
水泳には、命を守ることにとどまらない大切な価値がある。
競い、学び、楽しむこと。年齢や障害の有無を問わず、同じ水面で出会い、一人の競技者として成長していくことである。
その実践が、横浜国際プールで5年間積み重ねられてきた「インクルーシブ水泳競技大会」である。7月11、12日に開催された第5回大会には、744人の選手がエントリーした。
インクルーシブ水泳は「一緒に泳ぐ大会」ではない
744人の内訳は、日本水泳連盟登録選手461人、日本知的障害者水泳連盟登録選手189人、日本パラ水泳連盟登録選手29人、日本デフ水泳協会登録選手10人、マスターズ55人。さらにリレー10チームが出場した。
この数字だけでも、国内では珍しい大会であることが分かる。
だが、この大会の特徴は参加人数だけではない。障害の有無にかかわらず、同じ競技者としてスタート台に立ち、真剣に競い合うことにある。
世界を目指すパラリンピアンの隣を大学生が泳ぐ。日本代表経験者と小学生が、同じプールでウォームアップをする。
それを支えている仕組みの一つが、ポイント制である。

順位は、単純な着順だけでは決まらない。競泳とデフの選手にはWorld Aquatics(WA)、パラ水泳の選手にはWorld Para Swimming(WPS)のポイントが用いられ、それぞれの記録が世界水準にどれだけ近いかを数値化する。
異なるクラスや競技条件をすべて同じものとして扱うのではない。それぞれの基準に照らして到達度を示し、一つのランキングに並べる仕組みである。
表彰もポイント順に行われる。パラの選手と競泳のトップスイマーが、同じ表彰台に並ぶ。
競泳大会にパラの枠を「設ける」のでもなく、障害者水泳大会に競泳選手を「招く」のでもない。同じ大会の競技者として泳ぎ、表彰台に立つ。この大会の考え方は、その光景に凝縮されている。
S10クラスの南井瑛翔(先天性左足首欠損/トヨタ自動車)は、ポイント制を自らの世界での現在地を測るものとして捉えている。

「ポイントシステムでは、知的障害のS14クラスの選手が速い。そこに割って入るくらいまでいけると、世界でのメダルも見えてくる」
決勝は、ポイントを基にした編成が採用されるため、障害の有無にかかわらず、世界水準への近さが近い選手同士が同じレースを泳ぐ。
「普段のパラ大会では、僕のクラスに自分より速い国内選手がいない。大学生と泳げると引っ張られるので、すごく泳ぎやすい。ポイント順で決勝を組んでくれるのは、いい方法だと思います」
パリ2024パラリンピック男子100メートル背泳ぎ銀メダリストの窪田幸太(NTTファイナンス)も、その価値を語る。

「クラスによっては、パラの大会だけでは接戦になることが少ない。年齢を問わず、同じようなタイムで隣を泳いでくれる選手がいるのは、僕らパラ水泳の選手にとっていい刺激になります。そういう選手たちに負けないようにやっていきたい」
インクルーシブ水泳の意義は、単に「誰でも参加できる」ことではない。違いのある選手が、競技者として互いを認め合う文化を育てることにある。
近年は「鈴木孝幸杯」をはじめ、インクルーシブ水泳の取り組みが日本各地で少しずつ始まっている。その先駆けの一つとして、横浜国際プールでは5年間にわたり大会が続けられてきた。
世界へ向かう代表たちの舞台になった横浜
今年の第5回大会は、もう一つの顔を持っていた。

パラ水泳日本代表にとって、代表チーム結成後、初めてチームとして活動する場となったのである。
8月には米国カリフォルニア州でパンパシパラ競技大会、10月には自国開催の愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会が控える。
上垣匠監督は今大会について、「トレーニングレースという形を取りながら、スタッフと選手のシミュレーションも加え、チームづくりを進めている」と説明した。
選手たちは味の素ナショナルトレーニングセンター・イースト(NTCイースト)から、横浜国際プールまでバスで移動した。宿舎から競技会場へ移動するアジアパラ本番を想定したリハーサルでもある。
視線はさらに先へ延びている。
屋外プールで行われるパンパシパラは、同じカリフォルニア州で開催されるロサンゼルス2028パラリンピックへの「シミュレーション」と位置づけられている。
昼夜の寒暖差や強い日差しへの対応を検証するため、日本代表の一部はラスベガスで事前合宿を行ってから大会地へ入り、残る選手は直接現地入りする。二つのグループの結果を比較し、ロサンゼルスへの準備に生かすという。
世界へ向かう代表選手が、競泳選手や育成年代の選手と同じ水面で競う。その環境から、今大会ならではの記録が生まれた。
山口尚秀――競り合いが生んだ「世界新相当」

