
「うなぎ屋さんのタレ」——。スタジアムのアクセシビリティを語り合う場で、そんな言葉が飛び出した。
イングランド2部、ワトフォードFCのスタジアムは築100年を超えている。日本サッカー協会(JFA)経営企画部の岩田朋之氏は、そこを訪ねたときのことをこう語った。
「ぼろぼろなんです。でも、ここに新しくセンサリールームを作ったり、エレベーターも作った。バリアフリーのトイレも新たに作った。『うなぎ屋さんのタレ』じゃないですけど、継ぎ足していく感じで、じつに味わい深いスタジアムなんです」
2026年8月1日、ヨコハマ・フットボール映画祭で開かれたトークイベント「アクセス・フォー・オールをご存知ですか?2 〜観戦アクセシビリティ〜」。この一言は、90分のあいだに登壇者から登壇者へ手渡され、最後は司会者の閉会の辞にまでたどり着いた。
ところで、「アクセス・フォー・オール」とは何だろうか。耳慣れない言葉かもしれない。
JFAが2024年4月に発表した宣言の名である。Jリーグをはじめとする各リーグ、9地域47都道府県サッカー協会などとともに、サッカー界が足並みをそろえて掲げた。誰もがサッカーを「する」「見る」「関わる」ことにアクセスできる——そのための多様な「機会」と「選択肢」を、持続的に確実に届けていく、という約束だ。
対象は障害のある人に限らない。女子、LGBTQ+、在留外国人、貧困問題も含まれている。そして「する」だけでなく「見る」、つまりスタジアムで観戦することも、はっきりと射程に入っている。
昨年に続く2回目となるこの日のテーマが、その「見る」だった。
登壇したのは岩田氏のほか、建築家でスタジアムを専門に手掛ける日本女子体育大学教授の上林功氏。進行役は桐蔭横浜大学大学院教授で、JFAアクセス・フォー・オール ワーキンググループのリーダー、日本障がい者サッカー連盟(JIFF)理事の日比野暢子氏が務めた。
「見る」が当たり前ではなくなった日
岩田氏はロービジョンフットサルの現役選手でもある。世界選手権に5度出場し、うち4度は日本代表のキャプテンを務めた。
もともとスタジアムで観戦するのは日常だった。小学校2年生でジーコの引退試合を見た少年は、高校からの親友と代表戦に通うサッカー好きな大人になった。転機は2012年、病気の影響による視覚障害の発症だった。
「じゃあ、ここでいつも通り会おう、それができない。飲み物買いにとかトイレに行って戻ろうとすれば、また戻れるかな……。試合が始まったら、見れるのだろうかと」
それは座席だけの問題ではなかった。家を出てから帰るまでの連続したスタジアム体験――岩田氏の言葉では「ジャーニー」――のどこにでも、途切れる箇所があった。
2013年にロービジョンフットサルを始め、大学院でアダプテッド・スポーツを学び、理学療法士の資格も取得した。2019年にJFAへ入局してからは、「アクセス・フォー・オール宣言」の実装にも携わり、障害のある人を含めた多様な人たちがサッカーを楽しめる環境づくりを進めている。
この日の冒頭で上映された2本の映像も、その取り組みの一つだった。1本は日本代表監督・森保一氏が「声かけ」の大切さを語るもの。もう1本は視覚障害者席の案内映像である。
岩田氏によれば、この2本はいずれも「目をつぶっていても、目が見えない人でもわかるような」設計になっている。啓発映像そのものがアクセシブルにつくられていた。
2024年からは、JFAパートナー企業の支援を受け、「JFAインクルーシブプログラム」として仕組み化された。視覚障害のある人や車いすユーザーが選手・審判とともに入場するプレマッチセレモニーもその一つだ。
「サッカーの力で、一歩踏み出したり、行動が変われば、と」
「その質問の意味がわからない」
2026年3月末から4月初旬にかけての約2週間、岩田氏はJIFFの英国調査にJFA職員として同行した。訪問先の調整は、旧知のスティーブ・デイリー氏に頼んだ。イングランド代表として長くキャプテンを務め、現在はイングランドサッカー協会で働く、岩田氏と同じロービジョンフットサルのアスリート当事者である。
まず、プレミアリーグのクラブにDAO(Disability Access Officer=障害のあるファン・サポーターに対応する担当者)が配置され、障害のあるファンを支える体制が整っていた。
岩田氏の印象に残ったことは三つあった。
一つは文化の違いである。「障害のある人が観戦することについてどう思うか」と尋ねると、「(あたりまえすぎて)質問の意味がわからない」という反応が返ってきた。
二つ目は、その前提を支える日常だった。家族でスタジアムへ行き、試合の90分前後も食事をしながら語り合う時間まで含めてフットボール文化になっていた。
