のほうが多いという。横浜大会は中澤選手のガイドとして5年連続で出場しているが、昨年は表彰台を逃し、悔しい思いをした。「目標だった表彰台に、チームとして返り咲けてよかった」と充実感を口にした。

今年(2015年)横浜大会での中澤隆とガイドの原田雄太郎のフィニッシュ (写真:中村真人)

今年(2015年)横浜大会での中澤隆とガイドの原田雄太郎のフィニッシュ (写真:中村真人)

 互いに支えあえるのも、チームならではだ。女子視覚障害クラスで銀メダルに輝いた山田敦子選手のガイド、武友麻衣さんは、昨年につづき2度目の横浜大会だった。「去年は晴れだったが、今年は雨。私は雨のレースが苦手なので不安があった。でも、スイムとバイクパートでは山田選手がかなり声をかけてくれたので心強かった。ランパートでは私のほうに余裕があったので、今日はお互いに助け合えたレースだった」と安どの表情。山田選手も、「苦しい場面もあるけど、二人でゴールする瞬間はいつも嬉しい」と笑顔で振り返った。

■さまざまな壁を乗り越えて

 とはいえ、視覚障害クラスのトライアスリートには、競技を続ける上で直面する、いくつかの壁がある。

今年(2015年)横浜大会、PT5山田敦子とガイドの武友麻衣のバイクパート (写真:中村真人)

今年(2015年)横浜大会、PT5山田敦子とガイドの武友麻衣のバイクパート (写真:中村真人)

 一つは競技費用がかかること。ガイドと出場するため、遠征費などは多めにかかる。また、バイクパートで使用が義務付けられているタンデム車は、チェーンの構造などが一般車とは異なるため、ネジなどの部品も特注品となり、製造コストは高価になる。さらに、競技用としてより軽量な素材を使い、選手の体に合ったサイズにカスタマイズすれば、値段はもっと上がる。

 こうした費用をねん出するため、最近はクラウド・ファンディング(インターネットを介した募金活動)に挑戦する選手が国内外で増えている。

 また、タンデム車については、練習しにくいという問題もある。一般車より長い車体を二人で操り、カーブやコーナーを曲がる感覚をつかむには実走練習が欠かせないが、交通安全の観点から、ほとんどの自治体がタンデム車の一般道での通行を規制しているのだ。公園など乗れる場所もあるが、そこまでの移動にも車体の大きなタンデム車は苦労する。

5月17日・横浜大会エイジパラの部に出場した、長井敬司とガイドの田中相司のバイクパート (写真:中村真人)

5月17日・横浜大会エイジパラの部に出場した、長井敬司とガイドの田中相司のバイクパート (写真:中村真人)

 実際、日本人選手に聞いたところ、「バイクパートはほぼぶっつけ本番」というペアも少なくなかった。例えば、中澤選手は、「都内の道路ではタンデムは禁止なので、実走練習は河川敷や公園などで行うが、それも、月に1回できるかどうか。もう少し乗れたら、という思いはある。バイク練習は基本的に、スポーツジムの固定バイクで個人的に脚力や心肺機能の向上に努めることが中心になる。できることをやるしかない」と話す。

 自然環境を舞台にするトライアスロンは大会ごとにコース設定や気象条件が異なる。雨中のレースとなった今年の横浜大会を振り返り、山田選手は、「バイクはもともと練習不足で、特に雨の日の練習はできていなかった。滑りやすいので落車しないよう、私たちは慎重に漕いだ。でも、海外の選手は雨でもガンガン行くので、(経験の)差を感じた」と明かす。「でも、工夫すれば、乗る機会はもう少し増やせると思う。がんばりたい」と前を向く。

■出たくても、出られない大会事情

 日本国内では視覚障害の選手が出場できる大会が少ないという問題もある。近年、トライアスロン愛好者が増え、大会数も増えているが、まだパラトライアスロンの部が実施される大会は少ない。また、実施されても義足などの立位クラスだけで、視覚障害クラスや座位(車いす)クラスは除外されることが多い。また、パラトライアスロンとして実施されなくても、障害のある選手が一般競技者として出場できる大会もあるが、視覚障害選手の出場が認められることは少ない。

5月17日、エイジパラにはじめて盲ろうの選手が出場。スプリントディスタンンスをガイドとともに完走した中田鈴子とガイドの箱谷幸恵のフィニッシュ (写真:中村真人)

5月17日、エイジパラにはじめて盲ろうの選手が出場。スプリントディスタンンスをガイドとともに完走した中田鈴子とガイドの箱谷幸恵のフィニッシュ (写真:中村真人)

 それは、主に安全性が保障できないという理由による。ガイドとともに競技し、タンデム車を使うのでコース幅に十分なゆとりのない大会では、他の出場者との接触の危険性がある。また、ガイドがいても、段差や凸凹などが多いコースでは転倒などの危険性は否定できない。アクシデントを避けるため、主催者が予防線を張るのだ。


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 実は、日本にトライアスロンが広まりだした80年代には、状況はもっと厳しかった。「見えない人にトライアスロンは無理」という先入観とも戦わねばならず、日本人の視覚障害者としてトライアスリート第1号と言われる杉本博敬さん(故人)が大会出場を認められるまで、何度も交渉して数年かかったという。当時の状況について、杉本さんをガイドした、金城雅夫さんにお話を伺った。

