パラリンピックスイマーとして20年にわたり挑戦を続けてきた鈴木孝幸(ゴールドウイン)。彼の思いと豊富な経験から生まれた、言わば「ポイント制によるインクルーシブ・スイム・チャレンジ」は、今年で2年目を迎え、2日間の大会へと拡大した。 競技力の向上と共生社会の実現、その両輪を回すチャレンジは、日本発の新たなスタンダードとなり得るのか。共生社会への確かな歩みとして、本大会をレポートする。

鈴木孝幸杯とは
12月6〜7日の2日間、東京アクアティクスセンター(サブプール)にて「鈴木孝幸杯 SWIM FES 2025」が開催された。これは、パラ水泳金メダリストの鈴木孝幸が企画・主催する短水路(25mプール)大会である。
本大会の最大の特徴は、パラ水泳界で国際的に採用されている「ポイント制」の導入だ。これは障害の種類や程度にかかわらず、世界記録を基準(1000ポイント)としてタイムを得点化し、勝敗を決めるシステムである。さらに本大会では、その対象基準をパラ水泳の世界記録(WPS=World Para Swimming)にとどめず、オリンピックの世界記録(WA=World Aquatics)にも広げた。これにより、健常者とパラアスリートが、障害の有無によらず同じ土俵でメダルや順位を競うことを可能にしたのだ。
昨年、横浜で開催された第1回大会の「198人・400エントリー」から始まり、今年は日程を2日間に変更。参加者は「369人・922エントリー」へと増加し、前回大会から大きく規模を拡大した。

大会を通じて、どんなことを共有したいのか。主催者の鈴木孝幸はこう語る。
「同じ水泳をやっている者同士での競い合いを楽しんでもらうこと、そこからいろんな『気づき』があると思います。それぞれが何かを発見して、そのことが水泳の面白さにも繋がっていけたら。一緒の空間にいて、そこで競い合っていくことで、お互いをより知ろうという気持ちになると思うので、それをこの大会のコンセプトにしています。そういったところが伝わったら嬉しいです」
これは、全てのスイマーへの提案でもある。
3つの「幻の世界新」が刻まれた

本大会はWPS(ワールドパラ水泳)の公認大会ではないため、世界記録を突破しても公式記録としては認定されない。しかし、そのパフォーマンスは間違いなく世界最高峰のものであり、「幻の世界新」として参加者の心に深く刻まれた。
今回、長水路(50mプール)でのパラリンピックメダリストたちが、短水路においてもその圧倒的な実力を見せつけた。 大会初日、山口尚秀(四国ガス)は、長水路・短水路ともに自身が世界記録を保持する男子100m平泳ぎ(Event 115)において59.97をマーク。これは従来のWPS短水路世界記録(1:01.27)を大きく更新するタイムだった。さらに2日目の200m平泳ぎ(Event 155)でも、従来の世界記録(2:20.29)を約10秒も上回る2:10.60という驚異的なパフォーマンスを披露。200mで叩き出した「1115ポイント」は、今大会最高のスコアとなった。「どちらかと言うと短水路が好き」と語っていた山口の言葉を裏付ける結果となった。


パリパラリンピック男子100m背泳ぎS8銀メダリストの窪田幸太(NTTファイナンス)も、大会初日の50m背泳ぎで29.77をマーク。WPS短水路世界記録(31.39)を上回るタイムで1019ポイントを獲得し、全体1位に輝いた。窪田はこの大会を「(100m背泳ぎの)後半15mの潜水技術(バサロキック)の課題に取り組む貴重な機会」と位置づけていた。予選から決勝にかけてその修正と実行を完遂したことが好記録へとつながった。「やりたいことができた」と手応えを口にした。
ハイレベルなインクルーシブ・バトル
本大会の醍醐味は、WA(世界水泳連盟)とWPSの世界記録をそれぞれ1000ポイントとして換算し、障害の有無やクラスを超えて順位を決定するポイントシステムにある。これにより、単純なタイム比較では見えない「競技の質」による真剣勝負が可視化された。

日本を代表するブラインドスイマー、木村敬一(東京ガス)、富田宇宙(EY Japan)、石浦智美(伊藤忠丸紅鉄鋼)らトップパラリンピアンも参戦し、健常者スイマーと同じ舞台で真剣勝負を繰り広げ、高得点をあげていた。鈴木孝幸が描くビジョンは、着実に理解され、広がりつつある。

10年ぶりの短水路での100m参戦だという石浦は、バタフライで自己ベスト(32.97)を更新、974ptの高得点をマークした。「短水路はフォームを固め、ターンの動作改善に取り組むのに良い機会」と手応えを語った。 また、来年に控える愛知・名古屋アジアパラ大会を見据え、「私のクラスはアジア勢が世界トップレベル。東京大会は無観客だったので、自国開催の大会で皆さんに見ていただき、恩返しができるよう泳ぎを磨きたい」と意気込みを見せた。
オリンピアン、パラリンピアンが溶け合い価値を育む
第2回大会では、パリオリンピック日本代表の眞野秀成(50m自由形4位)と松本信歩(100m平泳ぎ3位)が参戦。
今大会初日の女子100m平泳ぎ(Event 113)では、松本(Team Speedo/1:06.98・807 pts)と、パラリンピアンの芹澤美希香(宮前ドルフィン/SB14・1:16.61・987 pts)が同じプールで競い合った。ポイント制により順位は芹澤が上位となったが、松本は自己ベストを更新した。レース後、芹澤は「隣で泳いでいたけれど、すぐに見えなくなった。オリンピアンのオーラを感じた」とコメント。

