
大会3日目(9月4日)に行われたエペでは準決勝で地元韓国のパク・チュンヒに敗れ、惜しくも銅メダルとなった。しかし、藤田が得意とするのはフルーレ。より上を目指すため、早朝よりコーチの指導を受け試合に臨む。

準決勝
6人総当たりのプール戦を1位で通過。順調に準決勝に進み、対戦相手はラトビアのディミトリス・ヴァライニスを迎えた。「尊敬するAlexander Plyaskinコーチと出会ったことで車いすフェンシングに出会った」という10年選手はこれまでの世界選手権で3つの銀と6つの銅を獲得している。金メダルを切望する2人の対戦は、藤田に軍配が上がった。

決勝戦


決勝戦ではイタリア代表のリーゴ・レオナルドと対戦。優勝候補のひとり、韓国のパク・チュンヒを準決勝で破って決勝に進出した。彼は前回(2023年10月)イタリアのテルニで開催された際のフルーレの世界チャンピオンでもある。
イタリアチームは選手とスタッフを常に大量に派遣する大軍団だ!この日もピストの前には大応援団が並び藤田にプレッシャーを与える。中でも首の損傷により2年間競技を休んでいるベアトリーチェ・ビオ(通称べべ)が大声でリーゴを応援。日本チームは試合が終了した選手やコーチはすでに帰国しているため、アウェイ感が否めない中で試合が進行した。

決勝戦は安定した試合運びで藤田が常にリードを保ち進んでいった。カテゴリーCはパラリンピックの種目にはない、障害のより重いクラスである。ワールドカップでもほとんど試合が開催されないため、藤田はこれまで格上となるカテゴリーBの中で戦ってきた。もちろん、体の状態の良い選手に勝つことは難しい。そこで藤田は、試合開始の合図とともに速攻をかけることでポイントを狙う戦略を使っていた。しかしそれは「アバンタレ」(「はじめ」の合図の前に動いてしまうイエローカード)につながる危険な作戦でもある。
これまでの試合でこの「アバンタレ」を大量生産してしまうこともあったが、この日の藤田は終始落ち着いた、無駄のない剣の運びで点数を重ねていった。結果は15対4で圧勝。見事優勝を決め、念願であった男子フルーレカテゴリーCの「ワールドチャンピオン」という称号を得た。

試合後の選手たち

金メダル決定後のインタビューでは、前回の世界選手権から今日まで、リーゴのことが頭から離れなかったこと、そして、常にサポートをしてくださる皆様と家族の支えへの感謝を述べていた。「アスリートがひとりで勝つことは不可能。そのことを常に感じている」という藤田。高校生からフェンシングを始め、怪我により車いすフェンサーになった現在も、フェンシングを通じた友人たちは常に力強いサポートを惜しまない。多くの人たちへの感謝の気持ちを、この「金メダル」という結果で伝えることができた。







かつてはヨーロッパ勢が優勢であった車いすフェンシング。近年、中国やタイ、韓国など強豪選手の台頭で、アジアの国々が注目されている。現在は世界に遅れをとっている日本チームだが、藤田の金メダルが日本に勢いを与える糸口になることを切望する。

大会が行われた益山(イクサン)市は、ソウル特別市の龍山駅からKTXで最速1時間4分。三国時代の百済の地で三十代王となった武王(薯童)の生まれ故郷。ソドン王子とソンファ王女の愛の物語を描いた韓国ドラマ「薯童謠(ソドンヨ)」の舞台でもある。7世紀に武王が建立したとされる弥勒寺趾には石塔が残り、2015年に世界遺産に指定された。歴史ある街で開催された車いすフェンシング世界選手権は成功裏に終了した。
(編集・校正 佐々木延江)






