
ヴェローナでの開会式の聖火セレモニー
<目次>
報告にあたって
はじめに
第1章 大会の概要と特徴
1-1 初の広域開催がもたらしたもの
1-2 過去最大規模の大会と世界の変化
第2章 イタリアが示した「分けない」スポーツ環境
2-1 パラリンピック・ムーブメントの成熟
2-2 オリ・パラ一元化モデルの実際
第3章 アクセシビリティの前進と限界
3-1 都市ミラノの整備が示したもの
3-2 山岳地帯が突きつけた現実
3-3 移動ルートと所要時間(関係者と観客)
<TC(Transport Connect):大会関係者の移動>
3-4 情報アクセシビリティの進展
第4章 競技の進化と「二刀流」アスリートの活躍
第5章 日本の現在地
第6章 インクルーシブへの取材実践
第7章 結論――スポーツは社会をどこまで変えられるか
第8章 ともにインクルーシブをめざす分野の接点を
提言
1 オリ・パラ連携を理念で終わらせず、制度として実装すること
2 教育・福祉・スポーツ行政の縦割りを越え、「最初から共に育つ」社会構造を築くこと
3 デジタルを活用し、参加の入り口を増やすこと
おわりに
パラフォト2026ミラノ・コルティナ取材プロジェクト 取材班
付録編
1、日々の足あと
2、現地発信
3、宿舎(ベースキャンプ)
奥付
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史上最多となる55カ国・地域が参加し、日本は銀3、銅1の計4個のメダルを獲得した。
チェアスキーの村岡桃佳は、温暖化で雪がざくざくに荒れたコルティナの難コースに復帰戦として挑み、2つの銀メダルを手にした。大会最終日、降雪のなかのスラロームではベテラン鈴木猛史が銅メダル。スノーボードでもキャプテン小栗大地が銀メダル、初出場の坂下恵里が入賞と、日本チームはそれぞれの舞台で力を発揮した。
世界に目を向ければ、熱量はさらに大きかった。ブラインドのイタリア選手がガイドを100%信頼して絶壁へ飛び込む姿が地元の観客を熱狂させ、オリンピックからパラリンピックへ舞台を移して金メダルをつかんだスノーボーダー、夏冬をまたいで挑むデュアルアスリートたち、中国の躍進。ミラノのパラアイスホッケーでは、イタリア vs アメリカ戦、決勝(アメリカ vs カナダ戦)では史上最多のチケットが販売数を記録した。——冬季パラスポーツは確実に、世界を広げていた。
2026年3月、パラフォト取材班はイタリアへ向かった。ミラノ、コルティナ、テーゼロ、ヴェローナ——アルプスと都市をまたぐ、パラリンピック史上初の広域開催だ。片道6時間の移動、始発列車を待つ早朝のミラノ中央駅、ヘアピンカーブの山道でドライバーが携帯で議論しながらハンドルを握るバス。取材は楽ではなかった。でも、その移動の連続のなかにこそ、見えてくるものがあった。
イタリアでは、オリンピックとパラリンピックの選手が同じスポーツクラブで、制度の区別なくトレーニングする。「最初から分けない」という考え方が、1970年代の医療・教育改革から約50年かけて社会に根づいてきた。それがこの大会の熱量と連帯を支えていたと感じる。
本書は、カメラマンの中村”Manto”真人とともに10日間歩いた記録だ。競技の結果だけでなく、街で困っている人に自然と手を差し伸べる市民の姿、有人・有料のトイレに見られる「支える仕組み」のあり方——インフラよりも文化がアクセシビリティを支えているという現実も描いた。
2025年10月、わが国では、パラリンピアンの河合純一がスポーツ庁長官に就任した。制度も社会も、変化の兆しを見せている。
本書が、その変化を後押しする一歩になれたら、と願っています。
スポーツを愛するすべての人へ。そして障害福祉や教育に関わる人へ。冬季パラスポーツの魅力を通じて、ともにインクルーシブ社会へと手を携えていけたら幸いです。







