公開: 2026年7月13日 at 12時57分 — 更新: 2026年7月14日 at 7時55分

「違うまま、一緒に」──WABIが問いかける、アジアパラの新しいレガシー

知り・知らせるポイントを100文字で

「パラスポーツの大会の開閉会式は、ただのお祭りではない。一歩先の未来を皆さんにお見せする場だ」――。
愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会(10月18日開会式〜24日閉会式)の開閉会式演出コンセプトが7月12日、開幕100日前を記念するセレモニーで発表された。

登壇したのは、総合プロデューサーの栗栖良依氏と、大会組織委員会会長の大村秀章愛知県知事。掲げられたコンセプトは「WABI(We Are Beautiful Individuals)」。日本語では「違うまま、一緒に」である。

第5回アジアパラ競技大会(2026/愛知・名古屋)100日前セレモニーで、開閉会式の演出コンセプトが総合プロデューサー・栗栖良依氏(左奥)と、愛知・名古屋アジアパラ競技大会組織委員会会長・大村秀章愛知県知事(中央前)により発表された。写真中央奥・APC(アジアパラリンピック委員会)Tarek Souei CEO、右奥・広沢一郎名古屋市長、左手前・APC ・Majid Rashed会長、右前・日本パラリンピック委員会・三阪洋行委員長 写真・秋冨哲生

栗栖氏は、「障害があるとかないとかに関係なく、一人ひとりにはそれぞれの強さや違いがある。それらを掛け合わせることで未来の可能性を開いていきたい」と語った。
一見すると、これは開閉会式のテーマである。しかし、その言葉が問いかけているのは、式典だけではない。愛知・名古屋大会が、アジアのパラリンピック・ムーブメントにどのようなレガシーを残すのかという問いでもある。

「WABI」──日本の美意識を、多様性へ

We Are Beautiful Individuals」の頭文字を取った「WABI」は、日本の伝統的な美意識である「わび」と重なる。

東京2020パラリンピックのレガシーを愛知・名古屋へつなごうと、栗栖さんは、式典のスローガン「違うまま、一緒に」を発表した。 写真・秋冨哲生

大村会長は、「わび・さびは日本のお茶の心、日本人の心を表した言葉。日本らしく、愛知・名古屋らしい」と語り、「違うまま、一緒に」は大会コンセプト「IMAGINE ONE HEART(こころを、ひとつに。)」を日本語にしたような言葉だと評した。ひとつの心を掲げる大会コンセプトを、一人ひとりの違いから捉え直す。その意味で「違うまま、一緒に」は、「IMAGINE ONE HEART」をさらに一歩先へ進める言葉だと言えるだろう。
整ったものだけを美しいとするのではなく、それぞれ異なる存在を認め、その違いを価値として生かしていく。この再解釈こそが、「WABI」の核心である。

「見る式典」から「みんなで作る式典」へ

トーク形式で演出コンセプトを発表する栗栖氏(左)と、大村知事(右) 写真・秋冨哲生

今回の式典の特徴は、市民参加型であることだ。
栗栖氏は、「これまで開会式は『見るもの』というイメージだったが、今回はみんなで作る式典にしたい」と語った。
象徴となる聖火台は、愛知の土を使い、愛知の職人と障害のある人・ない人、市民がともに制作する構想である。焼き物や織物など、愛知のものづくり文化を式典に取り込み、その制作過程そのものを「違うまま、一緒に」を体現する場にしたいという。
完成した式典だけではなく、その過程から市民が参加することに意味がある。

日本発アジアのパラリンピック・ムーブメント

3年前にコロナ禍で開催された杭州2022アジアパラ(2023年)の閉会式 写真・中村 Manto 真人

この大会は「アジアパラ競技大会の日本初開催」と紹介される。
それは事実である。しかし、その言葉だけでは、この大会の源流が日本にあることは見えてこない。
1964年東京パラリンピックを原点に、日本の提唱で1975年に大分で始まった極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)は、アジアの障害者スポーツを育ててきた国際大会だった。それは医療・福祉、いわば「ケア」の時代の取り組みでもあった。
フェスピックは2006年のマレーシア・クアラルンプール大会を最後に幕を閉じ、2010年、IPC(国際パラリンピック委員会)のもとでアジアパラ競技大会へと生まれ変わった。この転換は、障害者スポーツが医療・福祉の文脈から競技スポーツへ、そして障害を個人の問題ではなく社会の側の障壁として捉える「社会モデル」へと歩んできた歴史そのものである。