金城雅夫さん。バイクメカニック。アイアンマン、トライアスロン出場経験を生かし、日本人の視覚障害者としてトライアスリート第1号と言われる杉本博敬さんとともに出場の機会を求めた。 (写真:佐々木延江)

金城雅夫さん。バイクメカニック。アイアンマン、トライアスロン出場経験を生かし、日本人の視覚障害者としてトライアスリート第1号と言われる杉本博敬さんとともに出場の機会を求めた。 (写真:佐々木延江)

 杉本さんは40代後半、病気による失明後、健康のために伴走者と走るようになり、国内外の大会に精力的に出場。「走る楽しさをもっと多くの視覚障害者に伝えたい」と日本盲人マラソン協会を立ち上げたのち、60代後半で「新しい挑戦を」と始めたのがトライアスロンだった。杉本さんはそんな人生を雑誌に寄稿し、偶然その記事を読んだ金城さんが雑誌社を通じて連絡をとる。金城さんは当時、ハワイ・アイアンマンレースの完走経験もあり、「何か役に立てるのでは」と思っての行動だったという。

 そんな風に出会った二人は85年頃からともに練習を積み、翌年、初めて国内の大会に出場を申し込む。ところが、「視覚障害の選手の参加は前例がない。ガイドがいても危険だ」という理由で、門前払いされてしまう。その後も、国内外の大会に申し込んでみたが、断られ続け、ようやくスタートラインに立てたのが88年、アメリカ・サイパンでの大会だった。ただし、接触などの危険回避のため、一般選手より10分遅れでのスタートという条件つきだった。

 この大会で、二人は無事に完走を果たし、視覚障害者でも的確なガイドがあれば、トライアスロンを安全に競技できるという実績をつくった。翌年には日本の大会でも出場がかなった。その後も、完走の実績を示し、地道に交渉することで、少しずつ出場できる大会を増やしていったという。

 金城さんはその後も、選手やコーチ、審判、バイクのメカニックなどさまざまな立場でトライアスロンと関わり続ける一方、杉本さん以外の視覚障害選手のガイドや、下肢障害選手のハンドラーを務めるなどパラトライアスロンとの関わりも深めている。

杉本さんと金城さんが使用したタンデムバイク。2013年の横浜大会で中澤選手が使用した。今も練習では現役で活躍中。 (写真:佐々木延江)

杉本さんと金城さんが使用したタンデムバイク。2013年の横浜大会で中澤選手が使用した。今も練習では現役で活躍中。 (写真:佐々木延江)

 杉本さんの大会初完走から25年以上が過ぎたが、「いまだに『見えない人には無理』と考える関係者もいて残念です。でも、少しずつ視覚障害に対する理解が進み、支援者も増えている。これからも、いろいろな大会に働きかけ、視覚障害者の競技環境を改善していきたい」と金城さんは熱く語った。

■選手がハッピーなら、私もハッピー

今年(2015年)6月のケイティ・ケリー選手とガイドのミシェリー・ジョーンズのフィニッシュシーン (写真:中村真人)

今年(2015年)6月のケイティ・ケリー選手とガイドのミシェリー・ジョーンズのフィニッシュシーン (写真:中村真人)

 今年の横浜大会で最も注目されたペアといえば、エリート女子を制した、オーストラリアのケイティ・ケリー選手とガイドのミシェリー・ジョーンズさんだろう。実は、ジョーンズさんは世界的に有名なトライアスリート。90年代に2度、世界選手権で優勝し、2000年シドニー五輪では銀メダルに輝く。45歳になった今でもエイジグループで競技をつづけ、トップレベルを維持している。そんな実績を買われ、ガイドに初挑戦するジョーンズさんが、ケリー選手とどんなレースをするかが注目されたのだ。

 はたして、二人はペアを組んで初めてのレースを優勝という最高の形で終えた。「雨のレースになり、特にバイクパートはMJ(ジョーンズガイド)にとってはチャレンジングだったと思う。でも、すべてうまくいった」とケリー選手が満足そうに振り返れば、ジョーンズさんは「たしかに、タンデム車はこれまでの(単独の)レースとは大きな違い。でも、ケイティが技術的な注意点を簡潔に教えてくれので、すぐに慣れた。レースで乗るのは初めてで、曲がり角でヒヤっとする場面もあったけど、大丈夫だった。ケイティが“ハッピー”である限り、私も“ハッピー”」とすでに息のあったところを見せた。

 ジョーンズさんはまた、「トライアスロンが人気のオーストラリアでも、パラトライアスロンはやっと注目されだしたばかり。でも、障害と向き合いながらアスリートとして高いレベルを目指すケイティは、すでに若者たちのロールモデルになっています。『彼女にできるなら、私にだってできるわ』って。そんなケイティをガイドすることで、私自身も刺激を受けています」とパートナーを称えた。この先、チームとしての経験値を高めたとき、二人はどんな強さを見せるのだろうか。

横浜大会、PT5・女子の表彰 (写真:中村真人)

横浜大会、PT5・女子の表彰 (写真:中村真人)

さて、パラトライアスロンはこの後、世界各地の大会を経て、9月中旬にアメリカ・シカゴで行われる世界選手権で今シーズンのファイナルを迎える。そして、来夏にはいよいよブラジル・リオデジャネイロでのパラリンピック・デビューが控える。世界各地から集まる視覚障害選手とガイドが織りなす「チーム力」にも注目したい。