公開: 2025年11月27日 at 22時17分 — 更新: 2025年11月29日 at 0時17分

「ろう文化の発信」体現した、東京デフリンピック。日本初開催でデフの誇り示す

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12日間に渡る東京2025デフリンピックが閉幕。日本で初めて開催されたデフリンピックはスポーツの祭典を越えて、よりインクルーシブな未来への道筋を示す、気づきと感動をもたらした。

東京2025デフリンピックの閉会式。史上最多のメダル数で、国別では3位の日本。開催国の躍進を見せた 写真・川村翼

東京2025デフリンピックの閉会式が11月26日、東京体育館で行われた。

史上最多の79の国と地域から、約2800名のアスリートが参加した東京デフリンピック。初の自国開催となった日本からは268名のアスリートが出場。メダルは前回ブラジル大会の30個を大幅に上回る、金メダル16個、銀メダル12個、銅メダル23個の計51個を獲得した。

観客と共に感じる「ろう文化」

手話をはじめとする「ろう文化の発信」を掲げた東京デフリンピック。手話は福祉の枠を越えて、言語や文化であるという思いの下、セレモニーでもその魅力が散りばめられた。

手話とパントマイムを組み合わせた「サインマイム」写真・内田和稔

サイン(手話)とパントマイムを組み合わせた表現「サインマイム」では、ダイナミックな動きや光の演出を駆使。ろう者は単に「耳の聞こえない人」ではなく、「目で生きる人」だという思いが込められた。手話狂言・手話歌舞伎では、狂言や歌舞伎の動きはそのままに、せりふを手話と声の両方で表情豊かに表現。日本の伝統芸能と手話が織りなす芸の奥深さや広がりを感じさせた。

手話狂言。写真左:聞こえる人・能楽師狂言方和泉流、三宅近成。右:聞こえない人・俳優、砂田アトム 写真・内田和稔

日本の文化を表現するプログラム『ボンミライ!』は観客を巻き込んだ参加型。タイトルには、フランス語の「bon(良い)」と日本文化の「盆」をかけ、パリでの第1回大会から100周年を迎えたデフリンピックを通し、良い未来が訪れるようにとの願いが込められている。太鼓の鳴る振動と、誰もが分かるシンプルな振り付け。アスリートも観客も、聞こえない人も聞こえる人も、そして性別も国境も越えて、盆踊りを楽しむ。デフリンピックが目指すビジョン「誰もが個性を活かし力を発揮できる共生社会の実現」を象徴するフィナーレだった。

閉会式のフィナーレを飾るプログラム『ボンミライ!』。太鼓の音が会場に響く 写真・内田和稔
ステージとやぐらには4大陸を表すデフリンピックカラーの衣装を着たパフォーマー。オーディションで選ばれた129名も活躍した 写真・内田和稔
性別も国境も越えてデフリンピックを楽しんだ 写真・川村翼

デフ・プライドを胸に

国際ろう者スポーツ委員会のアダム・コーサ会長は、かねてより日本メディアに対して、「障害を乗り越える物語」ではなく、「ろう者が自らの文化や言語をどう誇りに思い、スポーツの舞台で表現しているか」に焦点をあててほしいと、呼びかけていた。大会を通して選手のプレーや言葉、さらにはボランティア、大会関係者の生き生きとした手話での交流を目にして、デフ・カルチャーへの誇り(デフ・プライド)を随所に感じた。

国際ろう者スポーツ委員会のアダム・コーサ会長 写真・内田和稔

観客動員は当初の目標10万人を大きく上回る28万人。東京2020大会を契機に共生社会への礎を築いてきた東京にとって、デフリンピックが開催された意義は大きい。

客席も皆『ボンミライ!』写真・内田和稔
手話で拍手を送る日本選手団 写真・内田和稔

日本で初開催のデフリンピックは多くの人に気づきと感動を与え、12日間の幕を閉じた。アスリートの祭典に留まらず、よりインクルーシブな未来への道筋を示す大きな一歩として、語り継がれてほしいと願う。

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(写真取材/内田和稔、川村翼、取材協力・校正/佐々木延江)

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