午前10時の予選から、男子50m自由形12組が終わる19時前まで。一日に最大4レースを泳ぐ選手もいる異例の日程を、選手、競技役員、スタッフが走り切った。

2日間、21種目のリザルトに名前が掲載されたのは272人(棄権含む、筆者集計)。世界記録こそ生まれなかったが、リザルトにはアジア新2、日本新13、大会新21が並んだ。
世界、アジア、日本、大会レコード――。記録の階層は、そのまま日本のパラ水泳が国際競技のどこに立っているのかを映していた。

「予定が変わったときは『うわ、マジか』と思ったんですけど、こうやって予定が変わることはアジア大会本番もあると思うので、臨機応変に対応して」
200m個人メドレーと100mバタフライの2冠となった南井瑛翔(トヨタ自動車/SM10)は、突然の変更をそう受け止めた。

50m平泳ぎSB3と100m自由形S4を続けて泳ぐことになった鈴木孝幸(GOLDWIN)も、「アクシデントがある中でも2日目のレースを開催していただいて、選手としては非常にありがたい」と語った。
1か月後に迫る愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会。その前哨戦は、想定外への対応まで含めた実戦の場となった。
届かなかった世界記録――山口尚秀
この日、大きな注目を集めたのが男子100m平泳ぎSB14の山口尚秀(四国ガス)だった。
8月のパラパンパシフィック(以下、パンパシ)選手権で1分2秒38の世界記録を樹立。9月12日には、パラリンピック代表経験者として初めて国民スポーツ大会に出場し、1分2秒46を記録した。さらに7月には、この横浜国際プールで参考記録ながら1分2秒13を泳いでいる。
狙うのは再び2秒台、そしてその先だった。
しかし決勝は1分4秒69。優勝はしたものの、狙ったタイムには届かなかった。

前半は30秒28。
「いつもは29秒前半であったので、30秒台かと知ったときは、身体もちょっと重く感じた」
アメリカでのパンパシ、青森での国民スポーツ大会、そしてジャパンパラ。
「連続でのレースだったので、ちょっと疲れが出てしまったかなと思います」
それでも約3時間後には100mバタフライを58秒13(=S14で3位)で泳ぎ、この日の全レースを終えた。
「アジアパラでは100m平泳ぎで世界記録を更新していきたい」。目指す水準は、前日にすでに口にしていた。「1分1秒台は出したい」
世界新は名古屋への宿題となった。

山口は前日のインタビューで、横浜国際プールについて、泳ぎ始めた頃は施設の大きさへの「ワクワク」が強かったが、大会を重ねるうちに「安心できる場所」になったと話している。
山口だけではない。ここで泳いできた多くのスイマーにとって、国際大会につながる競技環境を持つプールの存在は大きい。
アジア新――木下あいら、一日4種目
女子100m自由形S14では、木下あいら(大阪府)が予選1分0秒18、決勝1分0秒03をマーク。アジア記録を予選、決勝と続けて塗り替えた。
この日の木下は200m個人メドレー優勝に始まり、100m自由形、100mバタフライ1分6秒53の大会新、さらに18時15分の50m自由形で28秒09の日本新。4種目を泳ぎ切った。
前日の100m背泳ぎでも1分9秒32の日本新。競技復帰後初の日本記録だった。
2日間で、日本記録以上のタイムを4つ残したことになる。
名古屋で待つライバルの一人が、パリ2024メダリストのCHAN Yui Lam(香港)である。

「100mバタフライと背泳ぎに関しては香港の選手のほうが速いので、そこで頑張って勝たなきゃいけない」
目標は明確だ。
「出る種目すべてで金を目指して頑張りたい」
代表の外でも記録は伸びる――由井真緒里と齋藤正樹
今大会では、愛知・名古屋2026の日本代表に入っていない選手も記録を伸ばした。
女子100m平泳ぎSB5の由井真緒里(ZENKO)は、予選で1分58秒50の大会新。決勝では自身が持つ日本記録を1秒34更新する1分56秒65をマークした。

2023年の杭州アジアパラでは200m個人メドレーで日本記録を樹立した由井だが、今回の名古屋大会の代表には入っていない。
それでも代表選考とは別の場所で、自らの記録に向かって泳いだ一本だった。
由井は、2025年に55歳で亡くなった成田真由美さんと、試合の内外で親交を重ねてきた同じS5クラスの後輩パラリンピアンでもある。成田さんは現役時代、国内に競い合う相手がおらず、自己記録を更新しながら世界に挑み続けた。だからこそ、後輩が育ち、自分の記録を更新していくことを何より喜んでいた。誰と競うためでもなく、自分の記録に向かって泳ぐ——由井のこの一本は、受け継いだものの確かさを示していた。
男子S14の齋藤正樹(伊藤忠丸紅鉄鋼)も存在感を示した。
前日の100m背泳ぎ決勝では58秒96。従来のアジア記録59秒82を上回るタイムを出し、この日は200m個人メドレーを2分11秒51の大会新で制した。

