公開: 2025年12月30日 at 15時28分 — 更新: 2025年12月30日 at 20時02分

デフ陸上感謝イベントで振り返る 「十種競技」への挑戦。〜岡部・堀口、パパたちの健闘~

知り・知らせるポイントを100文字で

十種競技はあまりに過酷で、残酷だ。ひとつのミスで「記録なし」になる絶望や、怪我の激痛を抱えてなお、2日間10種目をやり遂げる強靭な精神力が試される。その極限に挑んだ岡部祐介(38)と堀口昂誉(34)。愛する家族への想いを胸に最後まで戦い抜いた、2人のパパアスリートの健闘を称えたい。

東京2025デフリンピックが閉幕してから1か月が経った。街はすっかり年末の慌ただしさに包まれているが、ふと立ち止まれば、あの11月のスタジアムの熱気と静寂が、まだ私たちの肌に残っている。

デフリンピック十種競技が行われた駒沢オリンピック公園の陸上競技場 写真・秋冨哲生
11月17日、男子十種競技1日目のスタンドはサインエールの熱気に満ちていた 写真・秋冨哲生

12月21日、東京・日比谷スカイカンファレンスで「TOKYO2025 DEAFLYMPICS デフ陸上感謝イベント 〜声援に感謝を込めて〜(以下、感謝イベント)」が一般参加者100名とスポンサー企業を招いて開催された。そこには、デフリンピック陸上競技で世界との闘いを展開したアスリートたちが、家族やファンと共に柔らかな笑顔を見せる姿があった。なかでも十種競技に出場した堀口昂誉の感慨深い表情が際立っていた。もう一人の十種競技選手、岡部祐介は、大会前に生まれたばかりの赤ちゃんの育児のため欠席していた。

12月21日に行われたデフ陸上感謝イベント第2部はデフリンピック報告会が行われた。 写真・石野恵子

トラックとフィールドでの二人のパパの激闘

「キング・オブ・アスリート」の称号を懸けた過酷な戦い、「十種競技(デカスロン)」。瞬発力、跳躍力、投擲力、そして持久力。「走る・跳ぶ・投げる」のすべての要素が求められ、2日間かけて心技体の限界に挑む。まさに万能性が問われる究極の競技である。
1日目に100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400mが、2日目に110mハードル、円盤投、棒高跳、やり投、1500mが開催された。

この競技の過酷なフィールドに立ったのは、家に帰れば愛する子どもが待つ二人のパパだった。

2歳の息子の顔写真がついた応援うちわを手にする堀口 写真・石野恵子

かつて400mのスペシャリストであった岡部は、前回のブラジル大会で400mに出場できず、一度は引退を決意していた。友人のデフカメラマンが「引退するのはもったいない、大丈夫、やったらいいよ」と後押ししてくれ、十種競技への転向を決断し復帰した。「限界を突破したかった。十種なら可能性が広がると思った」

11月17日、十種競技400mのスタートを待つ岡部祐介 写真・秋冨哲生
十種競技1日目、砲丸投げを投げる岡部 写真・秋冨哲生
日本十種競技の第一人者 右代啓祐コーチと手話通訳者の保科隼希氏 写真・石野恵子

岡部は、十種競技の第一人者であり日本記録保持者の右代啓祐(国士館大学体育学部准教授)に直談判し、コーチを依頼した。自身も横浜から国士館大学近くへ引っ越し、競技に専念できる環境を整えて大会に臨んだ。
佐藤將光監督は「デフ陸上の選手が、聴者・ろう者の垣根を超えて社会の中に積極的に入り、互いに助け合えたこと。それが我々の強みだった」と解団式で話していた。

堀口の十種競技・棒高跳び 写真・秋冨哲生

岡部は走高跳・走幅跳・110mハードル・やり投げで自己ベストを更新。
最終種目の1500mを走り抜いた岡部の表情は、すべてを出し尽くしたアスリートのそれだった。総合5304点をマークし、日本人トップの7位入賞という結果を残した。

堀口は、ブルガリア大会(2013年)を目指していたが、競技中の事故で膝を負傷し一度は競技を離れながらも、ろうの子どもらが通う施設で声援を受けたのがきっかけで復帰を果たした。
走幅跳で自己記録を20㎝伸ばし、2日目の円盤投・棒高跳・やり投では岡部を上回る記録をマークし、存在感を示した。結果は、自己ベストの4559点で9位だった。観客席で見守る妻と2歳の息子にとって、どんなヒーローよりも輝いて見えたはずだ。

11月17日、堀口の走り幅跳び 写真・秋冨哲生

男子十種競技の優勝は中立国(ロシア)のMUMINDZHANOV A. P.(30歳)、台湾のWEI Yu-Tze(18歳)が2位、カザフスタンのKULDEYEV Nursultan(29歳)が3位だった。

男子十種競技 表彰式。独立選手(ロシア)とアジア勢(台湾とカザフスタン)が表彰台に立った。  写真・石野恵子

十種競技の最終種目1500mを走り抜いた選手たちは、ゴール後、ユニフォームを脱ぎ捨て鍛え上げられた肉体を披露、揃いのマッスルポーズでカメラに応えた。勝敗を超えた絆と互いの健闘を讃え合う笑顔に溢れていた。

十種競技を終え、やり抜いたアスリートたちによるマッスルポーズでのフォトセッション 写真・石野恵子

大会期間中、スタバ好きで知られる岡部はデフリンピックスクエア内に開店されたスターバックスコーヒーを毎日堪能できたという。堀口は、ラーメン店の替玉を「3玉」、円盤投で金メダルの湯上剛輝は「4玉」食べた豪快ぶりの逸話を披露。店員にサインや写真を求められる一幕もあったのは、デフリンピックの知名度が上がった証拠だと言っていいだろう。

期間中デフリンピックスクエアに開店したスターバックス。岡部は毎日コーヒーを楽しむことができた。 写真・秋冨哲生

2028世界デフ陸上を東京で!

感謝イベントは、サイン会やフォトセッションなどのフレンドシップ、デフリンピック報告会、レセプションの3部構成で行われ、報告会の終盤で山岸亮良事務局長が「2028年世界デフ陸上大会」開催へ立候補したことをサプライズ発表し、新たな目標に向けて選手たちを奮起させた。

デフリンピックという祭典は終わったが、彼らが灯した情熱の火は、きっと来たるべき未来へと受け継がれていく。

(取材・石野恵子、写真・秋冨哲生、共同執筆・佐々木延江)

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