
名古屋市瑞穂公園陸上競技場。愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会は10月18日に開会式を行い、24日夜に閉会式を迎えた(バドミントン・卓球・ブラインドサッカー・車いすバスケットボールは16日に先行スタート、計9日間)。

6日前の開会式で「土」をまとっていた聖火台は、この夜、三州瓦の「陶」に姿を変えていた。その聖火台で湯が沸かされ、雨上がりの夜空へ湯気が立ちのぼる。聖火が消えたあとも、スタジアムには温もりが残った。湯はフィールドにまかれ、「おーチャ」の掛け声とともに一杯の茶となって、競技を終えた戦士たちをねぎらった。

「雨が降ったらよりドラマチックだよね——そう言い聞かせ、みんなで空を眺めていました」。式典の演出統括を務め、自らも祝い手「ハレ」を演じた森山開次さんは、終演後の囲み取材で明かした。朝をピークに降り続いた雨は昼頃にはほぼ止み、終演後には月も顔を出した。湯気の立ちのぼるスタジアムは、この閉会式のテーマそのものだった。

この記事では、アスリートたちの挑戦とシンクロして進んだ式典——「もう一つの戦い」を探り、アジアパラの閉幕を伝えたい。
火と水が交わって、湯が生まれるコンセプトの正体とは?
開会式のテーマ「火」に対して、閉会式は「水」。それらは対立しない。
「火と水が交わることで、湯が生まれる。栗栖さんがずっと言っていたのは、最後に癒して、もてなしてあげたいという思いでした。(聖火の)火で温めたいろんな思いが、水と融合して湯になる。その循環を表現させてもらいました」と森山さん。
総合プロデューサーの栗栖良依さんは、こう続けた。「火と水って全然違う性質のものだけれど、どちらかだけでは私たちの暮らしは成立しない。異なるまま共にあるということと、すごくつながっている」
それは、大会スローガン「IMAGINE ONE ASIA ここで、ひとつに。」と、式典コンセプト「WABI——We Are Beautiful Individuals 違うまま、一緒に。」という、ふたつの言葉が大会に共存していたことにもつながる。
開会式で炊かれた火(聖火)は、大会の戦いの熱を経て水と出会い、湯となり、茶となって人々の身体を巡った。東京2020パラリンピック開会式ステージアドバイザーを務めた栗栖さん曰く「実際に選手たちにお茶を振る舞いたかったが、それは衛生上無理だった」と。東京での経験は、愛知・名古屋へと受け継がれた。
(※栗栖良依さんインタビュー記事→ https://www.paraphoto.org/?p=48534 )
日本は金64個、旗手は水泳で3冠の南井
本大会は、アジアパラ競技大会史上初めて45すべての国・地域(NPC)が参加し、タジキスタンとカンボジアが初のメダルを獲得。世界記錂23・アジア記錂62・大会記録243(=APGNSより)が更新された。日本は金メダル64個——2018年ジャカルタ大会の45個を大きく更新し、中国に次ぐ総合2位で大会を終えた。

閉会式でホスト国・日本選手団の旗手を務めたのは、3つの金を含む4つのメダルを獲得した水泳の南井瑛翔(S10・トヨタ自動車)。「来年の世界選手権、ロサンゼルスパラリンピック(2028年)に向けてまたトレーニングに励もうと思います」。日本のメダルのうち71個は水泳によるもので、旗手が水泳から選ばれたのも頡ける。

その水泳陣で存在感を放ったのが、エースの木下あいら(S14・大阪府)だ。パリパラリンピック後の2024年11月に指定難病の再生不良性谧血を発症して競技を離れ、今年1月に復帰。それから9か月余りのこの大会で、個人4種目とリレーを制し5つの金メダル。「目標の個人5冠にはなりませんでしたが、私の強さを見せられた試合になったと思います」と、大役を果たしてなお満足しない言葉を残している。
(※木下選手の復帰を伝えた記事→ https://www.paraphoto.org/?p=46551 )

競技会場の熱気も、閉会式の夜につながっていた。地元・愛知出身の小田凱人(東海理化)は車いすテニスで単複2冠。「地元、愛知で金メダル2つ取れたことを嬉しく思います」。車いすバスケットボール男子は決勝でイランを下して大会2連覇。

古澤拓也(WOWOW/神奈川VANGUARDS)は「自国開催という特別な舞台で、日本代表として戦えたことを誇りに思います」。

陸上では佐藤友祈(T52/モリサワ)が車いす男子100m・400mで2冠を達成し、両種目で日本勢が表彰台を独占した。「あの声援の中でスタートラインに立てたことは、選手としてこの上ない喜びです」(佐藤)
そして競技会場の外でも、「次へ」つながる動きが始まっている。大会期間中のAPCアスリート委員選挙で、JPC(日本パラリンピック委員会)が推薦した車いすバスケットボール女子の網本麻里(カクテル/伊丹スーパーフェニックス)が当選した。決勝で中国に敗れたものの銀メダル。

「連日ほぼ満席になるぐらいたくさんの方が会場にお越しいただきました」と客席を振り返り、「アジアでパラスポーツを盛り上げるための活動をしていきたい」と意気込む。任期は2030年にカタール・ドーハで開催される第6回大会までだ。
もう一つの戦い、栗栖さん
大会スローガンは「IMAGINE ONE ASIA ここで、ひとつに。」。開閉会式のコンセプトは「WABI 違うまま、一緒に」。どちらも人と人との結びつきを語るが、結びつき方は同じではない。ひとつに溶け合うのか、違いを違いのまま抱えて共にあるのか。栗栖さんに託されていたのは、東京で芽生えた後者の思想を、アジアの大会へつなぐことだった。
「毎日戦ってました」。この1年を短い言葉で、と問われた栗栖さんの答えは率直だった。「いろんなものと、本当に困難と戦っていた。でもそれは、アジアのパラアスリートたちが日々行っているような、様々な制約の中でできる可能性を見出していくことだったと思う。制約がなかったら生み出せなかった演出アイデアもたくさんあった。ピンチをチャンスに変えてきました」

