関連カテゴリ: インタビュー, コラム, ジャパンパラ水泳, 取材者の視点, 女子, 水泳 — 公開: 2020年9月13日 at 7:21 PM — 更新: 2020年10月5日 at 12:40 AM

引退をきめたパラスイマー・鎌田美希の夢に向き合う

人前では、パラ目指してます!って言いましたが、本当は「水泳が嫌いだしやめてしまいたい!」なんて思っていることは言えなかった……

立教大学へ進学、水泳部の仲間とともにしっかりトレーニング積んで実力アップしよう。そう決意したものの、思うようにエンジンは入らなかった。水泳をやめたいとすら思うようになっていた。

「入学(2016年)した時は『東京パラを目指します!』で入りましたが、1年の時は、目標とか、成長とか、何もなかったです。練習がきつく感じ、メンタルも厳しくなってきて、何度も親にやめたいって相談してたほどです。毎日イヤイヤ6000から10000メートルくらい泳いでいました」

2年(20歳)になり、大学水泳部のコーチとして再会した南雲雄治コーチに、「美希の今の目標は?」と問われたが、リオでは叶えられなかったパラリンピック出場の夢をまだ抱きながらも、「目標は東京パラリンピックです」とは言えない自分がいた。
「泳いでも、泳いでも、東京パラは見えなくなっていくなかで、自分はどこまで成長できるのか……」、そんな不安が大きかった。

転機!

「それでも、目標について、南雲コーチは熱心に尋ねてくれていました。そのうち、これは、東京を目指せば、より強力に水泳のサポートをしてもらえるかも……、それが強い自分への成長につながる、と。ついにダメ(パラリンピックに行けない)となったら、南雲さんのせいにしよう!(笑)ぐらいの気持ちで、勢いで、東京やります! って言ったんです」

下心もある決意だったが、それが、長いネガティブな気持ちから抜け出る転機となった。

「そう宣言したら、不思議なことに、それまでは渡されたメニューで強くなれると思っていたんですが、自分で考えていかないと強くなれない、誰も変えてくれない、と思うようになり、自然と練習に打ち込んでいきました。南雲コーチが自主性を大事に指導してくれたので、意見も言うようになって、前のように水泳が楽しくなってきた。

自分の成長に向き合い、一つ一つの大会で結果を出し、その最終結果として東京パラリンピックにつながればいいが、もう一度一人の大学生スイマーとして自分の成長に挑みたいという気持ちになりました」

それからの鎌田は、基本的に(自分の)日本新を更新するということが目標になっていった。

引退は次へのステップ。水泳は学生までの競技に

2018年10月のジャカルタ(インドネシア)でのアジアパラゲームズは、東京パラリンピック出場を目指すアジア地域のパラリンピアンにとって大きなチャンスとなった。日本代表も水泳からは46名が出場した。アジア記録をもつ鎌田には大きな見せ場となるはずだったが、手術が必要な蜂巣炎(たんそうえん)の治療で3月の選考会に欠場、出場はかなわなかった。

「東京パラリンピックに出るにはアジアパラに出ないと難しいと言われていました。そのために頑張っていましたが、実際はタイム的に難しいと感じていました。ショックはなく、むしろこの先、水泳選手として少しでも記録を出したいという気持ちがより強くなりました。東京をめざす気持ちは薄れていきました」

持ち前の「ストイック」「タフ」「ポジティブ」が本領発揮

2018年9月23日ジャパンパラ水泳競技大会、100m背泳ぎ

「入院で1ヵ月くらい泳げず、この先の不安もありましたが、こんなに落ちたら、あとは上げるだけ。久々にプールに戻って泳いだ時は、楽しかった。楽しんだ方がいいと思えました。入院で、あらためて競技を楽しむきっかけを掴んだと思います」蒲田の新たな価値観が醸成されていった。

パラ水泳界は東京パラリンピックで開催国としてメダル獲得を目標に据えた。鎌田は、引退時期を決めた

2019年3月。東京前最後となる世界選手権(ロンドン2019)の選考、パラ水泳春季記録会(2019年3月)は日本代表チームとして目指す東京での姿が明らかにされた。昨年のアジアパラへは46人もの日本代表が選出され東京を目指し遠征したが、今回選考されたのは14名だった。「東京で戦える集団にしたい」と日本代表チームを率いた峰村史世日本代表監督は選考の理由を述べていた。


この選考会に100m背泳ぎと100m平泳ぎで出場した鎌田は、両方の種目で派遣標準記録にとどかなかった。そして「来年(東京パラ選考会)で最後にしよう」と明確に引退時期を決意したという。

「世界との差が大きくなっていたことに、自分がついていけなかったことは引退を決意した理由の一つですが、それだけではありません。大学の部活の先輩が『引退』に向けて最後の最後まで取り組む姿がとてもカッコよかった。インカレ(大学選手権)表彰台を目指し戦っていた水泳部の同期生と話すようになってから、『引退』は次への心のステップで、全然悪いことじゃないんだなと思うようになったことがあります。自分も、学生までの競技として水泳を最後まで取り組みたいと思うようになりました」

参照
2019パラ水泳春季記録(=ロンドン世界選手権選考会)
https://www.paraphoto.org/?p=20244

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