一方で、齋藤のクラス分けステータスは現在「R(Review)」となっている。国際記録としての扱いには、クラス分けの確定を含むWPSの規定が関わる。
速く泳ぐことと、それが記録として残ること。この二つの間には、クラス分けや大会の公認といった手続きがある。7月の横浜で世界記録より速い1分2秒13を泳ぎながら、大会が非公認だったため記録にならず、8月のパンパシで正式に世界記録を打ち立てた山口の歩みも、同じことを教えてくれる。
この仕組みを大会運営の課題として認識すると、パラ水泳の見え方はもう一段深くなる。
日本新の列、大会新を出す選手層
日本記録はほかにも続いた。
辻内彩野(三菱商事/SB12)は、専門とする自由形ではなく100m平泳ぎで、予選1分28秒28、決勝1分25秒85と連続日本新。

成長著しい山田龍芽(宮前ドルフィン/SB5)も100m平泳ぎで予選、決勝と日本記録を更新した。
200m個人メドレー予選で3分4秒13をマークした田中映伍(東洋大学/SM5)は、最後の50m自由形でも大会新を記録した。
デフの串田咲歩(サンながら/SM15)も、200m個人メドレーで日本新を泳いだ。

大会新には、齋藤元希(SM12)の200m個人メドレー、川渕大耀(SM9)の200m個人メドレー、鈴木孝幸の100m自由形1分23秒11、荻原虎太郎(S8)の100mバタフライなども並んだ。
WPSのクラスにはないS21でも、小泉寅秀、小神野愛祈、平井美希、木澤柔太らが大会記録を更新した。
世界記録やアジア記録だけでは、日本のパラ水泳全体は見えてこない。健常者の競技同様、トップクラスは一握りのパラリンピアンが世界と戦うことで、パラスイマー全体を盛り上げ、牽引している。その様子が、横浜インクルーシブ水泳では多くの健常のスイマーにも披露され、あらたな文化と水泳の魅力を引き出しつつあるのだ。
日本記録、その一段下にある大会記録を更新し続ける選手層がある。その積み重ねが、次の日本記録、そして国際舞台につながっていく。
名古屋へ、あと1か月
横浜のプールサイドで、トップスイマーたちはすでに名古屋のライバルを見ていた。
木下が挙げたのは香港のCHAN Yui Lam。
鈴木は「タイム的に競るのは平泳ぎの韓国のJO Giseong選手」と話した。
男子S11の富田宇宙(EY Japan)は、中国の若手を含む争いを「0コンマ何秒の差で金メダルを争う最高の勝負になる」と見る。
今回、女子S11の競技が成立しない見込みにより、中国勢とのハイレベル対戦がない石浦智美(伊藤忠丸紅鉄鋼)は、その先のロサンゼルス2028まで見据える。

「しっかり『待ってるぞ』というメッセージを込めて、来月の名古屋で泳げたらいいな」
チームの側からも、名古屋を待つ声がある。久保大樹(クボタロジスティクス/S10)は、東京パラリンピックの代表に内定しながら、直前のクラス変更で出場が取り消された経験を持つ。パラ水泳に合流したのは2018年、ジャカルタのアジアパラ。その原点の大会が、来月、自国にやってくる。この日3レースを泳ぎ切って、無観客だった東京からの時間を「5年、6年待ちました。この自国開催を僕は誰よりも待ちわびていた」と振り返り、続けた。「集大成として挑むので、後悔のないように、自分らしく泳ぎたい」
台風により3日間から2日間へ短縮されたジャパンパラ。それでも記録は伸び、代表選手だけではない多くのスイマーが現在地を示した。
横浜のリザルトに刻まれた世界、アジア、日本、大会レコードという階層を一つの物差しにして、横浜で見えた現在地。その先を確かめる舞台が、1か月後の愛知・名古屋へつながっていく。
<参考>
・ジャパンパラ水泳公式ページ
https://www.parasports.or.jp/japanpara/news/swimming_2609.html
・アジアパラ公式ページ
https://www.asianparagames-2026.org/ja/






