登壇したのは、総合プロデューサーの栗栖良依氏と、大会組織委員会会長の大村秀章愛知県知事。掲げられたコンセプトは「WABI(We Are Beautiful Individuals)」。日本語では「違うまま、一緒に」である。

栗栖氏は、「障害があるとかないとかに関係なく、一人ひとりにはそれぞれの強さや違いがある。それらを掛け合わせることで未来の可能性を開いていきたい」と語った。
一見すると、これは開閉会式のテーマである。しかし、その言葉が問いかけているのは、式典だけではない。愛知・名古屋大会が、アジアのパラリンピック・ムーブメントにどのようなレガシーを残すのかという問いでもある。
「WABI」──日本の美意識を、多様性へ
「We Are Beautiful Individuals」の頭文字を取った「WABI」は、日本の伝統的な美意識である「わび」と重なる。

大村会長は、「わび・さびは日本のお茶の心、日本人の心を表した言葉。日本らしく、愛知・名古屋らしい」と語り、「違うまま、一緒に」は大会コンセプト「IMAGINE ONE HEART(こころを、ひとつに。)」を日本語にしたような言葉だと評した。ひとつの心を掲げる大会コンセプトを、一人ひとりの違いから捉え直す。その意味で「違うまま、一緒に」は、「IMAGINE ONE HEART」をさらに一歩先へ進める言葉だと言えるだろう。
整ったものだけを美しいとするのではなく、それぞれ異なる存在を認め、その違いを価値として生かしていく。この再解釈こそが、「WABI」の核心である。
「見る式典」から「みんなで作る式典」へ

今回の式典の特徴は、市民参加型であることだ。
栗栖氏は、「これまで開会式は『見るもの』というイメージだったが、今回はみんなで作る式典にしたい」と語った。
象徴となる聖火台は、愛知の土を使い、愛知の職人と障害のある人・ない人、市民がともに制作する構想である。焼き物や織物など、愛知のものづくり文化を式典に取り込み、その制作過程そのものを「違うまま、一緒に」を体現する場にしたいという。
完成した式典だけではなく、その過程から市民が参加することに意味がある。
日本発アジアのパラリンピック・ムーブメント

この大会は「アジアパラ競技大会の日本初開催」と紹介される。
それは事実である。しかし、その言葉だけでは、この大会の源流が日本にあることは見えてこない。
1964年東京パラリンピックを原点に、日本の提唱で1975年に大分で始まった極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)は、アジアの障害者スポーツを育ててきた国際大会だった。それは医療・福祉、いわば「ケア」の時代の取り組みでもあった。
フェスピックは2006年のマレーシア・クアラルンプール大会を最後に幕を閉じ、2010年、IPC(国際パラリンピック委員会)のもとでアジアパラ競技大会へと生まれ変わった。この転換は、障害者スポーツが医療・福祉の文脈から競技スポーツへ、そして障害を個人の問題ではなく社会の側の障壁として捉える「社会モデル」へと歩んできた歴史そのものである。

愛知・名古屋大会は、その歴史を受け継ぐ第5回大会となる。そして、ケアの時代を担い、転換と再出発を見届けてきたフェスピックの人たちは、今もパラスポーツの現場に数多くいる。「日本初開催」の一言で歴史を語り終えるのではなく、その歩みを大会に巻き込んでこそ、愛知・名古屋はアジアのパラ・ムーブメントの正統な継承者になれるはずだ。
「ケアではなく共生」──クレーヴァン氏が示した方向性
2016年リオパラリンピックで、当時IPC会長だったフィリップ・クレーヴァン氏は、筆者のインタビューでこう語った。
「障害を持っている人のためにケアをする、これではいけない」
そして、
「どういう方でも、一つの社会に共生することができる、そのような社会を作り出すことが重要なのです」
と話した。

さらに、クレーヴァン氏はパラリンピックの魅力について
「人々を驚かせ、インスパイアさせ、エキサイトさせることができれば、世界を変えることができる」
とも語っている。
競技や式典を通して人々の認識が変わり、社会が変わる。その思想は、栗栖氏が語った「一歩先の未来を見せる場」という言葉とも重なっている。
リオから東京、そして愛知・名古屋へ
忘れてはならないのは、クレーヴァン氏がその言葉を語っていたリオ2016で、栗栖氏自身も東京2020へのフラッグハンドオーバーセレモニーの演出に携わっていたことである。

ロンドン2012でパラリンピックは世界の評価を大きく変えた。その流れをリオが受け継ぎ、東京が発展し、いま愛知・名古屋へとつながっている。
栗栖氏は2010年に骨肉腫で右足の機能を失い、その後、障害のある人とアーティストがコラボレーションする市民参加型アートプロジェクトを数多く手掛けてきた。ロンドン大会演出のジェニー・シーリー氏に師事し、リオ、東京を経て、今回初めてアジアパラ競技大会の総合プロデューサーを務める。
「アジアパラの成功」が大会全体の成功になるために
ロンドン2012では、「パラリンピックの成功こそがロンドン大会全体の成功だった」と語られるようになった。
パラリンピックは、オリンピックの付属イベントではなく、大会全体の価値を高める存在になったのである。
愛知・名古屋2026でも問われるのは、同じことではないだろうか。

東京2020は、コロナ禍のため無観客での開催を余儀なくされた。今回は違う。栗栖氏は「開閉会式はもちろん、競技会場もすべて満席のスタジアムで、アジア45の国と地域から集まる選手を迎えてほしい」と呼びかけた。9月19日から10月4日のアジア競技大会の後に開催されるアジアパラで、観客が競技を目の前で観戦し、驚き、選手の力を知る。その体験の積み重ねが、人々の認識を変えていく。
アジアパラ競技大会が成功したとき、それは単に式典が評価されたということでも、競技だけが成功したということでもない。
競技、式典、市民参加、ボランティア、運営――大会を構成するすべてが、「違うまま、一緒に」という理念を共有し、一つのメッセージとして社会へ届いたとき、初めて「アジアパラの成功が、愛知・名古屋2026大会全体の成功だった」と語られる大会になる。
「違うまま、一緒に」。
この言葉が大会期間だけのスローガンではなく、地域に残るレガシーとなるかどうか。その挑戦は、開幕100日前のこの日、静かに始まった。
(写真・秋冨哲生、校正・能津和雄)