男子100メートル平泳ぎで、知的障害SB14クラスの山口尚秀(四国ガス)が、自身の世界記録を0秒4上回る1分2秒13をマークした。
今大会はWPS公認大会ではないため、世界記録としては認定されず、日本新記録として扱われた。それでも、現行の世界記録を上回る「世界新相当」の泳ぎである。
「力むことなく、スムーズに重心移動ができた。それが記録につながった」
コンディションは自己採点で90点。前半をさらに速く入り、次の公認大会で記録を更新することを見据えている。
この記録が、競泳選手との真剣勝負のなかで生まれたことも大会を象徴する。
山口は、この大会に臨む思いを前日にこう話していた。
「ポイントだけではなく、記録の面でも、健常者と対等というか、近いタイムを出していけたら」
ポイント換算による対等さにとどまらず、実際のタイムでも競り合いたい。ポイント制が用意した土俵の、さらに先を目指す競技者の言葉である。
上垣監督も、「この大会は山口の目指すものに合っている。レースを楽しんでいるのが見える」と評価した。
山口が更新したのは記録だけではない。競泳選手と同じレースを泳ぎ、競り合う環境が、世界記録を上回る泳ぎを引き出した。それは、この大会が5年間積み重ねてきた価値でもあった。
荻原虎太郎――23歳のキャプテン、結果で引っ張る

今大会のもう一人の主役が、23歳で日本代表キャプテンに選ばれた荻原虎太郎(右上下肢機能障害/あいおいニッセイ同和損保)である。
パンパシパラとアジアパラの二つの大会で日本代表を率いる。
就任後初めての実戦となった今大会では、200メートル個人メドレーと50メートル背泳ぎの予選、決勝に出場し、4レースすべてで自己ベストを更新した。
「キャプテンに就任して、責任感と自信がついた」
好調の背景には、練習環境の変化もある。
今年1月、練習拠点を順天堂大学からNTCイーストへ移した。岸本太一ヘッドコーチのもと、鈴木孝幸、木村敬一ら、世界で実績を残してきた選手と日常的に練習する環境へ飛び込んだ。
「この半年は、多分、プールサイドに一番長くいたと思います」
1月から体重は6キロ減った。
「食事制限をしたわけではなく、練習がきつくて自然に絞れた。今はすごく健康的に水泳に取り組めています」
目指すリーダー像を問われると、荻原はこう答えた。

「僕は23歳でまだ若いので、若さ全開でガンガン引っ張りたい。下の選手がやりやすいチームになれば、記録も出てくると思います」
メディアへ積極的に出ることも、キャプテンの役割だと考えている。
上垣監督は、「練習環境を変えてから、チーム全体を前向きに引っ張る役割を担っている。何より、パフォーマンスで示せることが一番の説得力」と、荻原を推薦した理由を説明した。
水泳は個人競技である。その一方で、代表活動では、一人ひとりが力を発揮するための「チーム」をつくる必要がある。
その挑戦が、横浜から始まった。
「彼自身が言葉」――世代をつなぐ代表チーム
荻原にベテラン選手から学んでいることを尋ねると、印象的な答えが返ってきた。
「木村さんは……『彼自身が言葉』なんです」
特別な言葉で助言されたわけではない。
疲労があっても練習に来る姿。高強度のメニューをこなしながら、追い込まれた若手に声をかけ、いるだけで場を和ませる存在感。そのすべてが、若いキャプテンの教材になっている。
鈴木孝幸からは、厳しい持久系のメニューでも設定タイムを外さない姿勢を学ぶ。
「あの年齢で、僕らと同じ高強度の練習を毎日こなしている。そういう人たちがいるのに、自分が頑張らなかったらおかしいじゃないですか」
木村敬一は35歳。東京2020、パリ2024の2大会で金メダルを獲得してきた、日本パラ水泳を代表する選手である。
12日の男子50メートルバタフライでは、狙っていた27秒前半となる27秒21を記録し、日本記録を約0秒5更新した。