三つ目は公平性の実践である。センサリールームだけでなく、介助者と一緒に最重度の人も使用できるチェンジングルーム(更衣室)まで備えられていた。
AFCウィンブルドンでは、DAOのアマンダ氏が障害のあるファン全員の名前を覚えていた。加えて、電動車いすを使う18歳の女性は、試合を楽しむことより、どうやらマスコット・キャラクター目当てに来ているようだった。父親と安心してスタジアムでの時間を楽しんでいた。
ここで、観戦のための設備、座席やトイレから、話題は「スタジアムをどう育てるか」という考え方へ移っていく。
築20年で、建物の価値が上がる
この報告を受け、スタジアム建築家でもある上林氏は英国の建設会社で聞いた言葉を紹介した。
「築20年とか30年と経た建物は、価値が上がる」
理由は、使いながら改善を重ねるからだった。住んでいる人、あるいはスタジアムを使っている人たちが考えて、「これ使いにくいからスロープつけよう」「ここに手すりつけたら」と言って直していく。使えば使うほど、使いやすくなっている。それが資産価値に反映される。
「すごく素敵だなと思う」
一方、日本では災害に備え、完成時点で100パーセントを目指す発想が強い。その結果、「利用者のニーズに合わない手すり、トイレ」が生まれる。
「(開業時は)80パーセントぐらいにしておいて余白を残しておく。あえてそうしておくことで使いながら完成に近づいていくような、そういう考え方が必要なのかもしれない」
日比野氏も応じた。
「(みんなで)一緒にスタジアムを作っていってもいいのかもしれない」
使いながら育つ建築。その発想は、アクセシビリティのニーズそのものにも重なった。
そこで岩田氏が口にしたのが、「うなぎ屋さんのタレ」だった。
「届ける」と「ぶつける」は違う
英国には、スポーツの現場のアクセシビリティ向上を支える当事者団体「Level Playing Field*」がある。
しかし当初は対立もあった。
「当事者の声を『届ける』のと『ぶつける』のは違う」
現在はクラブ内部の当事者団体と連携し、改善を積み重ねている。
その姿を象徴していたのが、築100年を超えるワトフォードFCのスタジアムだった。センサリールームも、エレベーターも、バリアフリートイレも、あとから継ぎ足されてきた。
日比野氏もマンチェスター・シティで同じ文化に触れた経験があった。義足で一般席を予約していたが、雨が降りそうだから屋根のある車いす席へ、と自然に勧められた経験を振り返る。
「(障害者は車いす席へ誘導しなくてはという)ファイティングポーズじゃなくて、『雨降るから、こっちに来たら?』ってね」
アクセシビリティとは、選択肢である
日本での実践について、岩田氏は「スモールウィン」という言葉で語った。小さな成功を積み重ねること。そして現場では当事者の声を直接聞き続けることだった。
英国との差は、現場の裁量にも表れる。ボランティアが柔軟に判断し、「たらい回し」を生まない文化が根付いていた。
英国滞在中、岩田氏は案内役のデイリー氏とウェンブリー・スタジアムでイングランド代表対日本代表戦を観戦した。2026年3月31日、日本が三笘薫のゴールで1-0と勝利した一戦である。当たり前のようにラジオ解説を聞きながら、「今の状況をどう思う?」と尋ねると、こう返ってきた。
「アクセシビリティとは、選択肢だ。その選択肢をしっかり届けていくということが、文化だよね」
JFAの「アクセス・フォー・オール宣言」でも、「誰もがサッカーの『する』『見る』『関わる』にアクセスできる多様な『機会』と『選択肢』を届ける」と掲げている。
トーク終盤、日比野氏は、日本は問題が起きるたびに対応する「モグラたたき」になりがちだと語った。
そして、英国で見た姿を「うなぎ屋さんのタレ」に重ねる。
「そのモグラたたきから、うなぎ屋さんのタレに変わっていったとき、もしかしたら、日本のスタジアムアクセシビリティはもっといいものになっていくのかな」
上林氏も「継ぎ足し継ぎ足し、みんなで使いながら熟成されていく発想は絶対必要」と応じた。
一人の選手が差し出した「うなぎ屋さんのタレ」という言葉のたとえは、90分の議論を通して会場全体の共通言語になった。
アクセシビリティとは、一度に完成させるものではない。人が集まり、声を届け、小さな改善を継ぎ足しながら育てていく文化であることを、この90分は示していた。
<参考>
ヨコハマ・フットボール映画祭2026
https://yfff.org/yfff2026/
アクセス・フォー・オール宣言
https://www.jfa.jp/about_jfa/accessforall/
Level Playing Field
https://www.levelplayingfield.org.uk/
(校正・中村和彦)