身体障害、知的障害に加え、今大会初めて聞こえない・きこえにくい選手(デフスイマー)も出場した(デフスイマーには健常者と同じオリンピックのポイント基準(WA)が適用された)。
カテゴリーの垣根を超えたトップアスリートが集結。互いをリスペクトし合う空間が醸成された。タイムやポイントの勝ち負け以上に、異なる背景を持つスイマー同士が「お互いをより知ろう」とし、肌で実力を感じ合う機会となったことは、本大会が目指すインクルーシブ(共生社会)への実質的な貢献といえるだろう。

1位・田中映伍(東洋大学)S5 33.87 957pt、2位・日向楓(中央大学) S5 34.58 926pt、3位・窪田幸太(NTTファイナンス)S8 29.84 867pt 写真・秋冨哲生

1位・荻原虎太郎(SM8・あいおいニッセイ/パラリンピアン)404 pts、2位・久保大樹(SM10・KBSクボタ/健常・障害両方の立場でトップスイマー)403 pts、3位・池山允浩(本大会出場2回目の社会人スイマー・EY Japan)383 pts 写真・秋冨哲生
デフリンピアンを迎えてのトークショー
大会2日目には、オリ・パラ・デフという3つのカテゴリーが交差する象徴的なトークショーが行われた。登壇したのは、先月東京で開催されたデフリンピック女子50m平泳ぎ銀メダリストの久保南(大日本ダイヤコンサルタント)、主催者の鈴木孝幸、そして元オリンピアンの松田丈志氏だ。

話題は、多くの観客に応援されて行われた東京デフリンピックの熱気にも及んだ。それは、無観客という特殊な環境下で戦ったオリ・パラ日本代表にとっては、羨望の光景でもある。会場にいたパラスイマー・木村敬一も「東京開催で観客に囲まれたことは本当に羨ましい。メダルをとって周りの反応はどうでしたか?」と率直な問いを投げかけた。

また、オリンピアンの松田氏はオーストラリアを練習拠点とする久保に、海外と日本のインクルーシブな環境づくりの違いについて質問した。 久保は「日本ではスタートランプの使用に申請が必要だったり、趣味や娯楽(ジムなど)に公的な手話通訳派遣が使えなかったりとハードルが高い。一方オーストラリアではジムでも通訳制度が使える」と実情を語った。これを受け鈴木は「日本でも建物や仕組みをつくると同時に、人々の意識も変えていきたい」と思いを共有した。
デフリンピックでメダルを獲得した久保は、継続の成果を噛み締めつつ、すでに2年後のアジア大会へと目を向けていた。
持続可能な未来へ:第2回大会の成果と課題
1日開催から2日開催へと規模を拡大した鈴木孝幸杯。東京都水泳協会が共催に加わったことで、健常者スイマーにとっても公式記録として認定される大会へと進化した。これは、インクルーシブ・スポーツが単に「パラ選手のため」にあるのではなく、「すべての選手のための質の高い競技会」へと変貌を遂げようとしていることを意味すると感じる。

ポイント制を用いた「インクルーシブ大会」では、単純な速さでは勝てなくとも、「競技レベルの高さ」で対等に戦うことができる。日本全国、ひいては世界各地の水泳コミュニティにとって、全ての人が一緒に水泳を楽しめる可能性が開かれているのだ。
鈴木は、運営資金や役員の確保など規模拡大に伴う難しさを認めつつも、「サスティナブル(持続可能)に継続していくことが重要」と語る。「将来的には『うちでもやりたい』という広がりを期待している」と展望を述べた。

また、本大会が「短水路」にこだわる点にも注目したい。パラ水泳において短水路の公認大会は世界的に見ても少ない。シーズンの終わりと始まりにターン技術の向上など、選手が新たな課題にチャレンジしたくなる環境を提供することは、一人ひとりの競技力の底上げに直結する。

WPSとWAの世界記録を基準(1000ポイント)とし、その近似値で勝負を決めるシステム。世界ではワールドシリーズ等で導入が進むこの仕組みを、国内大会レベルで本格的に運用し、成功させた意義は大きい。 この日、東京アクアティクスセンターのサブプールには全国から369名の選手とともに水泳関係者・家族が集まり、鈴木の力強い思いに触れた。
「鈴木孝幸杯」は、日本のパラ水泳とそれを支える水泳界を通じて、スポーツ界全体が目指すべき「真の共生」と「競技性の追求」をグローバルな視野で推し進めるメッセージとして、新たな一歩を踏み出した。
<参考>
鈴木孝幸杯の公式情報はこちらの鈴木孝幸公式サイトよりご確認ください。
(写真取材・秋冨哲生 取材協力・川村翼)






