
ゴール地点から見上げるキッカー(ジャンプ台)を、雪面を縫って滑り降りてきた選手が飛び越え、ゴールに進んでくる。時には対戦相手を突き放し、またはあわや接触しようかという接戦を展開しながら。これがこの競技の魅力でもある。
平昌パラリンピックは、3月12日、Jeongseon Alpine Centre(旌善アルペンセンター)にてスノーボードクロス競技が行われた。前回のソチパラリンピックでは、アルペンスキーの種目として実施されたが、今大会からスノーボードとして独立しての開催。ワンマンレースの予選を経て、2名で競われる決勝トーナメントによって順位が決する。
日本代表は成田緑夢(近畿医療専門学校/SB-LL2)、小栗大地(三進化学工業/SB-LL1)、山本篤(新日本住設/SB-LL1)の3名が出場した。成田は銅メダル獲得、小栗は準々決勝、山本は決勝トーナメント進出を果たした。
LL2クラス

予選をトップ通過した成田は決勝トーナメントを勝ち上がり、準決勝ではソチ大会の銅メダリスト、GABEL Keith(アメリカ)との対戦。リードを奪うも、中盤で転倒した。
「(気温上昇で)バーンが荒れていても(雪質が)そこまでユルくないだろう」という理由からアウトバーンを攻めた。しかし、実際にはアウトバーンも荒れており、転倒に繋がった。
前回覇者のSTRONG Evan(アメリカ)との争いとなった3位決定戦では、転倒したEvanを置き去りにした成田が終始安定した滑りを見せての銅メダル獲得であった。ワールドカップ年間総合王者として臨んだ今大会初レース。金メダル獲得の期待がかかっていたが、「メダルに重点は置いていなかった」と、本人の目標は別にある。
「常に“挑戦”をし続けることが今回の目標。今日も観ている人がドキドキワクワクするようなレースができたと思う。前回のメダリスト、先シーズンのシリーズチャンピオンが勢揃いしている舞台でトーナメントを勝ち上がることができた。トップクラスで争えている証拠」と話し、「完璧な銅メダル」と自身の滑りを評した。
今日の“挑戦”は「アウトサイドを滑ること」だったが、準決勝での転倒につながったことで、3位決定戦では方向性を微調整。アウトライン、ミドルラインと決めるのではなく、コンディションを踏まえた上でコースをチョイスした。「挑戦して失敗しても、それがデータになる」と、競技中でも進化を止めないのが成田の真骨頂だ。
初パラリンピック、初メダル。メダルセレモニー後「(障害を負った)怪我からここまで上がってきたというストーリーを発信する為に僕はスポーツをしている。このメダル獲得が、障害を持っている人が『もう一歩頑張れるんじゃないか』と思える様なきっかけになれば」と充実した表情を見せた。
LL1クラスはMike SCHULTZが優勝

成田の属するLL2クラスよりも先に実施されたLL1クラス。決勝トーナメントに進出した山本篤は、アメリカのMike SCHULTZと対戦した。
夏季パラリンピックではメダリストとして第一線で戦う山本だが、冬季競技はレース参戦後間もない。今シーズンは怪我にも悩まされていた。スタートすると、直後のウェーブでボードのエッジを取られて減速。序盤から大きく水を開けられての一回戦敗退となった。しかし、山本の表情は明るかった。

「ワクワクドキドキする1日、どちらかと言えばドキドキ。でも、日に日に上手くなっている自分がいて、手応えもあった。今の実力はこんなもの」と前を向く。夏季、冬季の二刀流で臨んだ今シーズン。平昌でのレースは「初めて出たパラリンピックの気持ちが蘇った」と“初・冬季パラリンピック”の初戦を振り返った。
準々決勝に臨んだ小栗大地は、前日の会見でも触れていたオランダのVOS Chrisとの対戦となった。序盤、背後に付け、「スキあれば抜いてやろうと思った」とチャンスを伺うが、なかなか抜きどころが見つからない。「最後のキッカーで並ぶくらいで行きたかったが、ちょっと追いつかなかった」。

今レースは、男子の決勝トーナメントに入ってから、スタートゲートの故障で競技が断続的に中断。小栗も1回戦時に、一度スタートを切ったものの相手のゲートが開かず再レースを強いられた。計約40分の中断を経て、人力によるゴム紐のスタートゲートを用いたアナログ方式となったが、中断中にも刻々とコースコンディションが変化し、小栗も「(レースへの)影響は正直、あった」と話していた。
スノーボードチームは3月16日、2つめの種目であるバンクドスラロームに臨む。
(パラフォト現地取材チーム/堀潤、佐々木延江、撮影・山下元気、中村”Manto”真人、翻訳・田中綾子 校正・そうとめよしえ)