
愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会の開幕まで半年を切り、開閉会式予算や観戦チケット、情報発信などに関する報道が相次いでいる。
オリンピック競技とパラリンピック競技では、競技規模も観客層も異なる。だからこそ、パラスポーツの観客を増やすことは、スポーツ振興であるとともに、質の高いまちづくりへの貢献でもある。
開閉会式予算の見直しやチケット価格、パブリックビューイングなど市民参加の取り組みをめぐる発表を見るたびに、私はアジアパラ大会の位置づけに違和感を覚える。
本稿は、個々の施策の是非を論じたり、誰かを批判したりすることが目的ではない。
ここで考えたいのは、スポーツ庁が愛知・名古屋2026に託す「東京2020パラリンピックのレガシー」、すなわち「共生社会の実現」という理念が、開催都市でどのように受け継がれているのかという点である。
約1年前から現在までに公表された記事や発表を振り返ると、予算や競技、チケット販売などについては数多く報じられてきた。しかし、日本がアジアの障害者スポーツの歴史の中で果たしてきた役割や、東京2020が社会へ問いかけた価値を、愛知・名古屋2026へどう引き継ぐのかという歴史的文脈は、十分に共有されていたとは言い難い。
「日本初開催」という言葉が見落としていたもの
現在の名称でアジアパラ大会が日本で初めて開催されるのは事実である。しかし、その表現だけでは、日本がアジアの障害者スポーツの発展に果たしてきた歴史的役割は見えてこない。
その原点は、1964年東京パラリンピックにある。この大会を契機に、日本では障害者スポーツを「医療・リハビリテーションの手段」から「競技スポーツ」として発展させようという機運が高まった。その中心にいたのが、大分県の医師で「日本のパラリンピックの父」と呼ばれる中村裕氏である。
中村氏は、イギリスのストーク・マンデビル病院で障害者スポーツを学び、帰国後に東京パラリンピックの開催に尽力した。しかし、当時の国際大会はヨーロッパや北米が中心で、アジアの障害者アスリートが継続的に競い合う舞台はほとんど存在しなかった。
そこで中村氏は、「アジアにも障害者スポーツの国際大会が必要だ」と考え、1975年、大分県別府市で第1回フェスピック大会(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会:Far East and South Pacific Games Federation for the Disabled)を創設した。さらに1981年には、世界で初めての車いすによるフルマラソン「大分国際車いすマラソン」をスタートさせ、日本から新たな国際大会を生み出していった。
フェスピック大会は1989年には神戸で第5回大会が開催され、そして2006年のクアラルンプール大会を転機に、IPC(国際パラリンピック委員会)傘下の「アジアパラ競技大会」となり、発展した。大分国際車いすマラソンは今も同地で継続し45回目を迎えており、近隣のアジア地域からも毎年多くの車いすランナーが世界に挑戦する場として定着している。「アジア地域のパラアスリートを育む」国として、日本にはそのマインドが根深く受け継がれているはずだ。
つまり、愛知・名古屋2026で開催されるアジアパラ大会は、単なる「日本初開催」ではない。1964年東京パラリンピックを契機に日本が種をまき、アジアへ広がった大会が、半世紀を経て日本へ戻ってくる大会でもある。
この歴史的経緯こそが、大会の意義を語る出発点になるべきではないだろうか。
東京2020が残したレガシー
東京2020パラリンピックは、競技大会であると同時に、日本から「共生社会」という理念を世界へ発信した大会でもあった。
開閉会式では、障害のある人を「支援される存在」としてではなく、自ら社会へ新しい価値を提示する主体として描いた。そのメッセージは国内外から高く評価され、日本が世界へ示した新しいパラリンピック像となった。
また、東京2020は競技の場にとどまらず、スポーツ政策を転換する契機ともなった。スポーツ基本法の改正や、障害者スポーツ行政の所管が厚生労働省から文部科学省へ移管されたのも、この流れのなかにある。2014年に批准された「障害者の権利条約」やインクルーシブ教育、現在進められている「部活動の地域移行」などを通じた地域づくりなど、スポーツを起点とした共生社会の実現へ向けた取り組みが全国で広がっている。
地域の役割は、東京2020で社会が獲得した価値観や制度、そして人々の意識の変化を、次の世代や次の大会へ受け継いでいくことである。
問われているのは「アジアパラ大会の位置づけ」
現在、愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会の開閉会式予算や観戦チケットの価格が発表され、その格差が明確となった。しかし、問題の本質は格差そのものではない。それら一つひとつの施策を通じて、アジアパラ大会をどのような国際大会として位置づけているのか、その姿勢が問われているのである。
スポーツ庁は、愛知・名古屋2026を「共生社会の実現」につながる大会と位置づけている。であるならば、アジア大会だけが成功すればよいということにはならないはずだが、愛知・名古屋ではその重要性が十分に伝わっているとは言い難い。
東京2020では、「パラリンピックの成功が東京2020の成功」という考え方が共有された。オリンピックとパラリンピックは異なる大会でありながら、一つの理念を世界へ発信する両輪として位置づけられたのである。
昨年(2025年10月)、パラリンピック金メダリストの河合純一氏がスポーツ庁長官に就任したことも、その理念を継承しようとする国の意思の表れと見ることができる。
愛知・名古屋2026でも、まず「アジアパラ大会の成功が大会全体の成功である」という認識が、大会運営、情報発信、市民参加を通じて共有されなければならない。それをベースにすることが、「共生社会」という理念を実践することである。
レガシーは、次の大会で証明される

東京2020は、新型コロナウイルス感染症の影響により無観客開催となり、多くの市民が現地でその理念を体感することはできなかった。アスリートにとっても、自国開催で観客の声援を受けながら競技するという夢は実現しなかった。
だからこそ、東京2020のレガシーは、まだ完成したとは言えない。
その真価は、愛知・名古屋2026で、多くの観客や市民とともに「共生社会」という理念を実践して初めて、その意義が証明される。
本稿で伝えたかったのは、予算やチケット価格の是非ではない。
オリンピック、パラリンピック、アジア大会、アジアパラ大会は、それぞれ競技規模や観客層は異なる。しかし、いずれもスポーツを通じて社会をより良くするという共通の使命を担っている。
1964年東京パラリンピックは、日本に障害者スポーツという新しい価値を根付かせた。そこからフェスピックが生まれ、日本はアジアの障害者スポーツを育み、東京2020では「共生社会」という理念を世界へ発信した。
愛知・名古屋2026は、その二つの歴史が交わる大会である。
約1年前から続く報道を振り返ると、日本がアジアの障害者スポーツの発展に果たしてきた役割、そして東京2020が残したレガシーという歴史的文脈は、十分に語られてきたとは言い難い。
だからこそ、今あらためて問いたい。
愛知・名古屋2026は、ただアジア最大のスポーツ大会を開催する機会なのか。それとも、半世紀以上にわたって積み重ねてきた日本のスポーツの歴史と、東京2020で世界に示した「共生社会」という理念を地域の未来へ受け継ぐ大会なのか。
「アジアパラ大会の成功こそが、愛知・名古屋2026全体の成功である」
この認識を開催都市、競技団体、メディア、市民が共有できたとき、東京2020が残したレガシーは初めて次の時代へ受け継がれる。それこそが、愛知・名古屋2026を前に、いま問われるテーマではないだろうか。
※この記事は、ヤフーニュース「エキスパートトピ」の記事の背景として書いたコラムです。
さらに、深掘りした記事を「日本初開催」ではレガシーは語れない」(note)に掲載しました。