自己評価は80点。
「伸びしろはもう少しありそうですけど、残しておかないと、やめてしまいそうなので」
報道陣を笑わせた。
現在は、パリ大会までに完成できなかった腕の動作改善に、オリンピックメダリストの星奈津美コーチと取り組んでいる。
「リカバリーで肘が曲がり、肩周りに力が入っていた。力を入れなくてよいところは抜き、その分、入水後すぐに水を捉える」
星コーチによると、予選から決勝でストローク数は減りながら、タイムを大きく上げた。

「効率のよい泳ぎができている証拠です」
男子50メートルバタフライの最終的な目標を問われた木村は、こう答えた。
「視覚障害の選手は、身体的には健常者に近いパフォーマンスを出せる身体をしているはずです。そう考えると、どこまでも行ける可能性がある。『この辺まで』とは決められません」
世代のつながりは、さらに若い選手へ続いていく。
男子400メートル自由形で自己ベストを更新した15歳の山田龍芽(S6/宮前ドルフィン)は、鈴木孝幸について、「本当に日本代表のオーラが伝わってくる。真似をして、自分の泳ぎにつなげたい」と目を輝かせた。

鈴木は、「順調にタイムを伸ばしている、ポテンシャルのある選手。目標にしてくれるなら、それに応えられる選手でいたい」と受け止める。
荻原についても、「彼の前向きな姿勢から、自分も学ぶところがある」と語った。
木村から荻原へ、荻原から山田へ。
ベテランが若手を育てるだけではない。若手の姿勢がベテランを刺激する。そんな循環が、日本代表チームに生まれ始めている。
結果ではなく、現在地
39歳の鈴木孝幸(四肢欠損/ゴールドウイン)は、今シーズンのピークをアジアパラに置く。

「50メートル自由形は、まだ泳ぎが固まっていない。100メートルは前半が非常に良かった一方、後半にピッチを上げた状態で泳ぎ切る体力が、まだ戻っていない」
今後は有酸素系のトレーニングで体力を積み、その後、徐々にスプリント系へ移行する。
冷静な自己分析は、今大会をあくまで国際大会への通過点として泳ぐ代表選手の姿勢を示している。
窪田も同様である。パリ大会以降、試行錯誤してきた泳ぎを「レースという形で試すことができた」と振り返った。
複数種目を強化レースと位置づけ、アジアパラでは100メートル背泳ぎの2連覇を目指す。
女子では、石浦智美(S11・全盲/伊藤忠丸紅鉄鋼)が50メートル自由形を予選30秒00、決勝29秒88で泳いだ。
両足の疲労骨折からの回復を進めるなか、懸垂とピラティスで上半身の筋力と身体感覚を磨いてきた。

「調整はしていません。トレーニングの中で、どれだけ出せるか」
アジアパラで中国勢に競り勝つためには、「29秒半ばから前半が絶対に必要」と照準を定めている。
若手選手も、この2日間を成長の場としていた。
パンパシパラ代表入りを逃した川渕大耀(S9・左足切断/NECグリーンSC溝の口)は、男子100メートル自由形で日本新記録をマークし、復調を印象づけた。
「結局、僕はロサンゼルスだと思っている。一つ一つの大会を大切にしていきたい」
田中映伍(S5・両腕欠損/東洋大学)も日本新記録を更新した。
クラスがS13からS12に変更された齋藤元希(弱視/スタイル・エッジ)は、背泳ぎの予選、決勝をともに1分4秒台でまとめた。アジアパラでの背泳ぎと個人メドレーの金メダルへ、手応えをつかんでいる。
南井は、NTCからのバス移動をアジアパラのシミュレーションと捉えた。予選ではウォームアップ時間が短くなった影響もあったが、決勝ではタイムを約4秒縮め、修正力を示した。
競い、学び、楽しむ――文化としてのインクルーシブ水泳
競い合うことで育つのは、パラの選手だけではない。
大会史上最多となった障害のない競泳選手も、それぞれの目標に挑んでいた。