その葛藤の跡は、閉会式の「かたち」に表れていた。この夜、選手たちは式典が始まる1時間前から席についていた。式が始まると、お茶の演出、APC旗の引き継ぎ、閉会宣言——進行は式典に必要な部分だけで組まれ、演出の言葉はただ一点、一杯の茶のふるまいに込められていた。戦い終えた選手を雨の中で長く待たせない、「ねぎらい」を最優先にした構成だった。
もうひとつ、東京2020から受け継がれたものがある。コメンタリーガイドだ。東京パラリンピックの開閉会式を機に開発された、障害の有無によらず誰もが式典を一緒に楽しめる音声・字幕解説のLIVEサービスで、今大会の開会式で復活した。閉会式では、栗栖さん自身が、視覚障害柔道のパラリンピアンで第1回広州アジアパラ(2010年)金メダリストの初瀬勇輔さんと掛け合いで解説を行った。
栗栖さんの「戦い」をそばで見てきた一人が、森山さんだった。「栗栖さんがすごく戦っている姿を、僕はずっと見続けてきました。彼女が戦ってくれているから、僕はすごく遊ぶ感じで。だからこそ、すげえ楽しくやろうと心に決めていました」
「二人にとってアスリートとは、どういう存在ですか」
閉会式後の囲み取材で、筆者は二人に尋ねた。この演出を通じて、二人にとってアスリートとはどういう存在ですか——。
栗栖さんは、スポーツの内側から答えた。
「アスリートはみんなにとって希望を背負っている存在。特にアジアのパラアスリートは、背負っているものがすごく大きい。(多くの国では)日本ほど医療にも教育にもアクセスできない環境の中で競技を続けて、ここに立っている人たちです。メダルの数だけではなくて、そうしたアスリートをメディアの皆さんにどんどん報じていただくことが、アジアの国々で困難を抱えている人たちの環境を変えていくことになる」(栗栖)
森山さんは「僕たちは芸術の分野ですけど」と断ってから、閉会式で箏を弾いた視覚障害のある箏曲家・澤村祐司さん(役名「ネギ」)のことを語った。
「『今日の踊り、風のようでしたね』って、全然見えていないんですけど、見えたようにいつも話すんです。彼は会場の匂いを、風を感じながら弾いている。そういう感覚を、僕らはたぶん持っているのに忘れてしまっている。それを教えてくれる存在だから、もっともっと注目されてほしい」(森山)
越境は、こともなげに起きた
「アスリートとは」という問いへの答えは、競技者から、視覚障害のある箏曲家へと、ごく自然に広がっていった。その場では、問うた筆者自身も含め誰も継ぎ目に気づかなかった。囲みを終えてから、立ち止まり、そのことを考えた。芸術もスポーツも、障害のある人が置かれている環境だけでなく「持っている資源」に眼を向けることが重要だ。
閉会式では、目の見えない澤村さんと、耳の聞こえない舞踊家・梶本瑞希さん(役名「ネグ」)が共演した。「音が聞こえない、見えない中で、どうやってお互いを感じ合うのか。僕にも答えの分からない課題だけれど、必ずどこかで見て、聞いて、感じることができると信じて、二人に託した」と森山さんは言う。スポーツと芸術、障害のあるなし。違いが消えたのではない。違いが、人を隔てる理由ではなくなる。それこそが「違うまま、一緒に」の目指したものだった。
それでも、数多くの記録が生まれた大会の閉会式の夜でさえ、パラアスリートはなお「障害のある人の活動」という大きな括りの中で語られうる。「競技としてのパラスポーツ」を見つめてほしい。パラ水泳の富田宇宙(EY Japan)は、選手団のコメントにこう記した。「見えなくなっていく人生は苦しいこともたくさんあったけれど、目標に向けて成長していく幸せな日々を通じて、今は障害者でよかったのかなって思えるようになりました。パラ水泳ありがとう」
レガシーは「次」で測られる
「記録は残り、メダルは大切にされ、思い出は永遠に残るだろう。しかし、愛知・名古屋2026の真の遺産は、私たちが次に何をするかによって測られる」。APCのMajid RASHED会長は、閉会宣言に先立ちそう語った。

栗栖さんの「報じていただくことが環境を変える」という言葉は、メディアの一部分である弊紙パラフォトへの宿題でもある。そして選手団のコメント集には、地元出身の岡島貫太(水泳/セントラル、日本福祉大出身)のこんな一言があった。「今後も活躍できるよう頑張りますので、是非かっこよく報道してください!」
この夜の「茶」は、選手たちへの、そして戦い抜いたつくり手たちへのねぎらいでもあったのだろう。次の集合地点は4年後、2030年のドーハだ。その日まで、手放さずにいたい問いがある。——私たちは、多様な障害のあるパラアスリートをただの「アスリート」として見ているだろうか。そして競技を(する・見る・支える角度から)楽しんでいるだろうか。
閉会式の公式情報 → https://www.asianparagames-2026.org/ja/news-2060/
(校正・田中綾子)