2023年10月29日、杭州アジアパラ閉会式で愛知・名古屋2026大会を紹介する映像が流れた 写真・中村 Manto 真人

愛知・名古屋大会は、その歴史を受け継ぐ第5回大会となる。そして、ケアの時代を担い、転換と再出発を見届けてきたフェスピックの人たちは、今もパラスポーツの現場に数多くいる。「日本初開催」の一言で歴史を語り終えるのではなく、その歩みを大会に巻き込んでこそ、愛知・名古屋はアジアのパラ・ムーブメントの正統な継承者になれるはずだ。

「ケアではなく共生」──クレーヴァン氏が示した方向性

2016年リオパラリンピックで、当時IPC会長だったフィリップ・クレーヴァン氏は、筆者のインタビューでこう語った。
「障害を持っている人のためにケアをする、これではいけない」
そして、
「どういう方でも、一つの社会に共生することができる、そのような社会を作り出すことが重要なのです」
と話した。

2016年9月17日(現地時間)ジャパンハウスで行われたレセプションでインタビューに応じるIPC・Philip Lee Craven会長。リオを最後に会長職は現在のアンドリュー・パーソンズに代わり昨年(2025年)まで日本でトヨタ自動車のアドバイザーを務めた。 写真・佐々木延江

さらに、クレーヴァン氏はパラリンピックの魅力について
「人々を驚かせ、インスパイアさせ、エキサイトさせることができれば、世界を変えることができる」
とも語っている。

競技や式典を通して人々の認識が変わり、社会が変わる。その思想は、栗栖氏が語った「一歩先の未来を見せる場」という言葉とも重なっている。

リオから東京、そして愛知・名古屋へ

忘れてはならないのは、クレーヴァン氏がその言葉を語っていたリオ2016で、栗栖氏自身も東京2020へのフラッグハンドオーバーセレモニーの演出に携わっていたことである。

リオ2026パラリンピック閉会式の演出で披露されたダンス・パフォーマンス。栗栖さんが東京2020にむけて描いた10年前の舞台。 写真・中村”Manto”真人

ロンドン2012でパラリンピックは世界の評価を大きく変えた。その流れをリオが受け継ぎ、東京が発展し、いま愛知・名古屋へとつながっている。
栗栖氏は2010年に骨肉腫で右足の機能を失い、その後、障害のある人とアーティストがコラボレーションする市民参加型アートプロジェクトを数多く手掛けてきた。ロンドン大会演出のジェニー・シーリー氏に師事し、リオ、東京を経て、今回初めてアジアパラ競技大会の総合プロデューサーを務める。

「アジアパラの成功」が大会全体の成功になるために

ロンドン2012では、「パラリンピックの成功こそがロンドン大会全体の成功だった」と語られるようになった。
パラリンピックは、オリンピックの付属イベントではなく、大会全体の価値を高める存在になったのである。
愛知・名古屋2026でも問われるのは、同じことではないだろうか。

100日前イベントは、名古屋市のオアシス21で開催された。立体的な庭園で栄駅に隣接し市民が行き交っていた 写真・秋冨哲生

東京2020は、コロナ禍のため無観客での開催を余儀なくされた。今回は違う。栗栖氏は「開閉会式はもちろん、競技会場もすべて満席のスタジアムで、アジア45の国と地域から集まる選手を迎えてほしい」と呼びかけた。9月19日から10月4日のアジア競技大会の後に開催されるアジアパラで、観客が競技を目の前で観戦し、驚き、選手の力を知る。その体験の積み重ねが、人々の認識を変えていく。

アジアパラ競技大会が成功したとき、それは単に式典が評価されたということでも、競技だけが成功したということでもない。

競技、式典、市民参加、ボランティア、運営――大会を構成するすべてが、「違うまま、一緒に」という理念を共有し、一つのメッセージとして社会へ届いたとき、初めて「アジアパラの成功が、愛知・名古屋2026大会全体の成功だった」と語られる大会になる。

「違うまま、一緒に」。

この言葉が大会期間だけのスローガンではなく、地域に残るレガシーとなるかどうか。その挑戦は、開幕100日前のこの日、静かに始まった。

(写真・秋冨哲生、校正・能津和雄)

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