「予選と決勝の2本目でタイムを上げるつもりでしたが、届かず悔しいです」
そう振り返るのは、競泳の日本代表経験を持つ栁沢駿成(アクアプロダクト)である。
「僕はすべての大会を頑張ると決めています。泳ぎやすい、いいプールなので、ベストを出したかったというのが本音です」
今夏の代表入りは逃したが、「冬、そして来年と、出場の可能性がある大会へ挑戦していきたい」と前を向いた。
その悔しさは、ここが交流だけを目的とした場ではなく、真剣勝負の大会であることを示している。
神奈川大学の小畠優々美は、調子が上がらないシーズンのなかでも、「その中では一番速いタイムで泳げた」と収穫を語った。
第一の目標はインカレでの自己ベスト更新である。
「その通過点として、この大会があります」
世界へ向かうパラ水泳日本代表と同様に、小畠も自分のシーズンの中にこの大会を位置づけていた。
パラ選手と同じ大会で泳いだ印象については、こう答えた。

「普段の大会とは少し違う雰囲気がありました。パラ水泳の世界で日本記録をたくさん出している選手がいて、『自分の知らない世界で泳いでいるけれど、同じ水泳をしている仲間』だと身近に感じました。こういう環境は普段あまりないので、新鮮ですし、いい刺激になります」
小畠は、幼い頃から横浜国際プールで泳いできた地元選手でもある。
「高校生の時に、すごくいいタイムを出した思い出があります」
「自分の知らない世界で泳いでいる、同じ水泳をしている仲間」。
「インクルーシブ」という言葉を使わずに、小畠はその本質を表現した。
石浦は今大会で、小中学生と同じ組を泳いだ。

「マスターズの年代でも、私と同じくらいのタイムで泳いでいる人がいる。そういう意味でも、この大会はモチベーションになります」
パラ水泳の競技機会はもともと多くなく、公認記録を残せる大会は限られる。だからこそ、真剣に競える場の価値は大きい。
「今日は緩くいこう、ということはありません。いつも全力で泳ぐのが私のポリシーです」
大会の変化を、鈴木はこう見ている。
「第1回はパラの選手が多かったけれど、競泳の選手が非常に増え、大会全体のレベルが上がってきています。お互いを知る機会にもなる。プールがなくなったり、学校の水泳授業が少なくなったりしているなかで、一緒に大会を開き、水泳の機会があることは非常にいいと思います」
命を守るために水泳が必要であることは、多くの人が共有している。発足した水泳議員連盟も、「水難事故ゼロ」を主要な目標として掲げる。
そのうえで、水泳にはさらに広い価値がある。
競い合うこと。学び合うこと。水を楽しむこと。そして、違いのある人と同じ場所で成長できることである。
5年目の挑戦

インクルーシブとは、障害を意識しないことではない。
異なる身体、年齢、競技経験を持つ人が、それぞれの違いを認めながら、同じ競技者として水面に立てる環境をつくり続けることである。
744人が泳いだ横浜国際プールでは、その挑戦が5年間積み重ねられてきた。
そして今年、この大会は、パンパシパラ、愛知・名古屋アジアパラ、さらにロサンゼルス2028へと向かう日本代表の強化の場にもなった。
参加者が増えたことで、競技進行の遅れや会場内の混雑など、新たな運営上の課題も見えた。多様な選手が集まることを成果とするだけでなく、その多様性を安全かつ円滑に受け止められる大会へ進化できるか。5年目の挑戦は、次の段階に入っている。
一つの大会を支えているのは、競技運営だけではない。
選手、コーチ、介助者、競技役員、ボランティア、家族、観客が築いてきた「競い、学び、楽しむ」という文化そのものが、違いを持ちながら、ともに成長できる場をつくっているのである。
(取材協力:日本パラ水泳連盟、横浜国際プール/写真:秋冨哲生、Mieko KAWAKAMI)
※本記事は、「まちをつくるアスリート CASE 1:横浜国際プール再整備問題」の取材・研究の一環です。






